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祖母の家女3人不思議な同居すぐに見つけ始めたバイト夕方に帰り祖母叔母との時間叔母が泊まり掛けの仕事の時は祖母と2人で力を合わせ作る夕飯たまに顔を見せる叔父たちかけがえのない2年人生のなかで1番自由だった主と結婚するまで暮らした街もうない祖母の家もう居ない祖母ふと降り立ちたくなるあの街
2年数ケ月高卒で働きだした職場が倒産引っ越したのは祖母の家若くして病で身体の自由がきかなくなり要介護認定歩行器を使い暮らしていた同居していたのは叔母長年祖母に縛られ自由をなくしていた実の母と娘遠慮がなく喧嘩の絶えない毎日大きな家に余る部屋自分の物を捨てるだけ捨て私は逃げ出すように地元をも捨てた
苦しかった日々記憶は断片的で倒産までカウントダウンそのなか引っ越し先が決まった逃げ出る事を決めた地元数人の友にだけ話して駅前のスタバ淋しがってくれた友との時間断片的な記憶のなか印象的だった
もう憧れなくても大丈夫。インスタもフォローしてくれたら嬉しいです♡♡♡フォロバするけど私からの申請許可はお任せぇ♡鬼スルーでもおけです♡
雪が降る遠いふるさとなつかしい涙になれ春を待つ想いは誰を幸せにできるだろうあの空はあの風はいまも胸に限りなくあたたかいあの頃へ君をいつかつれて行けたら街の灯が瞳に灯る神様の願いを見た夢だけで終らないことあといくつあるのだろうあの星はあの雲はいつも愛を見つめてた美しいあの頃へ君をいつかつれて行けたらあの頃へやさしさもさみしさもいつも愛を知っていたあたたかいあの頃へ君をいつか...つれて行きたい.......
今夜のスカッとジャパンカラオケ名曲メドレー「誰もが歌える日本の名曲70」母さん歌いながら踊っちゃう私のお母さんもこんな気持ちだったのね一緒にみてたこどもたち他のことし始めたいろいろ思い出すよねーあの頃〜
倒産へ向かう日々の中平行して行われる家族会議と言う無言の時間あんなに父が好きだったからその時間が許せなくなった一言ゴメンと言ってくれたらいくらでも許せるし協力するただひたすらに無言だから決めた仕事に区切りついたら家を出ようと
ご訪問いただきましてありがとうございます。本日は昭和の青春をテーマにお届けしたいと思います。昭和のあの頃、川面に向けて平べったい石を水平に投げて、水面をピョンピョンと跳ねさせたり、海に向かって「バカヤロー!」と叫んだりといったことをドラマで、また、我々自身もしておりました。そんな時代の中村雅俊さんの曲を4曲ピックアップしてみました。①時代遅れの恋人たち青春!懐かしチャンネル!さんより②俺たちの旅A200ifyさんより③ふれあい歌おう!歌詞付だ!さんより
【ある日の楽屋にて】ねえねえしょおくん、見て見て♡何?潤♡ほら、今度インスタにUPする写真。懐かしいなぁ、20年前か〜。あの頃の潤は「しょおくん、しょおくん💕」つってよくひっついてたよな〜。そうだったね〜写真見ただけで、色んな事思い出すねあの頃、恥ずかしくって潤の事ウザいとか言ってたけどホントはさぁ…、なに?しょおくん。デビューが決まった頃くらいに、『潤の事はこれからずっと俺が守ってく❗️』って決めたっつうか…。えっ?なんかさ〜、小さかったし、
家庭の問題倒産へ向かっていく会社てんかんと言う病気そんな時付き合っていたのが主だったもしかしたら巻き込んだのかも知れない家庭なんて持つはずなかった主を人一倍家庭を恋しかった私がブログ書き始めに繋がるまであと数年の道のり
カラオケの十八番は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようカラオケ、十八番なんて何も無いけど。昔、カラオケに行くと必ず歌っていたのは・・・いや、無いです。。。でも、歳的に(今44)歌っていたのはサザンオールスターズやB'z、ミスチル等、みんな聞いて事があるアーティストですね。中でもサザンオールスターズは、生まれ年は違えど桑田佳祐さんと誕生日が一緒っていうのもあって、特にカラオケで歌っていました。桑田佳祐さん1956年2月26日、おれは1976年2月26日歳
倒れた翌日休みをもらい病院へ色々な検査をした結果"てんかん"と言う病名が告げられた脳波に異常があると定期的な通院薬が処方された忘れてしまっていたが幼稚園の頃に入院したこと"元気になるお薬"を毎日飲んでいたことその時の病名も"てんかん"だったらしい
職場のランチタイムのおしゃべりを1つ昨日、ブログにあげた※母の話をしたら※金子みすゞの詩を少女のように語る母年齢を越えて少女の心をもつ母の話同僚がいきなり話出した松田聖子の若さの秘密は『いつでも「赤いスイトピー」🎵の頃に戻れる』という答えだったんですその場にいた女子、あえて女子と言います30年以上前は女子だった女子は深~くうなづいたのでしたそう、誰しもがもつ『あの頃』✨いつだって『あの頃』に戻れるのよ(急に乙女チックに)『あの頃』はきっと純粋な気持ちで
倒産を利用者に通知ここからがしんどかった終の憩いの場知らされた利用者からは悲しさや文句がひっきりなしに大丈夫だと思っていけど案外大丈夫じゃなかったらしい営業中コップ洗い何かの拍子に割れた手を少し切る大丈夫だったはずなのにその場で倒れたらしい気づいた時にはソファーで寝かされ介抱されていた幸いな事に利用者の中にお医者さんが居た次の日休みをもらい病院へ幼い頃に切れたはずの病名を告げられる
高校卒業後選んだ就職個人経営のアットホームな会社まだ未熟な私をみんなが育ててくれた働きだしもう少しで丸3年その日を迎えることはなかった社長が経営していた別系列の経営難私が勤めていた所は業績が落ちることはなく順調そのものでも社長が守りたかったのは経営難の会社だった最初に起業した思い入れある会社経営難の会社を守るために決まった倒産中々しんどい日々の始まり
好きな人のことだけ、考えていられた、あの頃。私の記憶にも、あの時好きだったあの人のことが、ふんだんに詰め込まれています。あの人のことしか、思いだせないほど。勉強は、どうしていたのか。家の手伝いは、ちゃんとやっていたのか、今になってそんなことが、頭をよぎったりしています。青春時代とはいえ、おそらく、好きだったあの人に、ありったけの時間と心を、注いでいたことでしょう。私のことだから。写真お借りしました。私かと思いました。笑青春が、私の色を持つ。透明だけ
借金発覚後幾度となく開かれた4人での話し合いの場話し合いとは名ばかり口を開かない父流れるだけの無言の時間ひどい時は仕事→徹夜の話し合い→仕事→徹夜の話し合い→仕事何も解決しないまま疲労だけが蓄積した借金そのものではなくこうした時間が私には裏切りだった仕事は仕事で苦しさの渦にのまれていく
仕事から帰宅後「パパが借金をしている」と母が伝えてきたこの時私の中ではまだ大事じゃなくて給料の半分以上していた貯金それで返せるなら全部あげようと思っていた深刻そうに無言な母と兄と違い父が帰ってきて「お帰り~🎵」と日常モードだった私だからそれからの日々が辛かったのかな?
作品№:271題名:あかへんStep1画材:水彩サイズ:F4制作:2020/9/12〜横顔に魅され、ただ見てるだけのデート。それだけでよかったあの頃。彼女は大概の事は叶えてくれた。それはダメだと云うときは「あかへん」こそばゆい響き。懐かしく、恥ずかしい、苦い思い出。今日も良い一日でありますように・・・・・
京都伏見桃山でお稽古サロン主宰アラフィフJunkoの個人ブログです個人的な観点から自由な考えや体験を書いていますご理解の上読んで頂ければ嬉しいです**************************************************●金の価格が上がったら金彩も・・・数ヶ月前に比べると少し下がった金の相場あれよあれという間にすごい金額になってるのに驚いてます数十年に1回あの時金を買っとけ
おはようございます🌞のNOAHきゅん地方今日はそこまで寒くないかな??半袖Tシャツ&パーカーです去年はコタツのスイッチいれなくても温かかったよねぇこたつはノアタンの為にあったような物私の足の間でこんな風にくつろぐ姿が本当に本当に大好きでしたもう1度触りたいこのモフモフ感たまらなく愛しい羨ましいくらいサラサラツヤツヤ✨ノアタン大好き❤️今日も1日穏やかに過ごせますように・・・
末っ子女の子父は私に甘かった私は父が好きだったあの日までいや、あの日からも就職して2年を迎える頃発覚した父の借金問題
あんなにも好きだったきみがいたこの町にいまもまだ大好きなあの歌は聞こえてるよいつもやさしくて少しさみしくてあの頃はなにもなくてそれだって楽しくやったよメロディー泣きながらぼくたちは幸せを見つめてたよなつかしいこの店のすみっこに置いてある寄せ書きのはじのほうきみと書いたピースマークみんな集まって泣いて歌ってたねあの頃はなにもなくてそれだって楽しくやったよメロディーいつのまに大切なものなくしたあの頃はなにもなくてそ
世の中にすごむようになった頃から"普通"の言葉が嫌いになり多数の人が右に行くなら左へ雨の日傘をささずに歩くのが好きだったり変わり者と言われる所以進学を選ぶ者が多いなか高校卒業後選んだ就職倒産するまでの日々一所懸命に働いた
自死と病死2人の死生きるとは死ぬとはそんな事ばかり考えるようになった見つかるはずのない問答えを見つけるのに必死だった何も出来なかった後悔ばかりしては自分を嫌いになり世の中にすごむようになり高校の卒業アルバム睨み付けた顔で映る個人写真
確信に気づく時、霧が晴れて、意気揚々と心が弾む時と、それとは逆に、気づいてしまったばっかりに、避けて通れない決断を、迫られる時がある。そのどちらも、同じ様に大事。避けて通れない決断の時は、大きく二つの答えが用意されていて、そのどちらを選ぶのかは、自分の選択。真剣に、一生懸命考えて、答えが出るまで考えようとするのに、こんな時に限って、答えなんて最初から感じてる。覆るか。写真お借りしました。人に理解されたり、よろこばれようなんて思うな。むしろ認められないこ
誰の中にも、忘れられない「あの頃」が、その時のそのままに、あるのじゃないかと思っています。忘れなくちゃと思ったり、忘れたいと思ったり、忘れられないと思ったり、「忘れる」という言葉が、その時々で形を変える。今までも、今も、これからも。一つの言葉が、形を変えながら、人の中で温められていくことでしょう。写真お借りしました。私は、忘れたくない。こちらを♪今朝の気分はこんな感じ。忘れなくてもいい?Miwa
友の死から数ヶ月経った日高校の友人が亡くなった合格発表の日偶然隣に居た君初めましてなのに手をとり喜び合った高校で出来た最初の友人最後に会えたのは闘病中ふわふわの髪は闘いの証に抜けおバカな話をしてたくさん笑ったね"相変わらずだね~"君の笑顔思い出す最後の年賀状捨て癖のある私だけどずっととってある大事に
やはり母は偉大だよねって話に友達となりました。結婚して子供ができてこんくらいの歳にならないとわからないことかも1度家は出たものの自分が大変な時に助けてくれるのが1番ありがたいし感謝だよねと話していました。私の周りはシングルマザーが多いです。母親もそうですし結婚って旦那次第。姑に良いイメージは昔からありませんでした。なんなら結婚して離婚して子供に辛い思いをさせるなら結婚しなくてもいいかなと20代後半まで思っていました。愛情って繰り返されますね。叔母も母親も離婚し