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今日は元倉照空中隊陣地を紹介します。場所はこちら。(北九州の防空についての概略はこちら→→→)北九州市門司区と小倉南区の境界に位置する「元倉」には高射砲第132連隊第13照空中隊の本部が置かれており、小倉地区警戒網の右翼側、周防灘方面からの敵機侵入に備えていました。戦時中の部隊配置図/編成表を見ると、「元倉」の名前が登場するのは昭和19年(1944年)以降終戦までとなりますが、開戦時よりこの地域には照空部隊が展開していましたので、戦時中は一貫して「元倉」に中隊本部が置かれていたか
西照空中隊陣地は、小倉南ICから下った東谷地区の標高120m付近(山名は西谷山)に設置されました。おおまかな場所は下記リンクにて。『北九州の防空①~概略』本日から新しいカテゴリーを投入します(・∀・)大東亜戦争3年目となる昭和19年(1944年)に入ると、米軍機がインドを経由して中国大陸に進出してきました。中…ameblo.jpここは高射砲第132連隊第15照空中隊の陣地で、展開地域に自身を含めて6つの照空隊を配置して北九州防空の南側を警戒していました。なお中隊陣地だったこと
まずは見取図を掲載します。後編では、北東部から南東部に移動して遺構を見ていきます。まずは、南東部に上がる手前にある「水槽」です。大小2つあります。大きい方は烹炊所の所にあった物と同型かな。南東部の丘陵地に上がると、まず最初に「円形窪地」が目に入ります。さらに「円形窪地」の中央に、コンクリートで囲われた円形の窪みが見られます。コンクリートで囲まれた円形の窪みを計測すると直径3mほどでした。前編でも書きましたが、この「円形窪地」には照空灯もしくは聴音機を設置していたの
北九州市八幡東区にある皿倉山(標高622m)と、その南西に位置する権現山(標高617m)には、大東亜戦争時に陸軍の高射砲陣地と照空陣地が置かれていました。「北九州の防空」の概略はこちら→→→西部高射砲集団の配備要図で場所を確認します。八幡市(当時)には日本の鉄鋼生産高の3割を担っていた日本製鉄の八幡製鉄所がありました。守るべき重要施設として周囲には数多くの高射砲が配備されましたが、皿倉山および権現山に置かれた高射砲隊もその一つで、それぞれの山に7㎝高射砲が6門ずつ、計12門置か
栗林閣下は摺鉢山に海軍南砲台・摺鉢山砲台を配し敵が上陸してくれば、千鳥ヶ原付近に誘導、摺鉢山と島中央部に布陣する大阪山砲台・元山砲台から集中攻撃にて敵上陸部隊を殲滅する作戦でした。ところが摺鉢山の各砲台は17日の偵察揚陸艇の接近に対し発砲。接近した12隻全てに損害を与えましたがその所在を露呈してしまい、艦砲・空爆によって敵の本格的上陸前に沈黙してしまいました。19日、敵が上陸を開始し海岸線に揚陸後橋頭保を構築中に砲撃