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ハローハロー皆さま、こんばんは沖縄生まれ、沖縄育ちの南国アミーゴです先日、祖母の一周忌がありました。祖母の話を詳しくする機会もないので、ブログにて話させていただきたいです。皆さまお付き合いいただければ嬉しいです私の祖母は、戦争時代は高校生で、看護学徒隊として奉仕していたそうです!ひめゆり学徒隊は有名ですよね!違う部隊だけど、同じような仕事をしていたそうです!!それから5人の子育て後、アメリカ米軍基地にて、日本人女性初のゲートガードとして勤務してま
南国の風をたっぷり浴びて帰ってきた娘🌺「ゆいゆいゆいまーる」という民謡を帰ってからも📱爆音で聞いているのでこちらも弾みます(笑)こんな調子のいい歌が存在してたのか!!笑知らなくて損でした。。笑翌檜ファミリーとしては大好きなノリ♪ですので、ぜひ気になる方は「ゆいゆいゆいまーる」🔍で(笑)ちょっと今日ヤル気なんねぇな~なんて日にいいかもしれません(笑)激しい地上戦によって、多くの民間人が犠牲になっただけでなく、県内各地で集団自決という悲劇をひき起こした沖縄戦。それを知ること
曇り空❗️降りそうで降らない天気。リュックにカッパを積み込んで今日は沖縄南部の糸満市ひめゆりの塔平和祈念資料館に。糸満市役所。大きい‼️よく見えないと思いますが工事中の時にある鉄骨の足場みたいなのは無数の太陽光が張り付けてありました。おそらく市庁舎内の電気をそれで賄っているのでは?先を行ってますね‼️糸満市のマンホール❗️市のマークは羽ばたく両翼で市の飛躍的発展を望んだものといわれているそうです。糸満市潮崎町のマンホールもありました。那覇から17~18km南へ行くとひめ
2日目は、お昼からスキューバダイビングの予約があり、他はほぼ白紙の沖縄旅行。ぼんやりと、戦争の地だからガマとか行けたらなぁと思っていた。平和祈念資料館へ行った。敷地の中へ入った途端に、言葉にしにくい悲しさが湧いてきた。恥ずかしながら、歴史は苦手で、沖縄でどんなことが起きたのか、詳しくは知らない。なのに、こんな悲しさが私の中に出てくるのは、ひめゆりの少女たちの気持ちが移ったのか、李さんが何かを私に話しかけていたのか…。不思議な感覚だった。犠牲になった少女たちが、連れていた
昨年の「ひめゆり」の御礼,ご報告と今年も真摯に努めて参りますと稽古開始前に沖縄にご挨拶に行ってまいりました。去年もこのタイミングで行ったからぴったり1年ぶり!!去年の沖縄旅ブログ昨年、今年と同じ班で級友を演じるゆきなちゃん(林幸那)と今年ひめゆりと同じ期間にイッツフォーリーズという劇団で沖縄に関する舞台【ミュージカルてだのふあ7/10-15に紀伊国屋サザンシアターにて上演】に出演するふうま(加藤木風舞)と南部戦跡地をはじめとする色々な地を巡りました。去年と同じ場所もあれば今年
ソロライブ便りもしたいところですが😅その前にお知らせです✨7/11~15ミュージカル「ひめゆり」にふみ役で出演致します。公式サイトミュージカル座さんの代表作「ひめゆり」。今年は主演のキミ役に黒沢ともよさん、上原婦長役に吉沢梨絵さん。檜山上等兵役に原田優一さん、滝軍曹に岡幸二郎さんと憧れ、念願叶って共演させて頂く皆様が出演されています。ふみ役のダブルキャストは水野貴以さん。絶好の学べるチャンスだと思っています。私は以下の3公演のみの出演となります。7/12(金)18:007/
皆さま、選挙では各地で応援をいただきありがとうございました。私自身、選挙では応援させてもらいながら毎回勉強させてもらっています。初心を忘れずまた頑張ります。さて、途切れていた沖縄の旅ブログ、ラストです↑でいごの塔前で。中学生から大学生の若者たちと一緒に平和学習と慰霊の旅として訪れた沖縄。1泊2日の短い時間でしたがしっかりとスケジュールを組んでもらっていたお陰で充実した旅となりました。ご一緒させてもらった皆様に感謝ひめゆり学徒隊は有名ですが他にも5校の学徒隊があ
ボディメンテナンス和心ですいつも御覧いただきありがとうございます最終日となった日。行く予定にはしなかった場所へ避けていた場所。ひめゆりの塔へ行く事になりました。画像は控えましたので画像なしです。ゾゾ~っとするかな…とおもいながら門を通ろうとすると、おばあゃん方にお供えの花を買わんかね~!と声を掛けられたのでお花を買い、慰霊塔に祈り献花台にお花を手向けました。ちょっと重い空気はあるけどそんなに気になるほどでもなく安心しました。献花台の向こうに当時の防空壕が再現されて
平和の礎(いしじ)を見学した後、公園内にある平和祈念資料館を各自、見学した後、ひめゆり平和祈念資料館へと向かった。向かい側にある食堂で、沖縄そばを食べ、会館へ向かった。最初に、ひめゆり学徒隊の生き残りの方々の証言のビデオを見た。戦後、74年になる今年、13歳から19歳ほどだった、ひめゆり学徒隊の方々も、最年少でも、87歳という計算になる。資料館として、学芸員という言い方が相応しいか、直接に戦争を体験していない語りべ、証言者を育てる動きを進めているという。お一人の体験者の話
今日、新元号の発表を沖縄で聴きました。「ひめゆりの塔」と「ひめゆり平和祈念資料館」の見学を終えた直後だったので、新しい元号も平和であってほしいと、心から心から願いました。74年前の今日4月1日、米軍が沖縄に上陸しました。絵本ひめゆり文ひめゆり平和祈念資料館絵三田圭介出版社フォレスト沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒たちが、日本のため、兵隊さんのため、ひめゆり学徒隊として動員されます。主に看護活動にあたりますが、豪堀り、死体埋
(アブチラガマ)嘉数高台を出発して、南部に向かう。平地や窪地と同時に、盛り上がった丘が組み合わさった地形。(途中に見かけた横断幕)次に住民たちがどのような逃げ道をたどったのか、丘陵と平地が組み合わさったような南部の地形を眺めながら、ガイドさんのわかりやすい話に耳を傾けながら、糸数のアブチラガマへと向かった。沖縄本島南部の地質は、もともとはサンゴであり、それが石灰化した地質が多い。そうした地質から、雨水、地下水によって、沖縄の言葉で「ガマ」という鍾乳洞が数多く生まれ、戦中は
こんばんは。だいぶ間が空いてしまいました。無事、沖縄から帰ってきましたよひとり旅最高!すっごく楽しかったです表現者としてもひとつの階段登れましたね!今回は、そんな沖縄旅2日目に迷いに迷って行ったひめゆりの塔のお話をしようと思います沖縄は10歳、17歳、そして今回21歳の時訪れましたが初めて、というとお恥ずかしい&勉強不足なのですが、、初めて、沖縄戦、そして戦争のむごさを物凄く身に染みて感じました。未だにひめゆり学徒隊の女の子達の顔が浮かびます。なんだか、戦争というものを沖
那覇から車に乗って30分ほどで「ひめゆりの塔」に到着。これが「ひめゆりの塔」。「ひめゆりの塔」の前にはガマと呼ばれる自然の防空壕が。ここに「ひめゆり学徒隊」96人がアメリカ軍の攻撃を逃れて隠れていたんだよね。※そのうち87人が命を落としてしまった「ひめゆりの塔」の左奥には「ひめゆり平和祈念資料館」が。大人1人310円。ここでいろいろ勉強させてもらい、戦争の酷さを改めて実感させられたと同時に、国の言うことを鵜呑みにするのは相当危険だと改めて認識させられた。ほんと考えさせられる。
昨夜は仕事の後娘の舞台を観に行ってきた両性具有の性を持つ人の役だけど作品そのものは喜劇と聞いていたのだが全然!😖違う作品になっていた。リハが始まってから、内容がどんどん変化して行ったらしい今回娘は監督兼演出家の先生の求めるところ、意図するところが掴めずにどん底まで落ちたそうである。娘のせいで稽古がそれ以上進まなかった事も。要するに『出来ないならもう知らん!』と匙を投げられた訳であるその夜は家に帰って大泣き泣きに泣いて泣き疲れて涙も出なくなった頃
琉球ガラス村を出た私達はひめゆりの塔(母のリクエスト)の近くに到着‼琉球ガラス村からひめゆりの塔までは車ですぐでビックリどこが駐車場か分からず、とりあえずでかい看板だった県産品ショップを通り抜けてひめゆりの塔に行く無料駐車場に停めましたこの県産品ショップの中はまるで外国…。何が外国かというと…諸外国のお店みたいに店員さんのセールスしますよモード&オーラがスゴかったなもんで、ただ単に家族を待っていただけなのに、物を見ていようものならセールストークが始まり、聞いてない&探してない事を丁寧に教えて
ぽかぽか陽気で歩くと少し汗ばむこんな過ごしやすい気候の中首里城を散策歴史の流れを感じ感慨深い母とインスタ映えを狙い写真を撮りまくる娘達…笑笑それから首里城を後にしたらまた車でひた走り我が娘達世代に1番見て欲しかった場所に移動ひめゆりの塔娘達と同世代の子達が青春も味わう事なく恋愛も結婚もできず戦争と言う名の恐ろしい出来事により無念にも命を落とし犠牲になった…この石碑の真下が病院とされていた壕の穴があります。合掌…娘達と重なり涙無しではいら
ひめゆり部隊だけではなかった、沖縄戦での女子学徒による看護部隊。ひめゆりの塔は、数年前に訪れたことがあります。手記を拝見すると、皆さんが、いかに日本を、沖縄を守るために懸命であったか、よく伝わりました。日本人として、必死に役目を果たそうとされた女子学徒の少女たち。そして、無辜に命を奪われて行った沖縄県民の方々、そして焦土からなんとか立ち上がって今に至る礎を築いてこられた方々の為に、沖縄分断工作に乗ってはならない。沖縄県民の皆さん、どうか道を誤らず行って欲しいです。反社会勢力の傍若無人な
2017年8月の沖縄旅行記です。2日目は沖縄バスの「おきなわワールドと戦跡めぐり」の観光バスツアーに参加しました。おきなわワールドを見学した後、沖縄平和祈念公園〜ひめゆりの塔へと移動していきます。1945年4月から沖縄本島の地上戦が始まりました。嘉数高台、前田高地、シュガーローフなどの防衛線を、激戦の末突破され、首里攻防戦も苦戦の日本軍は1945年5月末に首里の放棄を決定。梅雨の豪雨のなか、南部の喜屋武半島へと撤退します。おきなわワールドに行く前ですけど、現在の南風原(はえばる
こんにちは!昨日から沖縄修学旅行です!初日は平和学習でした。沖縄の悲惨な歴史を理解し感じることができました。同世代の女子学生が看護のために戦争に駆り出されたものの、現実は被弾した兵隊の汚物処理や身の回りの世話、ノミの除去、手術後の処理など…16歳の学生が何の疑いもなく「お国の為に」従事した三カ月。その後、突然出された解散命令。思春期の心の揺れを感じることが出来ました。現在の日本が平和であることは沖縄戦の反省があって成り立っていることを改めて実感
おはようございます!沖縄修学旅行レポ1日目!ということで、何から話そうか悩みましたが、行ったところを頭から簡潔に話させていただきたいなと思います。まず最初に行った所はひめゆりの塔、ひめゆり平和記念資料館こちらは写真はありません。ひめゆりの塔伊原第三外科豪にて看護要因として動員されたひめゆり学徒隊で亡くなった方、ガス弾で犠牲になった方の慰霊碑です。ひめゆり平和記念資料館伊原第三外科豪の実物大で再現されています。また、ひめゆり学徒隊にて戦場に動員された後犠牲になった方、米軍攻撃にて
やっと沖縄ダイジェストに取り掛かれました~よろしければ、しばしお付き合いくださいませ今回は、私が沖縄の地を初めて踏んでから20周年の「記念旅行6日間」でした。6日間の旅行と言えばいかにも長そうですが、母のショートステイの送り出しと迎え入れがあり、ましてや行先が沖縄のため、初日と最終日は移動だけで終わってしまうのが現実それでも、ショートステイのイケメン責任者さんが、「いつもより10分くらいなら早くお迎えに行けますよ」とご配慮くださったおかげ
2018年9月末から10月頭に沖縄旅行した。新婚旅行以来なので実に4年ぶりである。今回は友人との二人旅であった。この友人とは結婚前から毎年の様に沖縄へ来ていた。以前から戦争の歴史には漠然とした興味を抱いていたが、大体の同行者は「気持ちが暗くなるから」と言い、戦争に関する資料館等に行く事を躊躇した。その為、今回ひめゆりの塔へ同行してくれた友人には感謝した。僕は沖縄戦や、ひめゆり学徒隊の悲劇について何一つ知らない。中へ入ると、各章によってテーマが異なり、戦前の学徒編成や、動員に至る経緯を知
2日目、起床して、ホテルの朝食バイキングです。普通のものが食べることができたので、ついつい食べすぎました。午前九時にホテル出発!本日、最初の見学地は「ひめゆりの塔」です。併設されている、ひめゆり平和祈念資料館を見学しましたが、凄惨なことがあったのですね。ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館を見ると、戦争当時の政府・軍がどれだけデタラメで、ウソつきだったかが良くわかります。そして、権力者のウソで、出さなくて済む犠牲者が大量に出たのです。安倍晋三らが嫌われるのは、ウソつきなので、当
ふと、この曲を思い出しました。昨年の夏の終わり頃、中野の小さな映画館で、「ひめゆり」と云う映画を見ました。この映画のエンディングで流れていた曲です。この映画は当時、ひめゆり学徒隊に参加していた方のインタビューを集めたドキュメンタリー作品です。経験した方の生の声はとても衝撃的でした。言葉に表せないくらいです…これからもこの話は伝えていくべきと思います。ほぼ毎年、沖縄へ旅行していますが、南部はなぜか避けていまし
八神純子さんの沖縄公演に行かれたHIRARAさんのブログによりますと、八神純子さんが、「ひめゆりの丘」を、ひめゆり平和祈念資料館前館長島袋さんを前に、歌われたそうです。関連リンク:八神純子さんの沖縄公演前の投稿→八神純子公式Facebook八神純子さんが中日新聞に寄稿されたコラム「平和願う心受け継いで」八神純子公式WEB「生きて平和のために頑張る」ひめゆりの島袋館長退任→琉球新報弊ブログの関連記事:4年前の広島SPEAKLOW公演レポートこちら*「ひめゆりの丘」
くっ!結局日が空いてしまった(T_T)不覚!有言実行したい∠(゚д゚)/と嘆いても仕方ないので〜無事に南風原公演終了しました!ブログ書いてない間にやはり色々体験をしました!まずは沖縄と言ったらゴーヤチャンプルーとか海ぶどう等ありますが、まずはステーキ!しかも目の前で焼いてくれる鉄板焼き屋さんが多く、観光の名所の一つ国際通りには沢山のステーキ屋さんがあるんですよ〜しかも素敵なパフォーマンス付き!美味かった!後輩二人と今回旅に同行してくれている。トラックの社長と共に行きまし