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松濤美術館にて開催中の「華めく洋食器」展へ(〜7月28日まで)大倉陶園は、大倉孫兵衛、和親の父子によって1919年(大正8年)に創業されました。大倉孫兵衛は幕末に絵草紙屋に生まれ錦絵を出版していましたが、独立後は大倉書店、大倉洋紙店と企業。後に義兄弟となる森村市左衛門との出会いから、1904年(明治37年)に日本陶器合名会社(ノリタケカンパニー)の設立に関わることに。万国博覧会で出会った西洋陶磁器に魅了され、欧米の西洋陶磁器に劣らぬ美術的価値の高い硬質な白磁をつくりだすことを
誰かが泣いているような、空模様ですね。絞りにつかわれる生地は柔らかく、括り絞ってできる凹凸のシボは肌に密着せず、身体に心地良いのです。サラッとしていて手仕事の温もりがあるものに癒されます。有松絞りに首里花織の半幅帯をコーディネート。梅雨が明けたら、不安も悲しみも、雲と一緒に遠くへ流れて気持ちも晴れるはず。
婦人画報デジタルでの連載が公開されています。朝香沙都子のきものダイアリー文月のテーマは「海」です。こちら↓海にちなんだ装い季節感のある装いは、自分だけの楽しみにとどまらず、お会いした方との会話がはずむきっかけにもなります。着物は暑い、お手入れが大変…と、着ることを諦めずに、夏ならではの装いをぜひ楽しみましょう。絹の織物や小紋、そして洗えるポリエステルの訪問着など、海にちなんだコーディネートを8点、前からだったり、後姿だったり、帯周りだったり…、ご紹介しています。
す、すごすぎる…。奈良国立博物館前の鹿の群れ@@;夏恒例の「鹿だまり」というのだそう。※写真は奈良国立博物館Twitterより冬の風物詩「鹿寄せ」ホルンで呼んでも、こんなにいなかったわ〜^^;暑くなると群れるのはなぜ???鹿に聞きたい絶対、暑いと思うのですが…、ホント、なぜなの@@;?
インターネットという情報通信手段がある現代においては、誰もが自分の意見や感情を世界中に向けて発信できます。そして、自分の心情や主観、その表現方法が、見知らぬ誰かを楽しませ喜ばせることもあれば、傷つけることもあるのかもしれない。理不尽で凄惨な事件が起こるたびに、身につまされます。只のいち着物ブロガーですが、そのリスクを抱えつつ、好きなもの、心に響いたものをご紹介しています。ひるまずに。張り巡らされた蜘蛛の巣に残る雨のしずくの美しさ。雨が降っているときには
朝顔の別名は「牽牛花」牽牛は牛を引くという意味。朝顔の種は薬として珍重され、古代中国では、牛を引いていき交換の謝礼としたということがその名の謂れとされています。牽牛花と言われたことと、七夕の季節に咲くことから、七夕の花ともいわれます。星合香の装いには合うことでしょう。紺地に夏の花の絽小紋に川島織物の朝顔文様の唐織の夏帯をコーディネート朝顔は、江戸時代に園芸植物として大流行します。その発端は1806年(文化3年)の大火によって、空き地ができたことにより、植木職人が
今日は「東京の日」1868年(慶応4年)7月17日、明治天皇の詔勅「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」により江戸は東京と改称されました。東の京ということで「東京」。はじめは、東京(とうけい)と発音されていたそうです。江戸城が明治新政府へ明け渡されたのは4月4日、江戸が東京と改称されたのが7月17日、明治天皇が行幸により江戸城へ入城され皇居となったのが10月13日です。(戦前は宮城といわれた)徳川将軍家の居城である江戸城に天皇が入られることにより、皇国一体、天皇親政を
京都は祇園祭。今日は宵山です。祇園祭は貞観年間よりつづいている7月にひと月かけて行なわれる八坂神社の祭礼のこと。明治までは祇園御霊会といわれました。八坂神社が行なう神幸祭と山鉾町が行なう山鉾巡行があり、山桙巡行は重要無形民俗文化財とユネスコ無形文化遺産に指定されています。山桙巡行がクローズアップされがちですが、祇園祭の本質は17日の神幸祭と24日の還幸祭であり、山鉾巡行は露払いとして行なわれるもの。神幸祭は八坂神社の本殿に祀られている神霊を3基の神輿に遷して御旅所に迎える神事のこと
しゃわしゃわ、しゃわしゃわ…。連休が明けても、霧雨の朝です。それにしても、長い梅雨となりましたね。なんだか気持ちもどんよりしちゃいますが、涼しくてラッキー♡っと、考えることとして、入道雲の到来を待っています。さて、雨の日の足元についてのご質問が多いのでお答えします。この雨草履は、伊勢神宮の神宮会館で求めました。←超まとめ買い神職の方がつかわれるものだそう。草履はできるだけ軽いものが歩くのが楽!コルクでできています。こちらは、取り外しができる「美人のつ
今日は海の日島国である日本は四方が海に囲まれた海洋国家。古来より海に守られたことにより、侵略されることなく海外からの文化を選択して受け入れることができました。それによって独自の文化をつくりあげています。世界に誇れる民族衣裳である「着物」もそのひとつです。そう、着物という文化も海の恩恵。海の日は「海の恩恵に預かってきたことに感謝するともに、海洋国日本の繁栄を願って」制定されました。元々は1876年(明治9年)に明治天皇の北海道、東北巡行の灯台巡視船の明治丸
しとしと、しとしと。気持ち的におとなしめの装い…。ユキノシタは雪が積もっていても緑を保つ生命力から名づけられた花。冬を連想する名前ですが、梅雨の時期、日陰に咲く花です。夏の季語でもあります。老竹色の琉球壁上布に腰原淳策のユキノシタの絽の染め帯をコーディネートぽすくまくん…、大きい@@;。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆Facebookページに「いいね!」をくださる皆さまありがとうございます。相互交流までの余裕が
ジメジメ、ジメジメ。霧雨のような雨は傘をさしていても、着物が濡れやすい。こういう時には、ポリの着物が役立ちます。着物の光沢や質感にこだわりがあるほうなので、化繊のものを着ることは滅多にないのですが、低価格であること、洗えること、そして、ポリならでは…ともいえるプリント加工を生かした意匠表現というものには魅かれます。素材や加工の特性を生かしたモノづくりは大好き♡ひめ吉の伊藤若冲の動植采絵「貝甲図」から意匠を抜粋した訪問着。ひめ吉さんのスゴイところは、仕立て上が
太陽の塔へ!/「なんだ、これは?!」その1のつづき^^/衝撃でした…ゴシゴシ(-_\)(/_-)三(゚Д゚)ス、スゲー!いよいよ太陽の塔の内部へ!まず岡本太郎の太陽の塔のラフスケッチが並びます。モダニズムでもなく、西欧的なものでもなく、伝統的な日本的なものでもないもの。そういったものを全て蹴っ飛ばして、原始と現代を直結させたようなベラボーな神像をぶっ立てる、と岡本太郎がつくったのが「太陽の塔」太陽の塔が今の形になった軌跡の変遷が垣間見えて興味深い。
♪〜こんにちは〜こんにちは〜世界の〜国から〜♪日本万国博覧会のシンボル「太陽の塔」言わずと知れた岡本太郎の代表作これはただの塔ではないのです。内部は空洞になっていて、博覧会当時は地下展示と空中展示をつなぐ動線の役割をしていました。「人類の進歩と調和」を表現するテーマ館であり内部には生命の進化の過程を示す展示空間があるパビリオンだったのです。万博終了後、すべてのパビリオンが撤去される中、唯一残され、現在は孤高の境地をあらわしていて、シュールさが尋常じゃない
出羽の織座のレポで思いだしました。今年の春、大阪場所へいった時にいった万博記念公園のレポがまだだったことを…(汗記憶が甦ったところで、アップします!関西へいくときは、羽田〜伊丹での空の移動が多いワタクシ。空港からのリムジンバスで大阪や京都へ向かうときに太陽の塔がみえるので、ああ、関西に来たんだな〜と馴染み深かったものの、万博記念公園へははじめてやってきました。広いこと広いこと…@@;その広〜い、万博記念公園の中に、大阪日本民芸館があります。1970年の日本万
出羽の織座「原始布から自然布の世界へ遊ぶ展」がはじまりました。東京交通会館2階ギャラリーにて開催中(〜7月11日まで)原始布•古代織参考館館長の山村幸夫さんと♬コレ!っと一目惚れ♡したのは、防染の白抜きがパキッと効いた、いかり模様の紙布帯。「錨を下ろす」は、定着する、落ちつくという意味がある良い模様だよね〜っという話になり、今の気持ち的にもピッタリ。出羽の織座は、絹や木綿が普及する以前の織物を「原始布」として定義しています。麻を栽培し繊維を取る以前の古代の人々は野
梅雨寒の東京。八重山上布が心地良い♡良いもの見た後は、オープンテラスでのビールが美味しい♪チョウバン(枡)にトゥイグワー(燕)の絣柄の八重山上布の白上布に皮芭蕉の帯という八重山コーデ。皮芭蕉はぬぬぬパナパナの亀田恭子、経糸は絹、緯糸は煮ていない芭蕉、生芭蕉ともいわれます。帯〆とバッグの色をリンク。着物の生地の残り裂地でつくった花緒のオリジナルカレンブロッソ。八重山コーデで向かったところは、出羽の織座「原始布展」有楽町交通会館2Fギャラリーにて開催中(〜11日
八重山上布をお仕立てした時の残り裂地でお誂えした、きものカンタービレ♪オリジナルカレンブロッソ。きものカンタービレ♪のロゴデザインは、友禅作家の中野スズミさんにお願いしました♡台生地の石畳文様がトゥイグワー文様の絣をよりオシャレに。着物と合わせてみた!いってきます(*゚▽゚*)/
今日は「七夕祭」願い事はされましたか?七夕は、古代中国の乞巧奠の風習と星伝説に日本の棚機女が結びついた節句行事のこと。棚機女とは、豊作をもたらす神の神衣を織る乙女のことで、この棚機女と織女が奈良時代に結びついたことから、七夕の名前の由来になったといわれています。星伝説とは、いわゆる織姫と彦星のお話のこと。娘である機織上手な織女(琴座のベガ)と働き者の牛追い牽牛(鷲座のアルタイル)が結婚したことによって働かなくなってしまったことに怒った天帝が、天の川で二人の中を隔てて引き離してし
梅雨空がつづいていますね。湿度が高くて日照時間が少ないと、気持ちも下向きになってしまいがち。少しでも心晴れやかな気持ちになるように、大人ピンクの装い。小千谷の小田島克明の浮花織の生紬に栗山工房のオーケストラの京紅型の夏帯をコーディネート♬栗山工房の西田裕子さんに、音楽モチーフの白地の帯をつくって欲しい〜、とお願いし、意匠から色までご相談してお誂えした「オーケストラ」帯。型染めの場合、挿し彩色の色違いは手仕事なので臨機応援にできますが、地色に関しては、地色があるものとない
動きやすいかどうかは、結局のところ、着物に慣れているかどうか。着物が運転の妨げになるようなことはありませんでした。振袖に変わり結びの帯のようにシートから浮いてしまうと難しそうですが、お太鼓や半幅帯なら問題なし。車の運転をはじめると、公共の交通機関をつかうことなく、ドアtoドアで移動できるって便利です〜♬そんなこともあって、家着であった浴衣でお出掛けが増えました。自分の環境の変化によって起きた「形式昇格」浴衣で外出するときこそ、だらしがない印象にならないように、
キム•カーダシアンの「KIMONO」を商標登録出願中の問題。それにからんで、海外での「KIMONO」の知名度と認識の話がでていますが、今でも西洋で「ガウンの形状の室内着」のことが「KIMONO」と呼ばれるには理由があるのです。17世紀後半(江戸時代)に、日本の着物はオランダ商船を通じてヨーロッパへ渡り、オランダの知識階級では着物をローブの形状(ガウンと概念が重なる)の室内着へと仕立て直したものが流行します。有名なところでは、フェルメール「天文学者」に描かれているもの。そし
着物のお洒落の醍醐味は、柄に柄を合わせて楽しむこと♬柄に柄のコーディネートは、眼にうるさい?難しい?着物も帯も布を身体に巻きつけ紐で固定するもの。その形状は、じつによくできたもので、半襟、帯あげ、帯〆があることによって、空間をつくったり仕切ったり、バランスよくまとめているのです。総柄模様は大袈裟にいってしまうと無地のような役割を果たします。総柄にはお太鼓柄か飛び柄を合わせるとおさまりがいいと思う。風鈴の意匠は、柄の中に柄。風鈴の中に夏模様が描かれていて何倍も楽しい
皆さんこんにちは♪おかんです!皆さんこれなんだかお分かりですか?ユニクロのエアリズムの男性用のステテコです。自分でレースを付けました。わたしの敬愛するきものカンタービレの朝香さんのブログで教えてもらってからずーっとなつばは愛用してます。汗をかいてもまとわりつかず、とても快適です。洗い替えにもう一枚買うつもりです。是非お勧めします!安くて重宝してます。デハデハランキングに参加してます。▼クリックのご協力よろしくお願いします~♪にほんブログ村ファッション(着
どんよりとした空、ジメっとした湿度。梅雨ですね。手績みの苧麻がつかわれる上布は乾燥に弱く水を好みます。雪国で越後上布や小千谷縮がつくられるのは日本海側は冬も湿度が高いからです。八重山上布も宮古上布も織り手は苧麻糸が切れないように糸を湿らせながら織ります。八重山上布は…、炎天下で着るにはちょっと暑い。なので、梅雨時期や秋雨の頃に最適。狩又幸子の八重山上布。経糸は機械紡績苧麻糸のラミー、緯糸は手績みの苧麻です。捺染絣ではなく珍しい絣括りの八重山上布。帯
7月2日は半夏生で「蛸の日」関西地方では、夏至から数えて11日目にあたる半夏生(はんげしょう)の日に蛸を食べる習慣があることから、蛸の日に制定されているのだそう。蛸の日にちなんで…。ひめ吉の伊藤若冲「魚群図」の訪問着。半夏生は、片白草ともいわれる半夏生(ドクダミ科)の葉が白くなって葉の一部が白く化粧をしたようになるから、半化粧→半夏生という説があります。帯〆は半夏生っぽい色を。半夏生にちなんで、蛸の装いって…、誰かわかってくれるかしらん。半夏生は農家にとっ
「Mybrandsandproductsarebuiltwithinclusivityanddiversityattheircoreandaftercarefulthoughtandconsideration,IwillbelaunchingmySolutionwearbrandunderanewname.Iwillbeintouchsoon.Thankyouforyourunderstandingandsupp
キム•カーダシアンがプロデュースする矯正下着の「KIMONO」が、日本人にとっての着物より普及してしまったら、世界では「KIMONO」の概念がそのものが覆されてしまう可能性がある…。このことに危機感を感じる人は、着物を着る人だけでなく、着物を着ない人の中にもたくさんいらっしゃると思います。そして今の日本人にとって、「着物」に対しての思いや距離感は人それぞれ。一口に「着物」といっても、千差万別、多種多様、千姿万態でもあります。ですが、海外から見た「KIMONO」に対しての印象
「生誕125年速水御舟」展(〜8月4日まで)の内覧会へ♬改めて思ったのは、御舟の発色の美しさ…。今回はこちらの作品のみ、私的目的に限って一般鑑賞でも撮影可となっています。山種美術館は、SNSでの発信を推進されていて早くからこういった試みをされています。着物割引もいち早く取り入れてくださった♡速水御舟「翠苔緑芝」1928年(昭和3年)ひび割れた味のある紫陽花は経年劣化ではなく、御舟の意図的なもの。その技法はご家族にも明かされず今でも謎なのだそうです。琳派の影響が
「KIMONO」を個人ブランド名称化、そして「KIMONO」を商標登録出願中の問題。署名運動やSNSでの抗議運動も大切ですが、何よりも日本人が自国の衣裳について理解することが必要です。着物は元々は下着ですが、その表装脱皮であり形式昇格したもの。平面裁断が特徴です。着物は、過去のものでも、特別なときだけに着るものでもなく、日本人の暮らしとともに発展してきた文化であり、現在進行形の民族衣装なのです。「KIMONO」をブランド名につかうということは、心情的にはともかく、服飾変