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『岡上淑子全作品』(岡上淑子/河出書房新社/2018.1.30初版)5年ほど前、高知県立美術館で開催された大回顧展「岡上淑子コラージュ展はるかな旅」の公式図録である。幻の作家と呼ばれる美術家の全作品150点が収録されている。美術家といま書いたが、作品はフォトコラージュがほぼすべて。作者22歳から、結婚によって創作から離れる29歳までの、わずか7年間の作品である。29歳の年は1957年。60年以上も前のことだ。現在も95歳で高知県に在住という。若い頃は東京に暮らしており、東洋英和を経て恵泉
昔は東京は「山の手」と「下町」の区別がはっきりしていて、大雑把に言えば山の手は住宅地、下町は商業地でした。いわゆる「江戸っ子」というのは東京人の代名詞のように言われますが、これに山の手の人は含まれません。下町で生まれ育った江戸時代からの住民で、職業は商売人か職人、飲食業がほとんどでした。親子3代が東京の下町生まれ育ちなら、正真正銘の江戸っ子です。私たちが住んだ町はその下町。庭がある家など一軒もありません。お風呂はみんな銭湯です。言葉も威勢がよく、「ひ」と「し」が逆になると言うのは有名です
1945(昭和20)年5月29日、横濱の空に500機あまりのB29が襲来し、湾岸部を中心に一面焼け野原に…戦後は、沖縄に次ぐ進駐軍の拠点として現在の中区福富町、吉田町辺りにカマボコ兵舎を建て多数の米兵が駐留しました。イセブラを2回にわたってお届けしましたが、実はこの通りの北側はかつてアメリカ陸軍第八軍の飛行場があった場所なんです。現在のイセザキモールは、飛行場の南側に出来た商店街となります。おおよそ青枠内が飛行場の敷地青線が滑走路赤線が伊勢佐木町通り滑走路の長
こんにちは、なんか・・もう旅に行きたいって思っちゃって。。中毒でしょうか?w御殿場新天地進駐軍の赤線として栄えました。ここはまだ広い方かな、、車一台も通れないような道にもお店があります。ドブの上の道路・・?うわ〜なんでしょうこの・・今は令和ですよ?この手の場所はよくどぶ川沿いにあります。進駐軍の後は自衛隊駐屯地ですので、この手の店が未だ建物が多く残っているのも頷ける。今はほぼ死滅してますけど。。円柱にモザイク古いお風呂のやつみたい。窓が無い