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これは…大変ありがたいものを手に入れましたな?本日、身体障害者手帳(1級)を受け取りました。赤ちゃんだからと医師によっては1歳頃まで診断書を書いてくれないケースが多々みられるようですが…大変ありがたいことに小児慢性と手帳を同時進行で取得させて頂きました。手当とかの申請を優先して動いた1日だったばかりに時間がなくて小児慢性の受け取りはまだしてないけど汗今となっては小児慢性って何に使えるんだろう…本来、手帳を作ることが無い身体の状態の方が息子も生きやすかったと思います。うん。将来的に
書こう書こうと思っては手が止まり書けず。気づけばどんどん時間が過ぎていき我が家の周辺も桜満開です。こんなにも切なくこんなにも苦しくこんなにも悲しいこんな桜があるとは。さえに会いたい。苦しくなるほどに。さえを抱きしめたい。1年前は入学式でした。小学校卒業は難しいかな…なんて少しは現実を覚悟してた。でも…2年生も難しいなんてね…朝、さえを抱えてバギーまで移動する時さえがちょっと嫌そうな顔をして私をチラ見。さえちゃん学校だよーと言うとふんっというかちっ…
1年前の今日さえの初めての胎動を感じた日。お腹の空気が動いたような不思議な感じ。この日が初の胎動と気づいたのは何日か過ぎたあと昨日は家族3人で出掛けていてお昼ごはんを買いにコンビニへ入ったときのこと。おにぎりコーナーでオムライスのおにぎり←薄焼き玉子でケチャップライスが包まれてるやつを見つけてあ、これ美味しいやつ。好きなやつだ。何気なく思ったその直後一気に蘇る記憶。無意識に奥にしまっていた記憶。思い出したくない記憶。妊娠中、まだ働いていたときつわりで朝ごはんが食べ
先週定期受診で大丈夫って話をしたのにおととい夕方5月以来の頻脈発作。脈は160台。いつもの発作より軽い感じ。20分くらい様子みていつものことだけど止まる気配はないので頓服のワソラン内服。5月の救急で処方してもらったので頓服を使うのは初めてでした。前回の救急でワソランの点滴でも15分は止まらなかった。内服だともっとかかるよなぁ循環器内科の先生からは内服だと止まらないことも割とある的な話をされたこともありちゃんと止まるかなー?でもいつもより頻脈の程度としては軽いから止
出産後、3日目に赤ちゃんのいる病院へ転院。お腹は当然痛かったけど帝王切開の傷なんてそのうち治るから、赤ちゃんの方が苦しいんだと思えば、なんてことなかった。私のこれまでの人生、大病やケガもなく。入院というものが自身の誕生時以来です。転院してすぐに夫と一緒に赤ちゃんの面会へ。初回面会のみ夫婦一緒に面会できるとの事。少し救われました。沢山の機械に繋がれている我が子の姿を1人で見ることになっていたら…その場で取り乱していたかも…でも、夫は1人で赤ちゃんに付き添い、1人で面会したんだなぁ
生後4日の夜、低体温療法を終えてから、不安定ではあるものの自発呼吸をするようになったれいちぇる。急性期を脱しました。眠くなる薬はとっくに効果が無くなっているのに、目を覚まさない日々。毎日毎日面会に通って現実を受け入れられなくて精神削って、でも会いたくてまた通う。目を覚ます前のれいちぇる。休日ごろごろするお父さんってとこでしょうか。そのうち、手足を動かし始める。反射?くすぐると嫌がる素振りなんだけど…小さな声で『ひゃあ』って泣き声が聞こえた時にはいよいよ私の頭がおかしくなったのかと
思いの外沢山の方にブログを読んでいただいて、本当に嬉しく、同時に驚いています。フォローしてくださった方、いいねしてくださった方、たまたま記事を読んでくださった方もありがとうございます!第2子である娘の新生児死(2020年10月)について書いています。見たくない方は閉じて下さいね。娘は2020年10月に在胎週数37週3日緊急帝王切開をして体重2850g身長46.0cmで生まれました。しかし出生時重症新生児仮死(5分後もアプガースコア1点だったそう)で蘇生しても心拍・呼吸ともに
すでに2回目のMRI検査の結果を受け、退院に向けて少しずつ少しずつ前に進んでいますれいちぇるは誕生時に呼吸がなく脳に酸素がまわってなかった為低酸素性虚血性脳症となり障害を受けました。大脳基底核・視床を中心にダメージを受け、受けた部分は萎縮しています。脳ってこんなに無くなるんだ…脳の画像が衝撃的すぎて目の前がクラクラ。一度ダメージを受けた脳は治ることがありません。れいちぇるは生まれて早々に治ることの無い大怪我負って生きています。大脳基底核は随意運動の調整など、運動機能に関わるようです。
さえの最期のときからついさっきちょうど半年になりました。半年前の今頃は血の気のなくなったもともと色白のさえがさらに真っ白になりそんなさえを抱きしめて号泣していました。ただすぐにエンゼルケアがあるので病室から出ていろいろさえパパと話をした気がします。りょうたは爆睡中。今も何度もその瞬間をフラッシュバックのように思い出し悲しみと苦しさに押しつぶされそうになります。さえは幸せな7年2か月だったのかな。ママは最高に幸せだったよ。さえが生きて産まれてきてくれ
実は、R病院を退院する時にもらった書類を全てコピーさせてもらいました(R病院を全く信用していないので、そっと開けて勝手にコピーしちゃいました)そしたら、知らない情報がズラリ。説明されてないことが載ってて驚きですそのままPDFにして載せたいけど、見にくさ満点なので書き写しました。(重複してるところもあります)【入院時診断名】①重症新生児仮死②新生児呼吸障害【退院時診断名】①重症新生児仮死②新生児痙攣③痙攣重積発作④低酸素性脳症⑤てんかん⑥鉄欠乏性貧血【入院時問診】出
4月17日(火)7時33分ひかたんがお空に旅立ちました。16日(月)は記事にも書いた通りひかたんは穏やかな顔をして調子も良く一緒に抱っこしながら過ごしていました。退院の目処もたっていて私たちの希望としては家族みんなの風邪がしっかり治ってから連れて帰りたかったので土日あたりにしてもらおうかなぁなんて話をしていました。ひかたんも少し痰と鼻水が多めではありましたが、熱もなく呼吸状態も非常に安定していたので、明日からお風呂にも入りましょうと看護師さんと約束をして帰りました。今思えば…いつも家
入園、入学、卒園とバッタバタしてます…りょうたは先週金曜日に卒園式でした。相変わらず、慣れない場所や状況に対応できない殿なので、卒園式の間ずっと私にしがみつき離れず、席にも着けず歌も歌えず、ひたすら母にしがみついてる謎の式となりました…基本、保育参観も毎度そうだったので、でしょうね…な、結果だったのですが。明日で今の保育園に行くのは最後です。りょうたは全く分かってないですが、私はいざ園が変わるとなるとめっちゃくちゃ不安です。そしてやっぱりちょっとしんみりしてます。今の保育園は、も
もうだいぶ経ってしまいましたがさえちゃん今年も無事にお家で誕生日を迎えることができました5月25日さえちゃん7歳になりましたあの日から7年。今年は学校で忙しすぎてさえや私自身の体調不良もあり当時のことを思い出すことは少なかったけど当時に思いを馳せれば苦しくなることだらけ。それでもさえが生きて今もそばにいてくれて一緒に時間を過ごせることはやっぱり幸せなことのほうが多いかな。私が看護学生だった頃、当時の教科書には、さえのような重症心身障害児の多くは小学校就学前に亡くな
おっぱいだと思われるところをパーーーンチ!うん、一応そこ、おっぱいなのよトマたんママから教えて貰って抱っこ工夫中。最近始まったお薬の副作用か、分泌物がすごくってすごくって湧き水の如し。でしたが、一昨日から中止して昨日はちょっと多めで硬めのゴロゴロ、今日は量がかなり減ってゴロゴロしてないけど硬めのがたまに吸引される…という具合で、あの分泌物の量は副作用だったんだなーって実感してます徐脈に至るまでの窒息事件起きてますからね。分泌物で溺れたって事だよね抗痙攣薬だったのですが、事前に分泌物
突然ですが和笑ちゃんの病気のことママが認識していたことと少し違っていました昨日、公益財団法人日本医療機能評価機構(産科医療補償制度運営組織)から封書が届き『原因分析報告書』という文書が同封されていました。そこに記載されていた和笑の診断名は“重症新生児仮死”“低酸素性虚血性脳症”でした。ママの認識してた「新生児仮死」や「低酸素脳症」よりう〜んと重症っぽい…(笑)そんな和笑ちゃんは生まれてすぐに低体温療法のためこんな姿でいて低体温療法が終わってからも無数の
よく目の前に出されるこの黒いのなんだろー?カメラって言うんだよー追視しない息子ですが、しっかり起きてる時はカメラに反応してる。ような気がする。目の細かな動きとか。去年末から最近まで連日ダイアップで眠い日が多かったからか、しっかり起きてるが最近少しずつ増えて小さな変化を感じてます少し前から席替え(ベッド移動)をして、まだ日も浅いのですが我々の特訓生活が始まってます。なぜ移動したかって、退院に向けて自立するためなのですが…どこまでが親の判断でやっていいものなのか細かなルールや説明を受けて
先日さえちゃん無事に特別支援学校小学部入学しました今年の小学部の1年生はさえを含めて8人でした。1人は訪問籍。医療ケアがっつりなのは訪問籍の子とさえともう1人通学の子3人だけな感じでした。とりあえず、みんな可愛いこれから当分付き添いなので、みんなの可愛さに癒されてなんとか乗り越えようと思います。さえの担任の先生…年配の小柄で細い女性の先生…もちろん1人で移乗したりしないだろうけどさえちゃんなかなかのずっしり感だけど大丈夫??と思ってしまった大丈夫なんだろうけど、不安
やっちまいました…寝過ごして今日の0時〜のさえの注入…すっ飛ばしてしまいました…ちょっと横になろうと横になったのが23:05寝過ごしたらダメだからとアラームかけて…目が覚めたら6:00ってなにー!!!最初状況がよく分からずあれ?さえの注入…やったか?え?やってなくない?え?でも、え?はいー。仕事なのに寝坊した時ばりのパニックー。0時の次の注入は6時。はい、もうどうにもできません。ちなみに過去4時前に目が覚めて慌ててとりあえずソリタ200mlだけ入れるってことはした
こっそりさえにクリスマスプレゼントを購入。さえに気づかれないようにさえがいるリビングには持ち込まずコソコソ玄関すぐの部屋に置いてしれっとリビングへ。さえちゃんただいまでもしばらくしてふと思った。あれ?これこの一連の流れさえ見てるんじゃ…ママバレてるよ空から見てますよ全部って。多分バレてる?プレゼントを見ているとき店員さんにお子さん何歳なんですか?7歳です。去年はランドセルとほかにもプレゼントを選んで…なんて会話したり。1年前の今頃は…2年前の
続き、出産③出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日もうその後の時間の流れは記憶がありません。静かになった手術室で吐き気のする中淡々と閉腹され、病室へ運ばれました。麻酔で足が動かず、発熱で寒気がある中1人になってようやく何が起きたのか理解しました。夫に送った産後初めてのLINEは“ごめんね”赤ちゃん守れなくてごめんね。夫婦とお腹の赤ちゃんととっても楽しく過ごした妊娠期間。想い出が沢山です。あれだけ元
さえへのパワーありがとう。7歳2ヶ月ちょうど。お空へ。9月10日四十九日です。気持ちの整理がつかずまだこの記事が精いっぱいです。
転院してから毎日慌ただしくとてもたくさんの検査をしてもらっています。そして脳波の検査を受けたあとに医師4人と看護師長さんと私たち夫婦とで別室で話し合いを行うことになりました。そこでミツキの今の状態をとても細かいところまで話してくださいました。脳波の荒れに荒れた波形を見せられて「ウエスト症候群です」といわれました。ミツキの全身をビデオ撮影しながら少し長い時間での検査だったのですが脳波の波形の1ページが10秒間あって、端から端までの波形すべて荒れていて、その状態が検査の最初から最後までずっ
妊娠9ヶ月沖縄から帰ってきて、少し心配だった検診。結果は問題なく、順調でした。この検診が結局最後の検診となりました。ひかたんが生まれる11日前でした。今思えばなのですが…ひかたん妊娠中のお腹はこの時フワフワしたようなお腹ではなく、硬めで突き出るような形のお腹でした。一人目の妊娠の時、+14kg二人目ひかたんの妊娠は初期の頃から体重管理をしっかりしようと、食事は腹8分目にして毎日食べ過ぎないように心掛けていました。そのため体重はこの検診の時で+8.8kg。体重増加を抑えている
出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日6:30起床。とっても軽い生理痛のようなものを感じ、これは前駆陣痛ってやつなのかな??そんなふうに思いながら一応間隔を測る。間隔6〜10分…痛くないけどすでに10分を切る。ひとまず朝ごはんを食べたり、いつも通りにすごしてみるけど間隔が短いことが気になり出す。11:00母から電話。私の夢を見たから電話してみた。と。母は時々私が夢に出てくると電話をしてきます。間隔
36週、2600gで生まれた息子。ぎりぎり早産の週数ではあるけれど、もうほぼ正産期に近かったし、体重も十分ある。無事に生まれると思っていた。息子は重症新生児仮死だった。15分間の無呼吸。脳に障害が残る可能性は約10%と小児科の先生に言われた。10%の確率・・・こわい。一生がかかっていると思うと、10%はすごく怖かった。脳へのダメージを最小限におさえるため、新生児低温療法というのが行われた。72時間の間、33.5℃まで体温を下げる。(寒かったろうなぁ~・・・)とにかく
実にハルウララですね。なんならもうちょっと夏虚ろなところもありますが、未だ少し桜も残っていていい感じ。さて、以前インクルーシブ遊具のある公園を見つけてたのです。退院して、気候がよくなったらみんなで行きたいね、って。そこにはネットで出来たブランコがあったのです。ときのぶさん、ブランコデビューさせようと思ってたんですよ。なんなら長男あきのぶと一緒に乗ったツーショットとか撮れたら、もう鼻血モノ。でもね、今日、わくわくでいったらそのブランコ撤去されてたの・・・誰や無茶な
メンタルがばきばきです。久々かーなーり久々にPICU入院です。初めてエアウェイを入れられてます。あとはネイザルハイフロー。これ以上できることはないと。またさえの頑張りに頼るしかなくて申し訳ないけど…まだママは一緒にいたいよりによって今風邪を引いててしばらく面会すらできないさえに力をお願いします
あの報告から数日後お嫁ちゃんの検診に一緒に行って先生に相談してみると言って、一緒に病院に行きましたが(ゆいとのいる病院です)東京都の周産期センターに指定されている病院だけあって、予想以上に待ったため、仕事に間に合わないということで、息子は諦めて仕事に行きました。結論は出ず…と言っていましたがお嫁ちゃんは産む気満々でした。お嫁ちゃんの検診代は普通の3倍かかり息子は全然お金がなくなってしまいその日も朝から何も食べられず夕方5じに仕事が終わる予定のお嫁ちゃんを待っていましたが、なかなか帰
れいちぇる、無事GCUへお引っ越ししておりました看護師さん達が事務作業するデスクの真ん前を陣取らせて頂いております。ご配慮ありがとうございますNICUでお世話になった看護師さん達も顔を見に来てくれたり嬉しい限りです特に看護師長さんは普段かられいちぇるより私のことをとてもとても気にかけてくれるんです。今日も声を掛けて頂いて。産後2週間で体重10kg減、面会時の体温が34度台などなど、the不健康!な母親を見兼ねて身体やメンタルの心配をして下さるのですが、母親が入院中の子どもより心配されてち
今週は不安定になったメンタルのままネガティブ週間でした。疲れるそんな状態で木曜日は小児医療センターで神経科とリハの受診でした。神経科はさえと2人で行くのは初めて。長〜い待ち時間の間落ち込んだメンタルではきつかったですとりあえず、経管を始めたかったので受付後早めに計測を呼んでもらって。さえちゃんついに楽勝で10キロ突破1ヶ月で1キロupペースこのままのペースだと1歳の頃には…15キロまさかね…待ち時間の間視界に入るのは泣いたり笑ったり歩いたり走ったり…