ブログ記事47件
今日は、秋晴れで、爽やかに心地良い四日市でした。私は、毎週の母の食料品買い出しに、(今日は、病院と、農業屋もプラス)お付き合いしておりました。4年前に、父が亡くなり、出戻りの私が、母のお世話を(と言っても基本的には、母は一人暮らしです)させて頂いております。私の方は、息子、娘との三人暮らし。すぐには、生活環境を変えられませんので、父が亡くなっても、母との距離と生活を変えず、週1の買い物が、せめてもの、母との時間です。今年80歳になりました、、とにかく、
もう、3年も前のことですが、テラヘルツ鉱石を使ったアクセサリーを宝飾細工のプロのお龍さんに作って頂くようになりました。私の大切なパートナーです。このテラヘルツ鉱石のミラーカットビーズは、私の難聴や、娘のめまいに、大変、役立ってくれました。そして、イヤリングから、ピアス、ピアスから、イヤーフック、と、次々とオーダーを頂き、お嫁入りして行きました。私たちの子供のような存在たちです。最終的に、現在では、主にテラカフ®を作って頂いてますが、時折、イヤリングやピアスも
来週は竜馬とお龍さん、楽しみです~。
今回は、鹿児島編ですね。また、今回も西郷家にお客さん…それでも、もてなす西郷家のみなさん。急に、予告なしにお客さん増えたら困るけどなあ。私だったら(笑)歴史にifを言ってはならないのですが、坂本龍馬が途中殺されなくて、天寿を全うできたなら、違う歴史があったのだろうなあと思うのです。太く短い生涯だったからこそ、記憶に残ったともいえますが。龍馬さんの妻お龍さんもなかなかの人。龍馬さんが、普通じゃないからお龍さんも、当時の普通の枠からは外れていたのでしょうね。お龍さん、糸さん、満寿さん
先日開催したのはもう恒例になったゴスペルパーティ🎶今年は明治維新150年スペシャルゴスペルでした~会場は長州のある町のある酒場Wまずはゴスペル第一部は正統派ゴスペルそして龍馬伝のテーマが会場に流れ・・・・SG一座(仮称)の皆さんの熱演始まる~😆あー、あの龍馬伝のテーマは、名作だわ何度聞いてもゾクゾクしますねそんななか、第二部はこんなセクシーショットから始まりましたそう、ここは慶応2年1月23日京都伏見の寺田屋のお風呂♨️入浴中のお龍は、異変に気付き
hurricane
先日のリュートの演奏会でリュートを演奏してくださった永田斉子さんは実は「月琴」の演奏家でもあります。満月のように丸いフォルム。「げっきん」と読みます。元々は中国の楽器で明治中期ごろまで一般の人々にも親しまれていたらしい。そしてなんと坂本龍馬の妻、お龍さんが弾いているのをそばで龍馬本人が聴いていたという文献が残っているらしい。聴いてみるとお三味線に似た音色で、どうやら和音を楽しむものではなく単旋律を奏でたものらしい。今はすたれてしまい
二日目は伏見稲荷大社へ(((((((((((っ・ω・)っインスタ映えする写真が撮りたかったけど鳥居はものすごい人の波で立ち止まる事も中々できず思い描いてた鳥居&自分だけの写真なんて到底撮ることも出来ずひたすら歩き続けるの巻( ̄◇ ̄;)でも一度はこの目で見てみたいと思ってたので満足v( ̄ー ̄)v次は夫の希望で寺田屋へ刀痕は皆が触るんでしょうねつるっつるで滑らかでした(^^;)龍馬先生と同じポーズで夫ご満悦(・∀・)伏見といえば酒蔵のまち(๑´ڡ`๑)京都といえば月桂
りんごです。高千穂の峰に登ってきました。これ、昨年ですからね~。今、雪だと思いますのでご注意を・・・・九州、鹿児島霧島にある、高千穂の峰の山頂です。前に、宮崎の高千穂に行ったときにここも近いと勘違いをしており、同じ高千穂といえども、全く別の場所と知り、愕然とした覚えが・・・数年温めていたここ、高千穂の峰にとうとう呼んでいただける日が突然やってまいりました~きっかけは、チャネスクの別クラスのHさんが誘
「そして、父になる」(地上波放送)『過ごした時間』か『血』か!?『時間』かなぁ、オレの場合は…生物的には、DNA的には親子でも6年とかの間に教えるコト一緒に経験するコト、そーゆーのーで『オレism』とでも言うのか単なる躾(しつけ)だけではないオレがオレの子供に伝えたいコト…ぃゃ、単なるオレのエゴかのぉ~?しかし、オレが思うのは親から子へ受け継がれるべきなのは生物学的な性質じゃなくて、物事の本質を見極める力とか優しさとか精神的なモノ…(優しさやてw)ンマァ~、映画
鹿鳴館の華・陸奥亮子時代は幕末から明治へと移り変わり、その時駐米公使、政治家として活躍した政治家・陸奥宗光の妻、共に外交活動を展開し社交界では“鹿鳴館の華„といわれ、すばらしい眉であるとも、褒められています。小鈴という名で芸妓をして居た頃、前妻を亡くした宗光に見初められて後添えとして迎え入れられました。芸妓のころは男嫌いとの評判もあり、身持ちも堅かったそうです。陸奥は肺結核で亡くなりますが、3年後の1900年その後を追うように亮子も亡くなります。45歳でした。二人は現在、鎌倉の寿福寺で静
おはようございますヽ(*´∀`)ノ【曼荼羅アート伝授(基礎・応用)@大阪・奈良】*東大阪*新石切パステルアート資格教室FuLLColorWitch(フルカラーウィッチ)ですヽ(*´∀`)ノ昨日は、京都出張~ヽ(*´∀`)ノ坂本龍馬ゆかりの地もご案内賜りましたm(__)m●寺田屋●坂本龍馬襲撃事件のあった場所刀傷や銃痕、お龍さんの入っていたお風呂もあるそうですが、時間が遅かったのでクローズ。外観だけで充分に堪能(`・ω・´)ゞなかなか普段は、これ
先日は、幕末の志士ゆかりの地をご案内しました。その中でも、珍しい霊明神社をご紹介しますね。\(^0^)/坂本龍馬のお墓がある霊山護国神社のすぐ近くにあります。護国神社の前を通り過ぎ、道なりに坂道を登ると大きな鳥居が見えて来ます。足を向ける方も少ない護国神社のその奥に、マニアの方には外せない穴場スポットが!o(^▽^)o明治維新以前、広大な境内を持つここは、尊王派の志士達の聖地。1862年京都で亡くなった長州藩の志士を葬った事に始まり、多くの尊王攘夷派の志士を埋葬するようになりま
今回の幕末関係ツアーのファイナルは、こちらでした⤵伏見の寺田屋~あの坂本龍馬が襲われて、入浴中のお龍さんが助けたところで有名ですね~残念ながら、こちらは当時のままではありません鳥羽伏見の戦いで焼けちゃったらしいです寺田屋の2階から運河を見ますここから物資がいろいろと揚がって来てたのでしょうね⤵寺田屋女主人お登勢さんになった気分で⤵当時は、まだ自動車がないので物資などの輸送のメインは船だったわけですねなのでこういう支流にもたくさんの船が行きかっていたのです今ではこう
こんばんはいつもイイねありがとう昨日の続きになります。粟田神社に行く途中で見つけました。坂本龍馬さんとお龍さんの結婚式場跡京都ってあちこちに何々跡とか遺跡跡が沢山あって地元の人達は当たり前の事だから気にせずに素通りしてるんだろうね〜私もその1人なんだけどね〜興味ない事はスルーかな粟田神社⛩の写真を鳥さん達は出張中でした。粟田神社に行く途中信号先に鳥居⛩確か平安神宮の鳥居⛩だったかな?が見えました記念に写真🤳豊国神社階段を上がり鳥居⛩を潜った先に骨喰藤四郎くんが
たまたま見つけてしまいました。龍馬ファンのあたしと致しましては、買わずにはいられませんでした。味は、普通のコーヒー飴なんですけどね。龍馬とお龍さんのツーショットなんですもの。親は、呆れてたけれど。
昨年、ひすいこたろうさんの「名言セラピー幕末スペシャルTheRevolution!」から、今までなぜそう思わなかったのか、ふしぎなくらい大きな気づきをいただいた。一つ目は、坂本龍馬さんが、お龍さんと手をつないで歩いたエピソードから、なぜそんな目立つことをしたのだろうかとひすいさんの視点を紹介されているところ。私の解釈を述べさせてもらうと、人の命は、それぞれ使命をもっている。(私たちの意思に関係なく)しかし、最初からそれを自覚できていないのが普通。そのお役
平等院でゆっくりし過ぎて駆け足での観光でした月桂冠大倉記念館の駐車場に車を置かせて頂いて先ずは竜馬通りへゆっくり見てまわりたい風情のある町並みです菊桜の資料館もありました懐かしの色っぽい河童の原画がいっぱい昔の酒造りの道具の展示もありましたこちらの資料館は無料黄桜酒場では食事とお酒が楽しめるようです路地を入ってキョロキョロするとありました‼️寺田屋です年甲斐もなくキャピキャピし過ぎて外観の写真を撮るのを忘れちゃった引き戸を開けて一歩入ると龍馬ワールド全開‼️
ここのところ立て続けに3番組で紹介されていた神奈川宿行ってみたくなって出かけてみました県の名前になっているのに今や横浜のおかげで影の薄い神奈川駅があるのでさえ忘れられているのではという感じですが幕末開国の頃まではさぞや賑わっていたのだと思います当時はすぐそばまで海が迫って北斎のあの有名な大波の向こうに富士が見える浮世絵も”神奈川沖浪裏”なんてタイトルでこの地域の中心だったんでしょうねそもそもこのころは今の横浜駅はまだ海の中横浜の地名も外れの寒村だったそう