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シンパチです。明治以前の武士の時代、”武士は畳の上では死ねない”というイメージが私には強かったです。つまりこれって、”武士は病気でなんて死ねない、死ぬのは何かをやり遂げた時だ”というような考え方だったと思います。エスキモーは、例えばおじいさんが骨折をしたりした場合、家の外に自分から出ていくというのを聞いたことがあります。これはどういうことかというと、家族のお荷物になるということは死を意味するということなんですね。人間、生まれた瞬間から、死ぬことだけは決まっています。古代エジプトの
小学生の頃まで、自宅の裏庭に鉄兜が転がっていた。大東亜戦争の時のもので、これを被って防空壕に逃げ込んだらしい。いつの間にか、なくなった。捨てたのだろう。父の話では日本刀、Walthamの金の懐中時計を祖父が持っていたらしい。日本刀は先祖伝来の物を福島から上京する際に持参したのだろう。懐中時計は上京した後に購入したものだろう。しかし、両方とも祖父が遊興費に使う為、売ってしまったらしい。日本刀は先祖を偲ぶ物だから、売らないで欲しかった。せめて売る前に拓を採って欲しかった。皆さんも墓仕舞いや、墓
今日の10月19日(火)は、六曜の「仏滅」です。何を行うにも凶の日です。毎週、火曜日は、岡山市北区問屋町の洋菓子ショップの「スゥエ」さんで占い鑑定を行っていますが、新型コロナの影響で、お店の開店が暫く自粛も有り閉店していて、御客様の御来店が少なく成っています。火曜日と言うウィークデーも有ってか、最近では来店の御客様が極端に少なく成りました。今後の事も考えて(鑑定の曜日の変更など)暫く、問屋町での占い鑑定をお休みする事に成りました。また、再開する時は御報告したいと思います。今後、イベン
タイトルの「お墓」とは、私や夫の親の物ではなく「我々のお墓」のお話です。大した話ではないのですが、長くなりそうなので2回に分けたいと思います(※結論は、まだ出ていません)。先日、夫宛てに某市の福祉課から郵便物が届いていました。「ん?福祉課?なんだろう?」夫に尋ねると、うちの住所が変わったのに変更届が出されていないので出してくれとのことでした。だったら市民課だろうって?実は市営の納骨堂に夫名義のものがあって(!)納骨堂の建て替え予定があるとい
No.0835墓石の持つ見えない力であなたと大切な家族の絆を強くする、福井のお墓掃除のプロ、高見義裕です30年前といえば、1991年当時のニュースを見てみると、雲仙・普賢岳の火砕流で40人死亡湾岸戦争勃発、イラク敗北若貴ブーム、千代の富士が引退ソ連崩壊でロシアにといった記事が並んでいました【図解・社会】平成を振り返る、1991年10大ニュース:時事ドットコムグラフィック・図解:◇国内10大ニュース1位・証券・
駒ヶ根散策マップ千畳敷へ行く時私は地図を持たず行きました。この地図は帰りに日帰り湯こまくさの湯のフロントでもらいました。従業員さんがとても親切でした。ありがとうございます😊まず私は千畳敷へいく前日駒ヶ根のインターを降りて最初の信号を左に曲がりました。大きな通りを行くと北原の交差点にこちらを右折してすぐ左側に一番近くのコンビニセブンイレブンがあります。ここが1番近いコンビニでした。ここでちょっとした物を買いました。セブンイレブンから有料駐
はろー。Muuでーすっ!さてさて、今日は週始め。あの抱きしめてきた人は転職し居なくなったわけです。今日はその空いた穴を埋めるべく私がそこで仕事をしました。隣はいつになくノリの合う独身男が来て久しぶりに沢山喋りました。楽しかった(笑)仕事中なのにね(笑)それは置いといてもう一人の独身男性あの何気にスピリチュアル的な話しも出来ちゃうことを知った人ですが先週、話していてお墓についての話題で盛り上がりました。前から思っていたけどお墓って自分的にはいらないという
白髭神社から法泉寺にやって来ました。それにしてもパークタワーは目立ちますね。まさにランドマークです。山門前に、北斎の摺物(すりもの)の写真が掲示されています。摺物というのは刷物で、今で言うPRチラシです。享保二年(1717)製の銅造地蔵菩薩。あるようで見かけない地蔵菩薩の銅造です。輪光が燦然と輝いています。墨田区の登録文化財に指定されています。五輪塔です。寺島村旧領主多賀氏一族の墓と伝えられています。こちらは江戸期の庶民の墓。これを見て、様々な疑
いやいや。旦那様のお墓は本当に近くで、よく、行くのですが、お花はいちいち立てません😑威張るところでもないけど🤭自宅にお仏壇あるし、ほぼ、毎日お水を替えて、お線香を立てて、お花もある。でもね、お線香を立てると毎回帰りに灰のお掃除が大変でして😅そんな、こんなで。わかります?お線香立て。セリアの灰皿です。中には針金で出来た王冠の小物入れが入ってるの。そこにお線香を立ててます🤭🤭灰で汚れる事がダントツに減りました🙌行くたびに、思う存分、お線香を立ててくることが出来るよ
こんばんは〜哀戦士ひまごろーです。入院前の夏至と退院直前の秋分、2回墓参りをすっぽかしたの思い出したってことで墓参りへ。到着するとウチのお墓は、雑草山盛りあらかた抜いたがが、盛大に種が落ちたので、しばらく草取り頑張らないと明日は名古屋に買い物に出る予定です。今夜はフランス映画🎥観てます。「潜水服は蝶の夢を見る」Amazonのレビューによると、良さげな映画みたい。入院中ケーシーから回ってきたエロ本、その中のラトビア美女が出演してる。お目当
こんばんは。ユンで〜すユン地方は昨日から気温が下がって急に寒くなったんよ先週までは夏日が続いて暑くてたまらなかったのにねー一昨日の夜から毛布を出して寝てるよ😴さてさて、吉野ヶ里歴史公園のお話、最終回なん。前回の北内郭エリアから(きたないかく)北墳丘墓エリアへ(きたふんきゅうぼ)案内板に従って歩いていると甕棺が露出しているん。よく見る👀とあちこちに…。これが甕棺墓列なんやね。(かめかんぼれつ)さらに歩いて行くと台形になった場所に出たと。反対側に回り込む
昨夜は久しぶりに、ダンナくんの両親と食事をしました。地元で老舗のトンカツ屋さんで🐽お義父さまは、外でビールを飲むは2年ぶりくらいだと言ってましたmiyuyuは普通のヒレカツ定食を注文したけど、ダンナくんの両親は、特上ロースカツ定食を頼んでました大きさで言ったら、この↓1.5倍くらいありました。食欲があって何より話題が、お寺とかお墓の話が多くて、ちょっと気が重たくなってしまった大事な話ではあるのだけどね。まだもう少し先のこと、と言うか、今言われても忘
今日の朝食です焼き肉コンニャクのピリ辛煮焼売煮卵フルーツは柿です今夜は十三夜ですね昨日婿殿に明日十三夜ですねって言われなければスルーするところでした孫ちゃん達も大きくなると色々なイベントがだんだん質素になります今夜はススキ🌾も無しです土手も草が生えないようになったし畑や田んぼもなくなってススキ🌾が生えていません!いつもならスーパーで貰ってくるけど今日はスーパーに行かなかったからね今日は久しぶりに日中誰もいませんいつもなら
昭和39年に建てた家に古い日本地図帳があった。大正14年生まれの父の妹が小学校で使ったものだった。叔母の学年組、氏名が書かれてあった。何故うちにあったのか不明である。大東亜戦争の惨禍を逃れ、山形への疎開の際にも持参したのだろう。ただ、その時叔母はとうに小学校を卒業していた。地図の最初の方には日本の領土が赤く表示されて載っていた。台湾、朝鮮、北方領土も赤く塗られていた。後ろの方には台湾、朝鮮、北方領土の詳しい地名も載っていた。しかし、それを家屋を建て替えた時に父が処分してしまった。従
今日は田舎宅に来てますここしばらくご無沙汰していたので季節のお菓子とパンを買ってちょっとだけ義父母の顔を見に行きました義父80代半ば過ぎ義母ちょっと下ふたりともこの土地の出身田舎の人なりに特に義母は私たちに干渉せず大変過ごしやすくさせていただいてますおそらく私にしてほしいことや不満や不安はたくさんあると思うけど少なくともそれをぶつけてくることはしないのでそれだけでもありがたいし立派だと思う私も過剰に気を遣わずできないヨメのままいい具合に他人行儀に
皆様ごきげんよういきなり寒くなってきましたね。。。。イシハラ家、自分なして鼻水ダバダバ流し始めてますYO!!!大変だYO!!皆様も言わずもがなですが体調管理には気を付けてくださいねさて、先週末は市川市営霊園にお客様のご納骨がありました。お花もカラフルににぎやかに滞りなく無事に終わりました。ご納骨の前に必ずピカピカに水拭きをしてお迎えをすることで故人様施主様も気持ちよく過ごすことができます。気持ちの良い気候(ものすごい寒い日もあ
今日は、お休み!群馬マラソンを半月後に控え、今日は、ハーフを走ります。せっかくなので、観光を兼ねて甘楽町まで!群馬県甘楽郡甘楽町!織田信雄を藩祖にもつ織田家の城下町です。写真中央を、流れるのが、雄川堰です。さらに、南へ進むと大手門跡へ!武家屋敷入り口の食い違い!前にも、アップしたなぁ!青空に、映えます。織田家歴代当主のお墓!屋根がつきました‼️23000歩!ハーフで、この疲れ。本番、不安です❗(◎-◎;)
昨日久々にお墓参りに行きました。朝、家を出た時雨が降っていたのでお墓参りに雨は嫌だなーっと思ってたら、行く道中で、少しづつ止んできて山の上は、晴れてました。しかし、風は強いし!温度は、低く(13度)お墓は、朝の雨に洗われて、お掃除楽でした。来週は、パパの誕生日生きてたら、78歳でした。23年前に亡くなったので、どんなふうに歳をとっていたか今では分かりませんが、この歳になったパパに会いたかったな!!年が経てば寂しくなくなるとか
母方の一族のお墓をお守りする役目をしてきました。事情があり7人兄弟の末娘の母の娘私がこんな状態なので何年もお参りにも行けなくてそのうち無縁仏の集団のお墓(?)になることでしょう。心配してくれた親族もいましたがほんの数人・・・なんて愛のない子孫なのだろうと悲しいです。『お守りする』なんて言っても難しいことなどない。お寺のお墓なので年間のわずかな護寺費をお支払いすればいつも綺麗です。後はお参りするだけ。時代が変わったと言えども
皆さんも両親や祖父母の形見をもう一度見直してみては如何だろうか。父は大東亜戦争前、神田の電機学校を卒業した。現在の東京電機大学の前身で、あの円谷英二が卒業した学校である。その後、祖父が社長秘書をしていた王子製紙が建設しようとしていた火力発電所の設計の仕事に就いたが、古参の工員の虐めに遭い、馬鹿らしくなって辞めた。その後、神田に住んでいた父の姉夫婦宅に間借りしていた日本電気の課長に、若い者はブラブラしていてはいけないと諭され、日本電気の入社試験を受けた。当時は社員、工員がしっかり区別され、
おはようございます今日は良い天気ですけど朝は寒かったですね朝起きて少しだけ暖房を入れました…先週まで暑かったのに一気に寒さ到来ですね。今年は短い秋になりそうですね。しかし良い天気ですね今週も頑張ります💪💪💪
先日の日曜日に市営霊園に母とウチのお墓ができた。母はクリスチャンであったのでお墓にお骨を入れる儀式に牧師さんに来てもらった。姉、父、姉の旦那さん。僕からみて2人の大学生の甥っ子。父と母は中学高校の同級生であったので学生時代の同級生の夫婦2組。それから、父の妹。僕からみておばさん。が参列して母を送った。母はクリスチャンで父のお墓に入れるわけにもいかず。本来なら父のお墓でよいのだろうが、遠方ということもあり。それと市の霊園は既に亡くなっているお骨には優先的にお墓の区
今朝は空気がひんやり、一気に季節が進みましたね。今日は、両親が買って準備していたお墓についてです。私が嫁に出たのでお参りに行くのは私の代までのよう、、、無縁仏になりそうで墓じまいをする事にしました。母はご近所の、お隣に住んでるかたと仲良しで霊園まで同じにしたのです。隣人とは毎日のように食事やお茶を共にして、孫同士(私)も夏休みは朝から晩まで遊んだり食事も一緒にしていました。その、今はカルチャースクールやフレンチレストランで教えている、⚪十年前まで朝から晩まで遊んでいた孫にお墓の
こんにちは宮城県仙台市のお墓屋㈲庄子石材店ナオチャン社長こと庄子直樹です雨の日の作業誠に石とゆうのは雨になると扱いにくい特に磨きが良いと水膜で滑りやすくなる・・・・・雨が弱ければ?風が弱ければ?テントを張っての作業?雨が強ければ危険を伴うので作業中止・・・・・唯一雨の日でも作業するのが納骨ですよほどのことがない限り作業中止!延期はありません・・・・・
息子が何やら紙を差出して、『これを書いて下さい。』…といつも通り敬語で話して来ます税に関する作文で、賞を貰ったそうです。その作文や本人の名前を、公表したり機関誌などの掲載を保護者が承諾する書面らしいです現代は…何かと面倒な時代になったんですね⤵『賞もらうなんて凄いな〜そんな承諾書なら喜んで書くよ!』お父さんなんて、今まで人して最低な承諾書しか⤵…と心の中でつぶやきながら。息子が書く詩は、以前から一目置いていましたが…作文も評価されるとは…去年くらいに書
No.0834墓石の持つ見えない力であなたと大切な家族の絆を強くする、福井のお墓掃除のプロ、高見義裕です今朝の福井の最低気温は、7.5℃(AM6:30)いきなり寒くなりすぎ〜ちょっと前は30℃行ったりしてたのに、、、外作業にはこたえる時期になってきましたね体調管理にご注意くださいねようやく秋っぽい雰囲気になってきましたね〜秋っぽくなってきたけど、墓石クリーニングの仕事は
この記事は2019年10月19日にLapisLazuliスピリチュアルブログ(https://www.spirit-lapis-lazuli.com/post/necessity-of-grave)に投稿された記事です。墓・仏壇は必要か・はじめに本日は一般的な日本の家庭にあるお仏壇や、お寺に設置するお墓は本当に必要なのかという点についてスピリチュアルな観点から解説・紹介をさせていただきます。・ご先祖様の加護人は、死後守護霊となり、必要があれば子孫を守護
ボゴール植物園内のチリウン川の脇の斜面の裾,鬱蒼と繁った樹々の陰に,四方10メートル位の鉄製のフェンスで囲われた墓域があって,中に清楚なタイル張りのイスラム様式の墓が3つ寂莫と置かれています。聞けばパジャジャラン王国時代の古いお墓である由,10年ほど前,案内人のような人の持っていた小冊子を見せてもらったところ,門を入って手前のものは王国末期のラトゥ・ガルー・マンカ・アラム・プラブ・シリワンギ王妃のもの,他の2つは,宰相エヤン・バウルと軍司令官ムバー・ジュパラのものとありましたが,当時これら3
明日の朝に書こうと思ったけれど日曜で時間があるので今日のうちに更新します。五色不動尊巡りをしている時ふと、不思議な言葉がおりてきました。それは、「縁を絶てる幸せがある」という言葉でした。その言葉を聞いて、私はすべての謎と心の曇りが、スーッと綺麗に、パーッと晴れ渡る、そんな心地がしました。まさに、青天の霹靂でした。涙が出るほど有り難く嬉しかったです。私一人ですっかりわかっても他の人にはなんのこっちゃでさっぱりわからないでしょうから、説明しま