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日置氏(へきうじ、へきし、ひおきし)は古代の高句麗の地に活躍した秦氏の一派であり、日本海を越えて日本列島に渡来した天孫の出雲臣族である。参考①-1日置氏(へきうじ、へきし、ひおきし、wikiより)高句麗系渡来人の末裔とされる古代日本の氏族①-2高句麗系渡来人の有名な渡来地に埼玉県日高市の高麗神社がある(参考)①-3高句麗と日本は価値観を共有する間柄であり、四神思想を持つ古墳を作った(参考)①-4関東平野には高句麗人、百済人、新羅人などの渡来人が入植・混住して、関東・東北地方を
遣隋使や遣唐使として、日本は東アジアの大帝国の隋や唐に使節を派遣した。特に、最澄や空海が唐に渡って仏教の奥義を授けられたり、鑑真が日本に渡って来られた。現地の科挙に合格して官僚になった阿倍仲麻呂や、現地で三蔵法師になった霊仙と言う日本人僧もいる。隋や唐の支配者の皇帝は騎馬民族の鮮卑族であったが、どうも日本民族が元々、大陸に活躍していたころから同じ価値観を共有し、言葉(原日本語)も大体通じていたようだ。雑談また、楊貴妃が日本に逃れたとの伝説が山口県の北西部の長門市の向津具半島にあるが(参考)
渡来系氏族、秦氏は朝鮮半島の任那から渡来してきたことは、史実として認められているところであるが、ルーツは中国、朝鮮の何処かであろと通説では考えられていた。しかし、男性のY染色体のD2系統に着目すると日本人は元々、アジアを飛び越えて地中海、中東の人々に近い。縄文時代以前からユーラシア大陸の北のモンゴル経由、南回りで日本に渡来し、またはD系統以外の民族に駆逐され、中国大陸や朝鮮半島の他の民族と混血・定住することはほとんど無かった。弥生時代、O2b系統のY染色体を持った渡来系弥生人が西日本を中心に定
(奈良県桜井市山の辺の道)いったい日本人というのは、何民族なのだろう。「そりゃあ、農耕民族に決まってるでしょうよ!」と、ほとんどの人が言うだろう。しかし、もともとはどうだったのだろう。四方すべてが海に囲まれている国の民が、なにゆえ「海洋民族」ではなく、「農耕民族」となったのか?そういう疑問がある。もともとは「海洋民族」だったのに違いない。そういう希望的思いが僕にはある。証拠もある。「卑弥呼」と「邪馬台国」についての記述がある「魏志倭人伝」には、こういう記述があ