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ワタクシ、城郭建築が大好きです。そして銃と刀が好きなので、戦好きと思われそうですが、そうではなくて、、、合理的で機能的な研澄まされたものに心魅かれるのです。1反の反物を平面裁断してつくられる着物も同じ理由です。クレー射撃が趣味ですが動物の殺傷はいたしません。高知はワタクシの愛銃であるミロクの故郷ミロク製作所…、訪問したいのは山々だったのですが…、このコロナ禍の中、人との接触と屋内を極力避けての旅行なので、今回は断念いたしました。他にも、高知にいったらお会
四国の旅の最後は屋島へ!瀬戸内海に浮かぶ島だと思い込んでいたのですが、高松の北東にある屋根のような台形の形状をした大きな丘でした。もともと江戸時代までは島だったのが、塩田開発と埋め立てから陸続きとなったのだそう。瀬戸内海からみるとこんな感じ。そうここは、源平合戦「屋島の戦い」の地。一の谷の戦いで破れた平家が安徳天皇を奉じて逃れて来た古代からの軍事要塞の地なのです。屋島スカイウェイの途中に屋島古戦場展望所があります。屋島の戦いといったら、那須与一が平家方の船に
おはようございます😃大好きな、きものカンタービレさん❣️の投稿リブログです✨✨✨お金に不自由しない⁉️にキャ❣️ワクワク(^^)あの銭形平次の銭‼️が砂絵で👀初めて知りましたー本物を👀見たいでーす✨✨✨日曜日の朝皆さんが健康でワクワク年末年始を過ごせますように💕💕💕観音寺市の情報は、こちらです↓↓↓銭形砂絵「寛永通宝」(琴弾公園)-観音寺市ホームページwww.city.kanonji.kagawa.jp銭形平次に森昌子さんが出てたような…YouTube検索見つけ
これをみると一生お金に不自由することはないらしい☆*:.。.o(≧▽≦)o.。.:*☆銭形平次のタイトルバッグにでてくる「銭形砂絵」です。観音寺市の有明浜にあるこの砂絵何がすごいって…、観光用につくられたものではないのです。江戸時代に領民が藩主を歓迎するために一夜でつくりあげたもの。1633年(寛永10年)の丸亀藩主生駒高俊公の領内巡視の際につくられたとありますが、寛永通宝が鋳造されたのは1633年(寛永13年)ですので、その後のことであったと思われます。でもそ
晴れていたら風が凪いでいたら天空の鏡、、、残念!強風でした…@@;「インスタ映え」という言葉が流行語大賞となったのは2017年。ここ、父母ヶ浜は夕刻の干潮時にはインスタ映えするリフレクション写真が撮れるスポットとして一躍有名になったところです。こんな写真が撮れるのです(香川県三豊市観光交流局より)寒波は四国にもやってきて寒い…@@;そう、、、何事も穏やかでないと、、、映し出すことはできない。心も穏やかでないとね…^^
奄美大島紬の伝統絣の秋名バラサンバラといわれる竹で編まれた籠を意匠としています。蔵とか古民家とかにピッタリ。絣と建物がハマりすぎなのか、お店の人と間違えられる着物あるある、、、こんぴら参道にある、金陵の郷金陵は金毘羅宮の御神前にお供えされるお神酒です。庭には立派な楠木こんぴら歌舞伎のお練りの人力車にも乗れます。
浴衣は夏限定のものではなく、一年を通して部屋着として、旅先での寛ぎ着として活用しています。本藍染の有松絞りの浴衣は最強の寛ぎ着なのだ。師走に団扇柄は季節はずれですが、全国の団扇生産の9割をシェアする丸亀うちわは、金毘羅詣のお土産から広がったと言われています。丸亀うちわの港ミュージアムこちらでは団扇づくりの実演をみることができます。竹の節を取って、骨の数に割る。真っすぐに割れる竹の性質が活かされています。こんぴら滞在中、産地と謂れにちなんでの寛ぎ着でした。
琴平駅近くの観光協会で電動自転車をお借りしました。自転車で巡ると位置関係や距離感がちゃんと掴める。2015年の春、金毘羅歌舞伎に来た時は、タクシー移動だったので理解していませんでした(^◇^;)朝香沙都子『金丸座こと旧金比羅大芝居バッグステージ/2015年春丹後〜金比羅の旅その8』今回の旅の目的である「こんぴら歌舞伎」が開催される金丸座こと旧金比羅大芝居は日本最古の芝居小屋で重要文化財に指定されています。江戸時代、多くの参拝者が訪れた金…ameblo.jp金丸座までのキツい坂電
こんぴらさんにやって来ました。こんぴら狗にちなんでの犬尽くし。長沢蘆雪「狗児図」のデジタル捺染の帯。古布コラージュの籠バッグにも犬がいます。帯あげと帯〆は帯の意匠に合わせて山茶花色にしました。お伊勢参りは「おかげ犬」金毘羅詣は「こんぴら狗」主人に代わって参拝する犬のことです。前掛けにも犬四万十サイクリングで転倒して膝を痛めたのと、城巡りで歩きすぎて、足が痛い(T_T)金毘羅宮への金毘羅詣は、今回は代参をお願いしました。犬にじゃないです
讃岐国で、高松藩で、香川県。車で走るとコンビニよりもうどん屋さんが目につくので、うどん県がしっくりきます(^◇^;)中野うどん学校で、讃岐うどんを打ってみた。ダンシング足踏み中♬生地を伸ばし中切ってます湯でたてをいただく♪温泉卵との相性バッチリ〜♡卒業証書は金毘羅古地図にうどんの秘伝書と麺棒付なのだ。
マリメッコで活躍されていた日本人デザイナーの石本藤雄さんは愛媛生まれ。道後温泉にはマリメッコの宿があります。茶波瑠のエグゼクティブフロアマリメッコといえば、フィンランド。フィンランドにはサンタクロース村がある。小林染工房の南十字星の丹後柿渋織にサンタクロースの帯。小林ロールといわれる他にはないフワフワ感は、柿渋で染めた糸を織り込んだ上から引き染めして生まれたもの。柿渋の防水性と光沢を活かした織物✨これを知ったときは感動したなぁ。小林染工房の小林知久佐さんも愛媛出身。これも着物
日本最古の温泉ともいわれる道後温泉伊予国風土記逸文には、596年(推古4年)に厩戸王が病気療養のためこの地に滞在し碑を建てたと記されています。その碑文には、温泉の周囲には椿の樹が生茂り鳥が囀り仙境の地のようと書かれているとあることから、松山市の花は椿となっています。道後温泉の外湯、飛鳥乃湯泉と椿の湯椿の花で埋め尽くされていました。本物の椿はまだ蕾椿尽くしの装いです♪椿文様の結城紬にれえすの花の椿に雀の刺繍帯
着物で道後温泉〜松山をサイクリング♬松山で、着物で自転車といえば、、、「坊ちゃん」に登場するマドンナマドンナのハイカラスタイルには程遠い💧前掛の代わりに風呂敷を帯にはさんでいます。
「停車場はすぐに知れた。切符も訳なく買った。乗り込んで見るとマッチ箱のような汽車だ。ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない。道理で切符が安いと思った。たった三銭である。」ホント❣️マッチ箱のよう♡夏目漱石「坊ちゃん」に登場する、1888年(明治21年)〜1954年(昭和29年)まで運行していた日本最古の軽便鉄道。2001年(平成13年)から復元運行され乗車できるのです♪今は、コロナ禍の影響で、土日のみ運行。当時はSL蒸気機関車でしたが、ディーゼル車となっていま
「大変うまいと云う評判だから、温泉に行った帰りがけに一寸食ってみた」夏目漱石「坊ちゃん」に登場するお団子です。藍染の木綿絣にお団子って妙に似合う♡
12月13日は正月事始め。新しい年を迎えるお支度を始める日です。江戸城の煤払いは12月13日にとり行われたことから、庶民もこれに倣ったそうです。四国巡り中、大洲城の煤払いに遭遇しました。現代の煤払いは重機も使う。報道陣が陣取っていたので何事かと思ったのですが、翌朝の朝刊でも紹介されていました。師走の風物詩ですね。
世界中のサイクリストの聖地しまなみ海道瀬戸内海の絶景を望む亀老山展望台です。鳥になって飛んでみたい♪せめてもの、鳥の装い。一玉のトゥイグワーの絣の久米島紬です。
日本でいちばん美しい清流四万十川で思いだすもの…。「美味しんぼ」の究極vs至高鮎の天ぷら対決。あれを読んで、四万十川の鮎が食べたいと思った人はワタクシだけではないはず。四万十川の師走の風物詩は落ち鮎漁ちょい勇ましい顔をしていました。
星に会いに来ました☆四万十は旧環境庁に「星空の街」に認定された天体観測地。そこには小さな天文台があるのです。四国入り第一夜から晴れ。天体観測日和でした。久しぶりに冬の天の川を見ました。惑星は火星と天王星を。火星ちっちゃい、、、そしてプレアデス星団、昴。清少納言は「星は昴」と昴を一番にあげていたなぁ、、、麻の葉文様は星に見えなくもない☆
帆掛船の帯で帆掛船に乗る大河をくだりました。朝は寒かった、、、ニットケープの中に救命胴衣を着ています。
荷物は宅急便で送りました。久しぶりの公共交通機関を利用しての長旅です。12日間の旅行中のコーディネート。「どこで何を着る」を考えるのは、めっちゃ楽しい♪ちなみ柄や季節柄で旅をするのは、至福の喜びなのだ。これは洋服ではできまい。。。(๑˃̵ᴗ˂̵)。。。久しぶりの羽田空港
全集中の呼吸が大流行中の令和の世ですが、古来から呼吸法で身体を整え九字護身法で集中力を引き出し戦ってきた人がいます♡忍びです。伊賀上野城へ♪藤堂高虎の居城です。高虎は、宇和島城、今治城、篠山城、津城、伊賀上野城、膳所城、二条城を築城した、城造りの名手。現在の木造三層三守の天守閣は、川崎克が私財を投じて1935年(昭和10年)に復元したもの。「攻防策戦の城は滅ぶ時もあるも、文化産業の城は人類生活のあらん限り不滅である」という理念のもと、鉄筋コンクリートの近
日本のはじまりは、神武天皇が大和橿原の宮で即位された日とされています。これが戦前に行われていた四大節のひとつ紀元節です。今は宮中祭祀において紀元節祭は行われていませんが、天皇陛下は2月11日に宮中三殿で御拝を行い、橿原神宮へ勅使を派遣されています。その橿原神宮へやってきました!広い。とにかく広い!いったいどれだけの敷地があるのかしらん…。橿原神宮と畝傍山を上空からみたところ。北にある正方形が神武天皇陵です。神域は約15万坪。50万㎡、、
大和国一の宮、大神神社へ一の鳥居は高さ32m以上ある日本一の大鳥居ご祭神は大物主大神日本最古の神社といわれ、ご神体は三輪山です。〜うま酒三輪の山青丹よし奈良の山の山のまにい隠るまで道のくまいさかるまでにつばらにも見つつ行かむをしばしばも見さけむ山を心なく雲の隠さふべしや〜〜三輪山を然も隠すか雲だにも心あらなむ隠さふべしや〜天智天皇による近江遷都で大和を離れるにあたって額田王が詠んだとされる歌うま酒三輪の山と詠われるよ
とても不思議なところでした。日本最古の神宮石上神宮です。ご祭神は布都御魂剣に宿る布都御魂大神。布都御魂剣は、日本神話に登場する建御雷神と経津主神が葦原中国の平定につかった剣。神武天皇の東征で熊野で窮地に陥った時に高倉下が神武天皇に持参しその霊力を持って勝利したと伝わっています。武門の棟梁といわれる物部氏が祭祀であり、石上神宮は古代ヤマト王権の武器庫であったともいわれています。石上神宮には天羽々斬剣も布都斯魂剣として伝わっています。そして、石上神宮といえ
何か建てようとすると遺跡にヒットしちゃって建てられない…、奈良県あるある、、、だそうです。平城京があった奈良時代、宮都があった飛鳥時代はもちろんのこと、古墳時代、弥生時代の遺跡も多くみつかっています。遥か昔からたくさんの人が住んでいたということは、山々に囲まれた盆地の気候は住みやすかったということでしょう。奈良盆地の中央部から出土された弥生時代の環濠集落「唐子•鍵遺跡」甲子園球場10個分もある広さの近畿地方最大級の集落であったと推察されています。大型の建築物の
今日、4連太陽望遠鏡で太陽をみました。2020年12月4日の太陽です。雲ひとつない青空だったので、ハッキリとみえた黒点。古代中国では、黒点は太陽に住むカラスといわれていました。月の兎のようなものでしょうか。太陽に住む霊長であったカラスが八咫烏になったともいわれます。紅炎といわれるプロミネンス炎のようにみえますが、パルマー系列のHα線を放出している大気の一部。なので、Hα線を選択的に通すフィルターを用いると観測できるのだそうです。茜染の絞りって太陽のプ
関西の方がお好み焼きをおかずにご飯を食べるのはちょっと真似出来ないかな・・・と思っているのに、昨夜はピザをおかずにご飯を食べたイタリアーノリョウマです。さて、着物ブロガーで有名なきものカンタービレさんが今年一杯でブログをやめるという事を綴られていました。僕も毎日チェックさせて頂いていたのでショックでした。きものカンタービレさんの凄いところはあれだけ影響力を持ちながら、企業タイアップなどは一切せずに着物文化を盛り上げる為の発信をし続けたことだと思っています。それゆえに発言に重みもあ
斑鳩の里めぐりのつづき^^/龍田神社へ🍁社伝によると、聖徳太子は法隆寺建立の地を探しているときに龍田大明神と出会い「斑鳩の里こそが仏法興隆の地。私はその守護神となろう」といわれ、斑鳩の里に法隆寺を建立したのだそう。その鎮守社として龍田大明神を祀る神社が創建されたと伝わります。妻の竜田姫は秋の女神。紅葉を赤く染める女神として染めが得意といわれています。竜田のたつを裁つと変換して裁縫の神でもあります。龍田神社は法隆寺から竜田川へ向かう途中にあります。そして
ケンタウロス族のケイローンが弓を引く姿が射手座です。アルテミスから狩猟を、アポロンから医学と音楽を学んだ不死身の賢者。ですがヘラクレスの毒矢に当たり、その苦しみから不死身をアポロンへ譲り死を選びます。矢の如く突っ走る…。ワタクシ、まさに射手座です。結城紬にあわせたのは、雪化粧した冬景色の夜空に射手座が描かれた塩瀬地の染め帯。射手座は南斗六星が含まれる夏の星座ですので冬の夜空でみることはできません。現実的にはない光景、冬のファンタジーなのです。