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ここんとこ良く行く場所。関西大学の博物館の簡文館(かんもんかん)。職場からも近いので、訪問介護の合間にも通ってます。博物館入り口近くに藤ノ木古墳の石棺の復元が有ります。石棺の赤が、目に飛び込みます。水銀と漆で鮮やかな赤(朱色)。そして、その石棺の周りには、たくさんの出土品の美しい写真。藤ノ木古墳の被葬者は、お二方だとか。まだ確定ではありませんが、有力候補とされているのは、穴穂部皇子(あなほべのみこ)。欽明天皇の皇子です。そして、宣化天皇の皇子の宅部皇子(やかべのみこ)も一緒に埋葬
この春は、関西大学の桜を堪能しました。「関大に高松塚古墳の壁画の復元したん、見れるよ。」息子が教えてくれました。「お母さん、古墳とか、好きやろ?」関西大学に博物館があり、その前のあすかの庭に、ガラス張りのお部屋があります。そこに、壁画が再現してる置いてあるんです。高松塚古墳壁画再現展示室|関西大学博物館50年以上の歴史を誇る文化遺産学研究の拠点。貴重な実物資料を展示・蒐集している関西大学博物館。調査研究のほか普及活動も充実しています。www.kansai-u.ac.jp詳しくは
息子の部活顧問との進学先相談がありました。だけど私は行かず旦那にお願いしました。なぜなら、その先生とは一度恐ろしく揉めているので💦またケンカしても困りますしね…定年前の昭和な先生。口からでまかせ👄も多くその時その時で話も変わるし。正直、今の時代から逸脱してるけどこの人にお世話にならないとスポーツ推薦はもらえないんですよね。(なんだかな〜😅ホンマに嫌です)前に息子が聞いてきた内容は以下の通りで。関関同立は❌早稲田は推薦はできる(受かる保証なし)今日旦那が聞いてきた
\HELIOSPOWER'22まであと14日/本日はHELIOSPOWER'22をもって引退する4回生からの特別メッセージ企画第3弾です☀️︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎︎☁︎︎*.┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈︎︎☁︎︎*.こんにちは!本年度、トレーナーを務めております甲斐杏菜です⛄️この場を借りて、4年間の思い出と感謝の気持ちを伝えたいと思います。私は併設校のHELIOS出身だったこともあり、新歓期間に行っていた大学HELIOSの体験会になんとなく参加しました。そこで高校からの先輩
被災してからでは遅い能登半島地震で試される「考動力」奥村与志弘・関大教授防災リレーコラム(産経新聞)https://news.yahoo.co.jp/articles/99d66bdabb0f7e5f0605a2455d711ce41f198e28被災してからでは遅い能登半島地震で試される「考動力」奥村与志弘・関大教授防災リレーコラム(産経新聞)-Yahoo!ニュース能登半島地震から3カ月が経過しました。個人や家族の一員、地域の一員、会社の一員として、被災された方々のために
「マネージャーの方ですよね?」「いえ、私は主務です。」マネージャーとしか認識されない悔しさと、少しの苛立ちと、情けなさを感じる、この会話をする機会も、私が過ごした1259日の関大サッカー部生活も、全て。2023年12月24日(日)で終わりを迎えます。はじめまして。本年度、関西大学体育会サッカー部主務を務めました、中西歩と申します。このブログが、日本中、世界中に居る、サッカーを愛する人へ、そして、私が命よりも大切な関西大学体育会サッカー部と部員の皆、
一柳:哲平はなぁ単純やから、俺の対人関係のモルモットにしてるねん。モルモット下村です。モルモットとは医学実験用のテンジクネズミのことで、比喩的に「実験台にされる人」という意味でも使われる。強く生きよう。笑3回目のブログです。ブログを書くと言うことは本当に素晴らしいなと思う。みんなの熱い思いがあって、新しい発見もある。でも、文字に起こすことでどうしてもニュアンスが変わってしまうような気がする。またブログに書ききれないほど、面白い話をしてくれる人もたくさんいる。だから、ブログを読ん
今日は塚原サンクラブさんに招待いただき関大カップ2023U9に参加してきました関大高槻キャンパスのお祭りの一環とのこと関大一高が使っている人工芝とってもいい環境での一日大会5チームの総当たりだ今日こそ今日こそは優勝トロフィー持って帰るぞ1試合目は高石中央JSC◯3-1土曜日に練習した駆け引きが少し出せていたけれど一瞬の気の緩みを突かれて右サイドの角度のないところから左足の強烈なミドルを見舞われるどこからでも打ってこられることを体感できたんじゃないかなまずは自分のマークにボール
こんにちは。新2回生ATの酒井拓真です。今回は新入生に向けて、色々書いていこうと思います。まず、なぜ僕がラクロス部に入る事になった、きっかけからお話しして行こうと思います。僕は高校生の時、部活には所属していませんでした。中学生の時は軟式テニス部に所属しておりましたが、高校では軟式テニス部が無く硬式テニス部しかありませんでした。僕は軟式テニス部に入る事しか頭に無かったため、高校は青春を諦めました。大学1年の4月の時も無気力な僕は何もする気はありませんでした。友達に誘いを受けて行ったオールラウ