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日本から遥々フロリダの我が家までやって来た妹と高齢で認知症の母のフロリダ滞在1日目の続きです。パネラでスムージーを飲んで、スケッチャーズで母のシューズをゲット。トレジョで妹がおみやげを沢山買って大満足のあとは〜『妹と高齢の母のフロリダ滞在1日目*パネラ、トレジョ、サイバートラックに驚く』12月中旬に行ったメキシコへの旅行記もまだですが、先に日本から妹と認知症で高齢の母がフロリダの我が家へ来た滞在記から始めようと思います。『日本から妹と高齢の…ameblo.jpトレジョの近くあ
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。しばらくブログをお休みしていましたが、年末年始は日本から妹と高齢で認知症の母が遥々フロリダの我が家へ来ていました。『日本から妹が高齢の母を連れてフロリダにやってくる!デルタの車椅子手配etc』初のメキシコCaboSanLucas(カボ・サン・ルーカス)旅行から帰ってきたばかりですが、『メキシコから帰ってきました!-CaboMexico…ameblo.jpデルタ航空に車椅子手配をしていたおか
息子たちは独立して夫とふたり暮らしの50代主婦です。(*^-^*)はじめましての方はこちらもどうぞ↓↓↓今のポンコツぶりを晒しただけの自己紹介アメンバー申請についてはこちらアメンバー申請について=======ことしもよろしくお願いいたします~。(喪中なので控えめ挨拶)ことしのわが家の年末年始はちょっといつもと違う感じで大忙し(?)で。(また書きますね)それも無事に終えて。毎年恒例
昨年12月から母の入居施設を探し始めている。昨年末に既に一か所、見学にも行った(勿論私だけで)。それなりに好感触だったのだけれど・・・気になる点もいくつかありつつの・・・今のところは空室なしだったので、一応仮申し込みをして連絡待ち。待っている間、昨日もまた別のところ4か所程に電話問い合わせをして新たに見学予約も入れたり・・・もう問い合わせし過ぎて、どこがどういう内容だったか、既にごっちゃごちゃwどこも一長一短で、なかなか「ここだ!」という所はないものね。昨日問い合わせた中には、待機人
本日1月6日、冬休み最終日を迎えたリコ。奇跡の10連休を地味に噛み締めている。これが数年前までの時給生活…窮地を救ってくれた年末年始バイトの日々…あの当時を考えると本当にありがたいことだ。ま、特筆する出来事もなく休肝日も作れずに家でひとり呑んだくれることができるのも健康だからこそ。ですよ。この不健康の積み重ねで病気になる可能性は否めないが。平和な平凡な年末年始のなか急に美しいもの、丁寧なシゴトを見たくなり一昨日の4日は思い立ってクルマで一時間ほどの工芸館へ母と出
何が正しいか否かなんて、実は決まりなんて無い、全く無い、価値観の極々近いのが何となく集まり、この程度を良しとしようなんてしている低い程度な訳、ま、集団生活は何か、基準を無理繰りでも作らなきゃ、纏まらないだけの話、実に真実なんて無い、だから、まぁまぁまぁと譲り合って我慢したりもしたりして、似非仲良しグループ見たいな感じで、何とかなって良かったね〜なのだ!阿呆くさ、(--)"もっと貴重な時間を大事にしなきゃ、(脳みそが薄味になっちまうぞ、フッ、)その出鱈目バカチン
何もしないのに、お正月ももう5日こんな自堕落な始まりでいいのか!少々忙しくても、何かやる事がある方がいいね。秘境では、昨日の午後弟達はそれぞれの場所に戻って行った。今回は年末年始9日間の休みがあり、最近では一番長い休みだった。年末の30日、Mくんの車で母とYくんはお正月の買い物に町へ出掛けた。ここ何年かは、パターンが決まっていて県境は越えずに、車で1時間のスーパーに行く。6日間の食材やお酒、果物、猫の餌等思いつくもの
この年末年始の9連休を利用して、日本の妹が高齢で認知症の母を連れて、フロリダの我が家までやってくる事になったって話をしたけどー『日本から妹が高齢の母を連れてフロリダにやってくる!デルタの車椅子手配etc』初のメキシコCaboSanLucas(カボ・サン・ルーカス)旅行から帰ってきたばかりですが、『メキシコから帰ってきました!-CaboMexico…ameblo.jp色々心配した割には、すべてがスムースに事が進んで無事にアメリカに入国◎まずは羽田空港で、チェックイン
「悩みのるつぼ」朝日新聞be2024.12.14.相談:老親に優しくできず嫌気相談者:女性50代回答:過去は無理でも現在は変えられる回答者:政治学者姜尚中さん相談内容:実家暮らしの独身。高齢の母と同居。90代の父は認知症で施設に入所中。80代の母はおおかたの家事を担ってくれて、感謝している。私の悩みは、老親の介護をしているとき、過去に受けた仕打ちや傷ついた記憶がよみがえり冷たく接してしまい、後で嫌気がさすこと。優しくなりたいのに
みなさんおはようございます兄がいた頃は大晦日と元旦は実家に集まり食事をしていましたここ何年か大晦日or元旦の一日だけになりました私も年をとり家で飲むのが楽なこと旦那は洗い物がないので実家へ行ったほうが楽みたいです実家では毎年タラバガニ個人的にはズワイガニの方が好きですがやはりお正月なので奮発去年はウニ珍事件があったり、母の作るおせち料理が段々と手抜きになったりと・・・『元旦は実家に集合❢珍事件発生』みなさんこんばんは元旦の昨日は実家に集合庶民もお正月ということでちょっ
2024年もえ、あと2週間?!仕事に旅行に、とバタバタしていた秋くらいから余計に速かった〜今年いちばんの収穫は、父の望みを叶えられた11月の東京旅行。・・・の中でも、父の元カノの話を聞けたことwwwこれが、いちばんの収穫笑これはその後、しっかりと妹と情報共有され笑、三姉妹の中でも距離が近い長女の私と次女の妹の間でこっそり事ある毎に元カノの名前を出してますモテていた、という父。ガールフレンドは何人もいた、というのですが名前を聞いたのは一人だけ。これは、東京の赤羽
昨日のことです。母の家に行くために、まだ夜明け前の6時過ぎに家を出発!!🚙🚙🚗🚙🚗🚙🚗🚙🚗🚙🚗高速はまだ空いていて、約1時間で母の家に到着しました。合鍵で家の中へ…動けなくなった母は、リビングのコタツで寝ているかも?と思っていたけど、自分のベッドでちゃんと寝ていました。だけど、パジャマではなく、洋服のままでした。部屋の灯りを付けると、母は気が付いて目覚めました。どう?起きれる?ちょっと座ってみるわ…と母。イタタタ…イタイイタイ…痛みに顔を歪めながら、
※満開の彼岸花は怪しい魅力週末、ついに秘境の水が完全に止まってしまった。旧くからの水源からの水は勿論だが、谷川から引いている潅水用の水まで1滴も来なくなったのだ。土曜日、救世主のごとくMくんが帰省した。母はMくんの帰りを待ち焦がれていただろう。幸い天気がよかったので、Mくんは砂利や赤土、鍬等20kgもの荷物を背負って山に登って行った。心配していた倒木や山崩れはなかったので、無事に水源に到着。ところが、水が湧き出ている
1月5日日曜日。今日も快晴でした。子供たちがそれぞれの生活の場所に戻り、また夫婦2人の家になりました。2人で、会話もなく、笑いもなく、リビングで過ごす苦痛これではだめだ!時間がもったいないと、運動がてら、春日大社まで行ってきました。今年の初詣は白鬚神社でしたが、やはりココへ来ないと、1年が始まりません奈良の鹿は今日も穏やかお詣りをして…おみくじを引きました。左…夫右…私なんと!夫も私も大吉でした。気分がいいはずでしたが…いきなり、不穏な出来事
期間限定ひとり暮らしも終わり単身赴任から帰還した夫とふたり暮らしが始まった50代主婦です。(*^-^*)はじめましての方はこちらもどうぞ↓↓↓今のポンコツぶりを晒しただけの自己紹介アメンバー申請についてはこちらアメンバー申請について親思いの優しい方は読んでて気分悪くなる恐れがあるので、今日はUターンして楽しい記事のときに、また来てください~=======前回の記事、多く
我が家の高齢の母風邪ひとつひかないと思っていたら1月2日のショートの帰りから咳が出始め最初は夜だけだったのが、段々痰混じりの咳になって来ました明日から病院も開くので連れていこうと思うけど正月明けで凄い混雑が予想されるし、インフルも凄いし行くのが怖いでもこれ以上酷くなっても困るのでなんとか連れて行きます夕飯は豚汁さつまいもを蒸したものあとは写真撮り忘れたけど唐揚げと白米なんか胃が疲れている感じです年明けから質素な我が家の食卓でした
今朝、日課である母に電話をしたら、『もしもし』という母の声で、あっ!これは体調が悪いな!とすぐに分かったが、案の定だった。3日前に父が風邪を引き、熱があったという話しは聞いていた。でも父はカロナールを服用したら1日で元気に復活したようで、、、『俺は不死身だぁ!』とか言っていたようですがというのも、この風邪も父の自業自得。携帯を新しい機種に変えたら、カメラの性能が良いだのなんだので、この寒い中、何時間も外で朝陽だの夕陽だのを撮影していたようでね、、、、母が『風邪ひくからやめなさ
2回目の記事ですが、最初にー。これは、闘病記とはいえないかもしれません。闘ったといえば闘ったと言えますが、高齢の母は化学治療は行わず、緩和ケアで在宅療養を選びました。悩みに悩みましたが、完治しない病気と言われ、84歳の母の体力を考えると苦しい想いをさせたくなく、楽しいことをして美味しいものを食べて過ごそうと決めたんです。でも、いつ何が起きるかわからない、症状がでるのはいつ、どんな風になるのか見当つかず、仕事を持つ私は不安な日々だったので、母がどう変化していったのか、何をしたのかな
母の名誉のために書くと、自分の身内には暴言吐きまくりの母ですが、外では非常に社交的で明るく評判がよろしい人なのです。(微妙な名誉ww)私がデイサービスへお休みの連絡をした時など、そこに多少のお世辞が入っているにしても、どのスタッフさんからも「いつも明るくて楽しくて、周りのお仲間さんのお世話をしてくれて・・・」と言っていただけるのは、非常にありがたい。端的に言えば外面が非常に良い。その良さをもう少し身内にも向けてくれれば尚良しなのだけれど・・・wさて、そんな母なので、例の院長夫人
母がこの度、掛かりつけ医を変えることになった。母、86歳。今さら?感は私にも勿論あるけれど・・・正直言って、私は母の掛かりつけ医のことをあまり好ましくは思っていなかったので、以前から別のクリニックへの受診を勧めていた。しかし、実家から一番近いということもあって、母はそこへの通院を続けた。私が好ましく思わない理由その①これは以前にもブログに綴ったことがあるのだけれど『母の認知症問題その2』3年振りに前回と同じ総合病院の認知症外来を予約しようと病院に問い合わせをしてみた
父のデイサービスの日は施設の送迎で、実家に9時過ぎにお迎えに来ていただけるので息子と主人を送り出し、洗濯機2〜3回ほど回して洗濯物を干して、ゴミ捨て、お風呂掃除をし9時前に実家に到着するように、急いで家事をこなしてダッシュで実家に行きます。父には、デイサービスの朝は早目に食べてもらうように、前日の夜にお弁当を作って持っていくので、それを朝食に食べてくれていました。お着替えの手伝いと、施設で飲む昼のお薬が入っているかチェックをし入浴後に着るお着替えのセットを確認9時過ぎにお迎え到着、無
2024年もいよいよ終わるという時期に、なんとまさかにコロナ罹患。。。トホホそれも帰省初日の夕方から、、いらぬ土産を持って帰ってしまいました発熱した時から一応隔離しておいてもらう方がよいと思って自主隔離生活をとりましたが、高齢の母にはあまり通じず必要以上に顔をみせては看病を楽しんでいる様子に困惑。。。コロナと診断されてからだんだんと意味を理解してくれましたが時すでに遅しではないことを願うばかりコロナと診断されて少し怖かったのはギランバレーに罹患する2週間前にインフルエンザにか
認知症要介護2になった母が実家から私の家の近くのアパートに無事引越しできる事になり(不動産やさん、オーナーさん高齢の母を温かくお受け入れいただきありがとうございました🙏✨)アパートの契約は1ヶ月半後何十年も1人暮らししており、私や妹の荷物もまだ残る実家の荷物の整理は本当に大変でしたが…それより何よりも…認知症の母…後から気がつきましたが通帳を捨てていました…。その他大事なものも…必要な物も…。私も頻繁に行って荷物整理をしていましたがまさかこんな事になるとは…通帳とキャッシ
【初発乳がん多発性骨転移発症しステージ4を宣告されました。異変に気づいてからの葛藤や苦悩や治療についてを綴っていきます】ーこちらは振り返り投稿になりますーガン告知から変わったことがある見えなかったものが見えてきたこと健康な身体が当たり前ではなかったこと自分は長寿を全う出来ない現実ガンに罹患した方の気持ち抗がん剤のこと病院選択の重要性ガンステージによる違い転移への恐怖心健康に生きることの素晴らしさ家族の優しさや大切さ親友の優しさ残された時間をどう過ごすか考える治療費が
いや〜12月の後半の時間の経過が早すぎて、気がつけば大晦日。お昼に年越しそばを食べました今年一年を振り返ってみましたが、特に大きなイベントもなく、仕事は順調、元気に過ごして仕事も休まず。当たり前のようなことですが、家族が健康でいてくれるからこそ当たり前のことが順調に出来るのだとありがたく感じています。今年は高齢の母と過ごす時間も増やし、サポート出来る体制をつくりつつ仕事をしています。来年は2月に市の文化祭と6月の発表会と言う2大イベントがありますが、生徒さんの頑張りに期待しつつ裏方でサ
今年の愚痴は今年のうちに~~wクリスマスの日に母と行った初めてのクリニック。今日はその記録。結論から書くと。ご新規クリニック、ハズレ。残念~~~!wドクターは、患者である母の顔を一切見ない。顔色や表情観察も一切せず、私にだけ話しかける。行ったタイミングが悪かったのかも知れない。インフルエンザのせいなのか、クリニックは大混雑で、待合では椅子に座り切れない人が何人も立って待っているような状態。そんな忙しい時に、要領得ない年寄りの話を聞くのは時間が勿体ないのかも知れない
こんにちは色々な事がございまして、日本に帰っています。高齢の母のこと、娘達のことなどなど。毎年今の時期になるのですが、友達に会うこともまずありません会いたいのですが、2ヶ月いても時間なし。昨年も母がコロナになり3週間ケアしてましたし、元気ですがなにしろ92歳。時間あれば母のそばにいたいし娘達からも呼ばれやる事たくさん!去年は珍しく前職の上司達とランチができたのは奇跡の時間でした。今年はまだどうなるやら。前職の秘書仲間や先輩に会いたいし、ママ友にも会いたいし、親友
今日は姉を迎えに行き母の老健に一緒に行きました姉は一度自分で老健近くまで行ったんだけど道がわからなくて帰ってきたことがあると話していた姉としては母のように認知症になってきて暴言だったり変化してきたことがなかなか受け入れるられないようです母のところに行くという気持ちもなかなか無い様な感じ母は姉をすぐに分かって昔の姉の友達のお母さんの話になっていました姉は子供の頃から社交的で友達も多く仲良くしていた友人とそのお母さんなど母とも仲良くてそうい
ご訪問ありがとうございます。2019年8月に脳腫瘍がみつかった母の入院生活を記憶をたどりながら書いています。●術後10日目、2019年9月12日病室へ行くと、「娘さんが来たら声をかけてって言ってたよ」と母に言われ、一人で面談室へ。病理検査の結果について主治医の説明を受けました。グリオーマのグレード4。最も悪性の神経膠芽腫(グリオブラストーマ)確定。入院当初から言われていたことが「確定診断」となりました。「右前頭葉神経膠芽腫」予後は化学治療や放射線
今日も1日無事過ごせました母が毎日心配して連絡をくれます。私と同じになってしまったと泣いています。何故か私が元気付けています。母はなんで死んじゃったんだろうなって毎日考えちゃうとお父さんどうして守ってくれなかったのと私の気持ちがわかるだけに高齢の母の心労も計り知れないものがあると思います。みんな悲しみは様々です。残された者達は悲しみを背負いながら生きていかなければならないのですね。パパ、私はどうしたらいいの?この先に人生の答えは見つかるのでしょうか?いつか一緒に見た景色ア