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この病気は症状がさまざまなように、罹患者によっても考え方は違う。私は自分の考えから誰かに影響を与えたいとも思わない。人には人それぞれの考え方があるのだ。安楽死を自殺と捉える人は少なくないと思います。それを肯定する気も否定する気もありません。どちらかと言うと肯定側かもしれないですね。そのことについて記述しようと思ったのではなく、今日は自分で死を選ぶ場合のその表記・言葉について少し思うところがあり、書いてみようかと思いました。自殺という言葉は殺すという単語が使われていて、
弟と喫茶店のテラス席で待ち合わせをしました。天気も良く、日差しが差していました。ラヴちゃんがいるし、正雄は少しでもタバコの煙があると苦手らしいと、良子お姉ちゃんから聞いてたのでテラス席は丁度良かったです。これからこの地方は一段と寒さを増しますし、雪でも降ればテラス席には座れません。気候的にも外の席はもうギリギリかもしれないなと、そんなことを考えながら正雄のことを待ちました。私よりも少し遅れて正雄が到着しましたが、10年以上ぶりに見る弟は歳よりも若干若々しく何故だかホッとしました。
私はいつもラヴちゃんと自室でいます。毎日の日課で乳母車散歩に出かけますが、それ以外は病院の受診以外で出かけることはありません。義兄さんの姉さんはとてもお料理上手でこの家に差し入れを良く下さるんですが、時々、彼女の自宅で食事会のような席も開き、そんなときは義兄さんも良子お姉ちゃんもお呼ばれします。最初は私も一緒にと声をかけてもらいましたが、どうしても心臓の悪いラヴちゃんを置いて出かけることができず、私は「そのうち、是非」と遠慮してきました。そうこうする内に、私の病状は徐々に進行し、人の家
汚い話で恐縮なんですが、私の病は自律神経をおかしくするという特性があり、その症状として便秘があります。内臓の動きは意思とは殆ど関係なく動くわけで、私の腸たちはストライキを起こしているようです。ストライキと言っても、終了する目途が立ちません。過去、便秘とはほとんど無縁だったのですが、今では病院から便秘薬を処方されるようになりました。しかし、お薬を飲んでも効かないときの方が多く、週に1度出るか出ないかになってしまいました。先日、散歩から帰り、午前11時と昼前だったのですが、お風呂に入り
さあ、それでは休止前のラスト記事となります。デイに置かれていた女性週刊誌に上記の題名で5ページの特集記事が組まれていました。私を含め、病気と関わりのある方は病院・お医者さんと何かとお付き合いをしていかなければなりまんよね。各々、お医者様に対して感じている疑問などあると思いますが、なかなか訊けないものです。素朴な疑問であればあるほど、個人的な疑問でなく、一般的な事だと・・・・口に出しにくい。そんな素朴な疑問に対して、Q&A形式で四人の医師が答えています。回答が絶対正しいとは限りませ
この病気は症状がさまざまなように、罹患者によっても考え方は違う。私は自分の考えから誰かに影響を与えたいとも思わない。人には人それぞれの考え方があるのだ。今日は続き物・≪安楽死≫に関して書きたいと思います。ひとつ断っておきたいのですが、特に最近このブログを読みだした、最近の記事から読んでいる同病者の方、あるいは種類は違えど難病の方たち・・・そんな方たちは「夢も希望も無い紺美ブログ、ただ死へ行こうとするしかないのか?」と元気が貰えるブログどころか元気を奪われるブログとし
私の頭は今、サザエさんの妹・ワカメちゃんのようです。5,6年前にそれまではロングにしていたのですが、長い髪の毛を手入れするのが面倒臭くなりショートボブにしました。そのとき既に病気は発症していて、私本人はつゆ知らず、長い髪に手こずっていたのですね。今、現在はもちろん病気のことも知っていますし、出来るだけ手入れをしなくても済むように美容師の鈴木さんにお願いしてあります。ワカメちゃんカットはショートボブというより、終戦後の女の子みたいで襟元なんか刈り上げてますしダサいのですが、少し日にちが経つ
前回は橋田さんの本について、テレビタックルで話題にしていたときのことについてだけ書きましたが、今回はいよいよ女史の著書≪安楽死で死なせて下さい≫について、読後感を書いてみたいと思います。どのように書くか悩んだのですが、読んで感じたことが多岐に渡っていて、それを1つの文章にするには、上手くまとまりそうもないし、繋ぎが難しそうなので、アトランダムにトピック形式で感想を述べていくことにしました。なかなか分量的にはボリュミーになりそうなので、フォントを小さくして書こうと思いますが、長文がお好きで
ボディークリームが残り少なくなっていることに気付き、他にも購入したい商品があり、お天気も良かったので散歩がてら近くの郊外型ショッピングセンターに行くことにしました。そこに行けば欲しいものは取りあえずなんでも揃っていて便利です。ラヴちゃんもいつもとは違うコースでの乳母車散歩は良い刺激となるでしょう。午後2時に良子お姉ちゃんに付き添いを頼み、タクシーを予約しました。出発までの時間、まず、私は身づくろいをします。女心ですかね、誰も私の顔をマジマジとは見ないのに、ちょっとそこまでの買い物に
この病気は症状がさまざまなように、罹患者によっても考え方は違う。私は自分の考えから誰かに影響を与えたいとも思わない。人には人それぞれの考え方があるのだ。『安楽死を遂げるまで』の作者である宮下洋一さんと女性セブンの編集者池田さんと増田さんの三人で取材をしてくださいました。病室で撮った何枚かの内一枚をお載せしますね。私の顔はほとんど写ってませんので、目に毒とはならないでしょう・・・・図体の大きい女が私です。病人ぽくないですわねぇ。宮下さん、写真の様にイケメンでしたよ。編集者の
ブログ休憩前にご挨拶を書いたら、沢山の過分なお褒めの言葉をいただき、とても恐縮すると共に嬉しく思ってます。ありがとうございます。私が一考してみたいという事案は2つありまして、1つは週間文春で読んだ阿川佐和子さんの対談記事、もう1つは週間女性で見つけたQ&A記事です。今回はまず阿川さんの対談記事から。計算違いとも言えるんですが、私は誰のことも介護をすることなく、40代の若さで被介護者となってしまいました。今はちょうど50になりましたが、それにしても介護を受ける側として超早いスタ
お天気のいい日曜日。義兄さんの「紅葉でも見に行くか」の一言で、みんないそいそとお出かけ準備をしました。ここのところ気分が沈んでいた私にとって、自然を満喫することは精神衛生上にも非常に良かったと思います。義兄さん、運転お疲れ様、ありがとね私の乳母車兼歩行器にご興味をお持ちの方もいらっしゃるようなので、珍しく写真を載せましたが、写真のアップロードってまず写真を圧縮しなくてはいけないんですね。その圧縮の仕方がよく判らない。恥ずかしながら四苦八苦しましたある方のブログにコメン
久しぶりに日本のドラマで印象に残るものがありました。と言っても、後半になると、えっ、その展開は出来過ぎじゃないの?!と疑問符が頭によぎる物でしたが・・・・。それに見終わった後、とにかく後味が悪い、暗ーく沈鬱な気持ちになるのでした。それもそのはず、原作はイヤミスに分類される「殺人鬼フジコの衝動」です。HULUのオリジナルドラマで最近CSで再放送され、すっかりテレビっ子になってしまった私はたまたま見たのでした。ただ幼少期から不幸な女が延々と殺人をしていくという、だから何なのって感じの批
昨日はつらつらと暗いトーンで記事を書いてしまいました。生きていれば大なり小なり辛いと感じることはあるわけで、それは全ての人間に当てはまるはずだと思われますが、私はブログに吐いてしまったのかな・・・。字面にすることで自分の気持ちを鎮めたのでしょう。私の気持ちを推し量ってくださる多くの温かなコメントを頂きました。また、いいね!で応援の気持ちを送って下さり、有り難いばかりです。この場をかりてお礼申し上げます。昨日の正雄は至って穏やかだったそうです。それだけでも私はホッとしまし
そう言えば、昔、付き合っている人から「君はつくづくと孤高の人だなー」と言われました。女友達とガヤガヤ談笑していたとき「紺美は人当たりはいいけど、実は壁を作っていて、人を寄せ付けないんだもん」どちらも言われた時はかなりハッとしたものです。ハッとしたのは、遠からずだからか・・・・・。背伸び、虚勢を張って生きていくことが、そんな風に映るのかと我に返ったんじゃないかしら・・・・。告知を受けて三年が経ちました。今年の四月から入院生活を続けています。でも入院してからのほうが
度々、登場しますが、私のラインセキショー友。彼女たち二人は、私よりも先に告知を受けているせいもあってか、新参者の私をドキリとさせることが多いのです。或いは、私が心ひそかに思っていたことをサラリと核心的に言われてしまったりと・・・・今日は後者としてサラリと書かれたことひとつについて・・・・セキショー友と何についてラインでやりとりしてたのかしら・・・・・テーマはいつだってくだらないというか、他愛ないことで、それを三人であーでもない、こーでもないと言っては、ときどき抱える難病にも言及が及ぶ
昨日はトイレの苦労について書かせていただきましたが、こと左様に何をするにもヨタヨタ緩慢になったと言わざるを得ません。時々、思うんですよねー。今の私はものすごく態度が横柄な女に見えるんだろうなぁ、と。決して早く車椅子に乗りたいとは思っていないんですが、車椅子って肢体不自由者のシンボル的な要素でもあって、周りの人から見て、いわゆる、判りやすいんですよねぇ。シンボルという言い方は語弊があるかもしれません。象徴とでも言いましょうか・・・。目印とでも言いましょうか・・・。今の私は杖
2010年の前はたどらない。それ以前も、思い起こせば、あれ?変だなということは幾つかあるが、それは判定が難しい。この病気が要因であると明白に言える症状だけ挙げてみたい。ちなみに、どの違和感、どの症状も年々悪くなっていった。・足が重い・歩行のときに足が上がっていない・ときどき、つんのめってしまう・膝かっくんが起こる・上半身が前方になだれ込むような感じで歩行してしまう・疲れやすい・異常に暑がる・平坦な道で転倒してしまう・階段の降り、下り坂道で手摺を掴んでしまう・歩道橋が
一人暮らしのスタートは目黒でした。池袋の不動産に行ったのに、何故か反対に位置する目黒のアパートを紹介され、そのままそこで暮らしました。それがご縁となりずーと目黒近辺、いわゆる城南地区ばかりで住むようになり、最初に暮らした目黒アパート時代からはあるお店の常連となりました。ですから、そのお店との付き合いは病気告知で郷里に引き上げるまでの約三十年となります。店名を仮に≪黒マナコ≫としましょうか。目黒に位置してますので、目黒を黒マナコとしてみますね。黒マナコは老夫婦と息子さんの三人でや
物事には「今だ」というタイミンクがあります。成功するか・失敗するか、それが内容云々以前にタイミングが結果を分ける場合が多々あります。祖母から頻繁に受けた小言を思い出します。言われるタイミングが良かったら、直していたというものではないと考えますが・・・。後片付けをちゃんとしなさいと毎日怒られていました。例えば、夏休みの宿題図画なんかあるとすると・・・・机の上に新聞紙を広げ、そこに画用紙と絵の具道具一式・もちろんパレットとか絵筆を洗うバケツなんかも置いているわけです。
病気の告知を受けてから約二年が経ちます。その約半年ほど前、自分の性格を変えたくて、これからはホット&ホットで生きていきたいと決意していました。私の性格、もしくは傾向・理想というのはそれまでずっと長いことドライ&ホットだったのです。ドライとかホットとか、いったい何のことか判りませんよね。実はこれ物事への対処の仕方なんです。ある出来事に対して、なるだけ私情を挟まず客観的にドライに判断し、それに対する対策はホットに温かくするということなのです。前半は私情を極力シャットし
おはよーございます。手術から5日目。運動機能は、日に日に回復?動きも骨折での影響でねじれには痛みが出ますが、他はある程度良く動くようにはなってきたよー。うん。朝イチは足が固まってガチガチに。それでもこれだけ動きます
このブログを初めて書いたのが2016年の8月末の頃でした。書き始めてかれこれ1年半になります。最初の頃はブログを書く私の横でいつもラヴちゃんがキーボードを叩く音を聞いてくれていました。聞くと安心するのか、やがてスヤスヤと寝息をたてるのがラヴちゃんの常でした。今、ラヴちゃんは整理ダンスの上で骨壺の中に収まっています。可愛らしくも利発そうな顔は私に抱かれ写真立ての中で楽しそうにしています。一年半って決して長い年月とは言えないんですが、けれど私にとってはやけに長かったです。長
以前、≪数々の違和感≫という記事を書きました。そこに2010年より前のことは、脊髄小脳変性症が原因であるか、不確かなので記述しないとしましたが、あれはどう考えても病気のせいではないかと思えることがありまして・・・。過去のことであるのにムズムズが治まらないので、自分をスッキリさせる意味でも、今日はその出来事を書きたい思います。年で言いますと2009年、2010年とは僅か1年しか違っていませんから、時期的に見ても私が勝手に引いた境界線から見て誤差の範囲でしかありません。あの日、私は外
長ったらしい題名になってしまいました。が、この時の状況、心境を表せばこの長ったらしい題名しかなかったのです。医師から聞かされた病名(このときは脊髄小脳変性症と告知されました)は聞いたこともなく、初めて耳にする病名でした。目の前に脳のCT画像が貼ってあり、医師はそれを見ながら説明をしてくれましたが、確かに小脳は少し萎縮しています。「あなたはこれから時間をかけてゆっくりと全ての機能を無くしていくのですよ」全ての身体的機能を無くしてしまうなんて、なんかある意味スケールが大きすぎて
神経内科の医師は明後日に今度は脳のMRIを撮ってみましょう、と言ってきた。「それは何のためですか。何を目的としてですか?」決して、つっかかって言ってるのでなく、拗ねたつもりでもなく、ただ純粋にMRIを撮る必要性について聞きたかった。だけど、私の言い方は理屈っぽい。その上、もともと低い声だし、ゆっくりと言葉を発して、一語一語はっきり発音しようと心がけているから、ときにそれが上から目線の言い聞かせタイプに感じられるらしく、あからさまに不快な表情をされる事が多々ある。呂律の悪さを意識
入院生活も半年以上となり、ちょっと療養所という感じのところに移った方がよいかなと・・・・ですから、移動のため、少しバタバタしますわね。暫し、中座いたします。皆様、ご機嫌麗しゅう・・・・一人だけ判ればいいやFINETHANKYOU.ANDYOU?難病は早く見つけての気持ちです押してくださいますかにほんブログ村他の難病のかたのブログも見られます
「先生、どんなことでも、私本人に言ってください。まず、自分のことは自分が最初に知りたいです」医師はうーんと唸りながら、私の顔を見つめた。(あ、この人、言うの渋ってるな)ーこれ落としましたよーと、知らない人がハンカチを落とし、それを拾って渡すときみたいに私は続けて言った。ひょうひょうと明るく・・・。「余命とか考えなきゃいけないんだったら、私が知っときゃだし、今まで何でも一人でやってきましたし、これからも一人で対応できますよ」一呼吸して、医師は話し出した。「余命を考える必
いつの頃からか、看護婦さんとは言わず看護師さんと呼び名が変わりました。私が幼い頃は、スカートをはいた看護婦さんばかりが病院にしました。しかし今は違います。男性の看護師さんも沢山いらしてます。実際、力仕事も多いですから、男性の看護師さん大活躍です私は情けないんですが、もう、1人では入浴もできません。パジャマ兼用の部屋着の着脱や洗髪、身体を洗うことも人任せです。全て他人様からやっていただくわけです。入院生活での入浴は週に二回、決まった曜日となっています。看護師さんに洗っ
安楽死に対する自分なりの考え方を何回かに分けて書きましたが、基本的には安楽死賛成派ですし、日本には安楽死制度が必要だと思っています。お茶らけながらも鋭いことを指摘するセキショー友達がラインでこう呟きました。私が≪安楽死を遂げるまで≫という本をライン上で紹介しますと、「安楽死もお金がないとできないわね」とボソリ。その友人のふところ事情は私も判りませんし、お金に困っている様子は感じないのです。でもいっぺんに200万という出費は普通結構厳しいんですよね。ましてや私重病人ですか