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まずは見取図を掲載します。9㎝加農砲が2門配備された「砲座A」です。左側の加農砲据付部分です。床面には方形や弓型の凹みが見られます。なお胸墻の凹みは即用弾丸置場です。右側の加農砲据付部分を見ろしています。据付部分の用途を記してみました。ココに置かれたのは9㎝加農砲。こんなヤツです(お粗末w明治20年代半ばに制定された加農砲ですが、この火砲には駐退機が付いていなかったので、砲弾を発射するとその反動で砲ごと後ろに下がってしまい、次に撃つ時にまた元の位置に戻してやらないと
旅順要塞とは、遼東半島先端部の旅順にあった要塞。近代において旅順軍港は清帝国、ロシア帝国、大日本帝国、中華人民共和国に利用され、その軍港を防衛するための拠点として旅順要塞は建設・運用された。清は19世紀後期に旅順に北洋艦隊の基地を置き、その防衛のために旅順の要塞化が始まった。日清戦争では日本軍の攻撃を受け、1895年11月下旬に旅順口の戦いとなったが、清国軍の士気は低く短時間の戦闘で陥落した。日本海軍は旅順軍港に旅順口根拠地を置いた。日清戦争後の下関条約
371高地高射砲陣地兵庫県神戸市中央区茸谷町起工:昭和17年(1943年)11月以降、竣工日不明備砲:88式七糎野戰高射砲担当:高射第123連隊(高射第3師団隷下、旧防空第13連隊)撤退:昭和20年(1945年)6月以降、撤退日不明写真右の青谷摩耶橋方向から九十九折りの軍道は、大阪からの物資の輸送に使われた。引用:米軍航空写真(M84-1-49国土地理院)旧摩耶道から学校林道が分岐する地点の少し南にある小ピーク、摩耶山系の東山(砲台山)の山頂(標高372.6m)