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実家には実の兄(独身)が住んでいる。一度も実家を離れたことがない。仕事はコロナ以降、完全在宅になったらしくぼさぼさの髪とスウェットで過ごしている。私と子供二人が実家に転がり込んだのは確かだし先に住み着いていたのは兄だけれど(というか離れたことがないから)だいぶ私たち3人にペースを乱されたと苛立っているようだった。2階に3部屋あるうちの、兄は一番奥の15畳くらいある一番いい部屋を子供の時から使っている。煙草も吸っている。物が散乱した、はっきりいって汚部屋だと思う。
「子供の学用品とか必要なことに使ってる。自分のことには使ってない。」こう答えたあと夫から・必要?と聞いた理由は使ってるのかどうかわからないから(夫はキャッシュカードは持っているが残高があまり減っている様子がないと思ったらしい)・何のために働いているかもわからない(夫の口座のお金を使っていないのなら)・俺の金はみんなで使ってお前の金はお前が使ってるんだな(私は自分のためには夫のお金を使っていないというのを受けて)→払いたくないと言われたからそうしてい
私と夫は東京で出会ったが夫は地方出身で結婚の挨拶には飛行機で、2泊3日で行った。夫は一足早くついていて空港まで迎えに来てくれることになっていた。空港につくと、夫の横には義母がたっていて聞いていなかったので焦ったが「はじめまして、Chiiと申します」と頭を下げた。実家につくと、当時まだ未婚だった夫の上の姉(夫は姉が二人)が待っていて私を見るなり「あ、どうも」と言った。夫に向かっては、「パパ(義父のこと)、今仕事終わってお風呂入ってるから」と言い続けて「もうCh
10月1日はTOEICの受験だった。TOEICは会場で受ける場合は日曜日開催なのでワンオペには普段の勉強時間確保はもちろん、「受験すること」自体のハードルがかなり高い。初受験した4年前は夫に頼んで受験したが下の子(娘当時5歳)が玄関で「行かないでー」と大泣き。そもそも、英会話を始めたことをよく思っていなかった様子の夫。頼んだと言っても、快く引き受けてもらったわけではなく当日の朝、玄関で泣く娘をなだめてくれるでもなく・・・困った私が玄関から部屋をのぞくとソフ
中小企業を経営していた父は、毎晩、家で晩酌をし母はつきっきりで料理を出したり日本酒をお燗したりしていた。最後には、ご飯とお味噌汁と、何か一品。「少しでいい」と言うくせに何度もお代わりを要求して、その度に母は立ったり座ったり忙しく動き回っていた。お味噌汁が熱すぎる、と母に怒鳴ることもあった。お母さんてそういうものだと思っていた。お父さんの言うことを聞く。いつも家にいる。美味しいごはんを作ってくれて洗濯をしてくれる。友達とは出かけない。お父さんが怒りはじめたら
結婚したころ、母方の祖母がまだ生きていて私の実家は祖母の家から近かったので、生まれた時からずっとかわいがってもらっていた。浴衣を着るときは必ず祖母に着せてもらったし、何かあればいつも報告に行っていた。毎年お正月には祖母を囲んで親戚が集まるお昼の新年会があり結婚して初めてのお正月も、新年会に参加するつもりだった。私と夫が住むアパートから祖母の家までは電車で1時間半くらいの距離なので私たちは夫婦で参加することになっていたけれど大みそかの夜、夫と些細な事でけんかになり新年
「給料使ってる?必要?」その質問に胸がバクバクし始めた。出てくる時、まともな話し合いはしていない。それまでの生活費は、お財布はひとつ、口座の管理は私だった。引っ越してからのお金について夫は「食費もいれる。子供の事はそのままでいい。習い事をするならそれも今まで通りでいい。ただChiiには金を払いたくない」とはっきり言った。なので今まで実家にいる間は、実家にいれる食費、子供の衣類・学用品・習い事などは夫の給与から私がお金を動かしていた。自分の事に関しては、自分で
「つらいけど、頑張ろうね」という義母の言葉の意味がわからない。私、悪いことしたのかな?義父に電話をかける。************あけましておめでとう。これはいつか言わないといけないと思っていた。まず、新年のあいさつは年があけたらすぐにしないといけない。(嫁の私が電話をするべきだったらしい。元旦の午前9時)双方の親へ電話であいさつするにしてもこちらへ(夫の両親)先に電話をしなさい。たとえ数時間でも、実家でも、90歳過ぎた祖母のためでも正月に夫を置いて
実家に引っ越してきて荷ほどきをしていると一冊のノートが出てきた。息子が生まれて少しの間、授乳やおむつ替えの事、その日したことなどが10行くらいずつ書いてある日記だった。育児や家事が大変で、すぐに続かなくなってしまってなんとなくは覚えているけどどんな事を書いたのか、パラパラとめくってみた。ある日の日記。「だいぶ寒くなってきて行くところもなく息子の散歩もマンネリ。私が精神的に落ちてしまわないようにしなくては。私が不安定になると〇〇(息子)に対してもイライラしてしま
息子が6歳、娘が4歳くらいの時。いつも9時になると私が二人を連れて二階の寝室へ行きすこしお話ししたり、絵本を読んだりして寝かしつけをしていた。夫は、いつもと同じく食べた食器もそのままにテレビをつけながらソファに横たわりずっとスマホをいじっている。寝かしつけの間は、もちろん家事は出来ないしすんなり寝てくれない日もあり、夜のこの時間がとても負担に感じていた。夫はある日子供たちに向かって「二人で寝なさい」と言い息子は本当は嫌だったはずなのに夫の顔色をうかがって二階へあ
「このまま帰りなさい」と言われた私は手も足もガクガクとして泣きながら実家の母に電話をかけた。「こういうわけで、いけなくなった。」と伝えると母は気丈に「わかった。じゃあ気を付けて帰ってね」と言った。アパートに戻るまでに途中下車をして駅のベンチで1時間くらい泣いた。その間に父からメールが届き「お母さんが珍しく泣いていた。あんなに泣いたのは結婚してから初めて見た」と書いてあった。それを見た途端、人目もはばからず嗚咽してしまった。元旦から駅のベンチで嗚咽し
二年くらい前。料理中に圧力鍋からの蒸気で左手の人差し指から小指の背を4本、皮がめくれるくらい火傷してしまった。当たり前だけど痛くて痛くて、水で冷やして応急処置をしてからどうにか料理を作り終わって子供と夫に食べさせた。夫は、薬局で軟膏と指にかぶせて使うネットのような包帯を買ってきてくれた。私は自分で薬をつけて処置をする。今すぐ運転も出来ないし週末で皮膚科もあいていないので夫が薬をかってきてくれて助かった。流しには子供が食べたお皿や調理器具が置いてある。テーブル
まだ息子が1歳のころ。同じアパートに息子より何か月かだけ後に生まれた同じく一歳の男の子がいた。週末の朝、ごみ捨ての際に、男の子のママに行き会い、「お昼寝から起きて15時頃に一緒に遊びましょう」と誘われていた。お昼前、夫が買い物に出かけるというので「15時に〇〇君と約束してる」と伝えたが、返事がなく聞こえていても返事をしないのはいつもの事なのでそのまま3人で車で出かけた。アウトレットかどこかへ行ったと思う。お昼ご飯も食べ、夫の買い物や息子のものなども買い、また車に
※流産の経験について触れてます※息子と娘の間に、一度妊娠した。2か月くらいから息子の時の何倍もひどいつわりのような症状がはじまり食べては吐き、トイレに行けばいつもおなかを壊していて体重がどんどん落ちていき、顔色も悪かった。不安もあったけれど、まだ3か月を過ぎたくらいで検診の間隔が長い時だった。年末年始は、夫婦や家族で過ごさないといけない、と私にお説教した義父が、義兄(夫の二番目の姉の夫)を連れて2人で私たちのところへ12月30日に遊びにきた。『東京生まれ
あまり感情を表さない母が、記憶にある限り思いうかぶ嬉しそうだった時。小学5年生の時、学校の学芸会の演劇で先生から指名されて主役に決まった時。「すごいじゃない」と、声をあげて喜んでいた。大学に推薦で合格した時。成人式の前撮りで着付けが終わって部屋から出てきた時。「Chii、きれい」と嬉しそうだった。小さい頃の事は覚えていない。記憶にあるのは、その3つだけ。母の日に選んだネックレスは、喜んでくれると思ったのに反応がいまひとつだったし、
息子は活発で10か月から歩き始めちょっと目を離すとあちこち動き回っていろんなものに興味を持っていたずらして回っていた。ベビーサークルを置くほど広くもないしでも完全に安全な家の中ではなかったので息子に目をやりながら、相手をしながら料理をしたりしていた。休日の昼、お昼ご飯を作るために12時近くまで寝ていた夫を起こした。夫はめんどくさそうにノコノコとリビングへやってくるとちらっとテーブルを見てから私に「飯、できてねーじゃん」と不機嫌に言った。子供の相
息子が2歳くらいの時に夫とお風呂にはいるのを嫌がった。理由は、怒られるし怖いからだと思う。「おとうしゃん、嫌い」「おふろ、いや」と泣いた。お父さん嫌いと言われている夫にもすごく気を使った。お風呂くらいしてもらわないととても家事も一人で回しきれないし夫と息子が楽しくお風呂にはいれるようにお風呂グッズやバスボムを用意したりした。ある晩、息子が大泣きしているのが聞こえたので行ってみるとお風呂嫌、という息子を夫が脱衣所に閉じ込めて電気まで消していた。暗
結婚した時、私も夫も正社員で働いていて新居のアパートはお互いの職場の中間地点に決めた。それぞれ電車で1時間半くらい反対方向の電車で通勤した。朝は6時45分頃家を出て7時前の電車に乗る。帰宅は早くても20時くらい。まだ子供もおらず残業も多かったので22時過ぎだったり、遅いことが多かった。夫婦共働きで自由になるお金もあったしお惣菜を買って帰るとか、週末なら待ち合わせて外食すると言う事もあったけどだいたい私が作っていたし朝食抜きで満員電車に1時間半詰め込まれるのはきつ
息子が一年生の時。39℃くらい発熱し、インフルは陰性だった。その数日後、私も珍しく40℃近い熱が出てしまった。やっとの思いで子供たちを送り出し夫が病院に連れて行ってくれることになったけれど熱があるので、思うように動けなかった。リビングのソファに横になってぐったりしていると二階から降りてきた夫が「(病院)行かねーのかよ!」と怒った。涙がボロボロ流れた。「動けないのに・・・」と言いかけたけど具合も悪いし、もう悲しくてつらかった。
夜中の2時なのに電話がなった。ついさっきまでLINEしていたので、仕方なく出た。明日、夫も私も仕事がある。私は子供の世話もある。いつもそうだ。夫は夜更かししようと朝ぼけっとしていようと、自分の準備だけして仕事に行けばいいから。電話では子供たちについて報告がないことを改めて「Chiiの金で生活してるから報告しなくていいと思ってんだろ」とよくわからないことを言われた。「運動会はなかったんですか?」「習い事は何もしてないんですか?」「ゴールデンウィークはどこも行
私はテレビはほとんど見ない。なんとなくつけるという事は絶対にない。4人で暮らしていた時、リビングにテレビが一台だけあった。夫は、とりあえずテレビをつける。ソファに寝転んで、携帯もずっといじっている。もう、何年も前、私がテレビを見ていた時(見たいものがあったと思う)しばらくして夫が黙ってチャンネルを変えた。あっ見てたのに、と思ったけれど見てたのになどと言ったら不機嫌になるだろうし見ないなら見ないでよかったので黙ってその場を離れた。また別の日。夫が
結婚する前、夫は一人暮らしをしていて朝が弱く、休日の待ち合わせにも遅刻どころか姿を現さないので電話をすると、まだ寝ていたなんてこともある。平日のその日は、私の一人暮らししている最寄り駅で待ち合わせ、夕食を一緒に行きつけのカフェで食べることにしていた。私が先に仕事を終えて帰宅していたので「駅で待ってる」と伝えていたが、バタバタとしているうちに夫が先に駅にやってきたようだった。「ごめん、遅くなっちゃった」というと「先に待ってるんじゃなかったの?」とイラついた様子で言
息子は段々買い物についてくるのが好きではなくなって特にアウトレットやデパートは行きたがらなくなった。レゴのショップを見て、フードコードでアイスを食べるくらいしか楽しいことがないしほかのお母さんに聞いても「男の子はそうだよー」なんて言われていた。娘は小さいながらもオシャレに興味があってわりと買い物は喜んでついてきた。ある週末、夫が洋服を買いたいらしく「アウトレットに行く」と言うと息子が「ええー、行きたくない」と不満そうに言った。すると、夫がどっかりソファに腰
私が東京を離れている間父が母の日に花束を買ってきたことがあったらしい。古い人だし、亭主関白を絵にかいたような人なので珍しいことだったと思う。母はその時の事を「お父さんたら、仏壇にあげるような花を買ってきて。『こんな花いらない』って言ったら、誰かにくれてやれって怒って外に放り投げたのよ」と言った。また、父が気に入っている会社近くの洋食屋さんへ母を連れて行った時のことを「オムライスが、とろとろの卵じゃなかったの。『がっかりだわ』って言ったら怒ったの
実家に戻ってくることになった時、父が、私たちが戻ってくるならと2階のトイレをリフォームしてくれた。ある日、リビングで母から「ねぇ今、生理中でしょ?」と聞かれそうだと答えると「お兄ちゃんから、2階のトイレのスリッパに血が一滴垂れてるから拭いてって言われたわ。」と、眉間にしわをよせて嫌そうに言われた。兄弟だろうと親子だろうと、さすがに私も気まずい思いになる。そうなんだ、ごめんと答えると嫌そうに「気が付かなかったの?」と母が言った。、、、。気が付かなかったから、そのままだ
はじめまして。Chii(ちー)と申します。出身:東京都(田舎です)趣味:アラフォーで始めた英会話小学生2人(息子・娘)の母。私はThe・昭和な家庭で育ち父に怒られ、茶碗を投げつけられる専業主婦の母を見ながら、時には兄二人と自分も父に怒鳴られながら自己肯定感の低い、「私は何もできない」と思いこんだ大人になりました。環境になじめず楽しくない学生時代、相手が怒ると委縮して言いたいことを言えない結婚生活、自信のなさゆえに「自分らしく生きる」の「自分らしさ」さ
4月から別々に住んでいる夫には基本的に電話もしないし、LINEもしない。一度目に連絡がきたのはガスの引き落としについてだった。私名義の口座から引き落としていたので、引っ越し前に夫の口座に変えたのだが何か記載に不備があり、再送の依頼が夫のところへきていた。夫は「何すればいいの」とLINEと、書類の画像を送ってきたのが夜8時半ころ。すぐには返せず、22時頃返そうとすると待つのにじれた夫から「もういいです」とLINEがきていた。まだ怖かった。すぐに必要な内容
英会話を始めたきっかけは、外国人がいる職場でパートをはじめたこと。英語が話せないなら話せないでどうにかなったけれど「あの人英語話せるんだ、すごーい」という側の人生から話せる側になってみたいと思いたち、アラフォーから英会話を始めてみた。学生時代は周りが英検を受けている中、クラスで私だけ受験せず、やり過ごしTOEICに関しては、そもそも「TOEIC」の読み方も分からないというレベルだった。英会話力ゼロからのスタートだったので何から手をつけていいのかわからずとりあえず大手
子供二人を連れて新幹線で実家へ帰った3月末。表向きは単身赴任という名の別居。夜逃げは出来なかったから出発する日まで、夫と4人で暮らしていた。最後は特に、本当に針のむしろの日々だった。その日の朝まで、夫からいろいろと言われ子供のお友達が家の外にきてくれていたのに玄関で夫と私が話していたため息子と娘は外に出られず、窓から顔を出して、お友達のママたちの携帯で外にいるみんなと写真をとったと後から知った。ローカル線の最寄り駅までお友達家族がきてくれて、私はもうすぐ電車がくる
英会話の生徒さんの中には「私は学生時代は英語が本当に苦手で」「いつまでたっても上達しなくて」「少し通じればいいかなって」「(初心者ではないのに)初心者です」とおっしゃる方が多い。控えめで自分に厳しい、出来ることより出来ないことにフォーカスされてる生徒さん達。課題を見つけていくのは大事だけれど、出来ないことに縛られる必要はない。それを出来るようにしていくだけなのだから。私は留学経験もなく、英文科卒でもなくアラフォーで英会話を始めまだまだ勉強中でもあり、