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さて通常の柳橋ブログに戻り、立石飲みだ。路加タワー先生方面の外回りだった。根元から先端を見上げた。早咲きの桜、緋寒桜かな?が咲いていた。左の桜と右端に見える路加先生タワーの先っぽをワイドで1枚に収めてみた。浅草橋に戻り、ドーピング薬を注入してから先に進む。この日は快速で青砥まで行き、ひと駅戻って立石にたどり着いた。今年初の立石だ。宇ち多”の並びは少ないみたいだぞ。久々の宇が楽しみだなあ。
こんにちは。2024年ももうすぐ終わりを迎えますね。1年を振り返る過程で、とんでもないことに気付きました交流戦の観戦記をアップし損ねている半年前のことですが、今さらながらアップします6月16日日本生命セ・パ交流戦北海道日本ハムvs巨人3回戦(エスコンフィールド北海道)北海道遠征3日目連勝で気分もよく、この日も北広島駅から徒歩で向かいました。…はい、今日で3回目です(笑)コースを変えて、線路際からビッグボスブリッジを通って…そう
以下の品を段ボールに詰めて、査定していただきました。<入っているもの一覧表>恋のすべて(舞台のパンフレット、中古2冊)burst危険なふたり(舞台のパンフレット中古)多重露光(舞台のパンフレット、中古)アウトゥロ・ウイの興隆(舞台のパンフレット、中古)家族のはなし2021(舞台のパンフレット中古&未開封の手ぬぐい)集英社TAKUYAKIMURAPREMIUMBOX(未開封)NAKAMAtoMEETING2019(水色タオルマフラー、未開封)20thSMAPF
東京ドームでの映像、なにかのキービジュアル(例えば春季キャンプのG力なんとかかんとかのやつ)に門脇選手がいない…→ねえねえねえ誰か忘れてるでしょ!門脇誠を出せよ!!!おい!!!オフの間にトークショーに出まくる門脇選手…→ああ人気選手なんやね。スターなんだね!!…門脇誠誕生祭がある(仮定)→ああ去年はなかったのに立派なスターになったんやね……門脇誠誕生祭がない(仮定)→おい!なんで誕生祭やらないの!同期の浅野選手はあったのに!!!(ありましたよね?)
こんばんは。今年も無事に仕事納めできました。1年間お疲れさまでした、みなさんも自分も…さて、2024年シーズンの巨人戦観戦振り返りオープン戦から6月末まではこちら。『90周年G戦観戦振り返り①』こんにちは。2024年の大晦日ですね。自分はようやく仕事納めできますさて、今日は2024年シーズンの巨人戦観戦を振り返ってみようと思います巨人戦だけで78…ameblo.jp残りの7月以降の分を書きます。7月5日ヤクルトvs巨人(神宮球場)戸郷50勝!岸田6打点
おはようございます。ご存じの方も多いと思いますが…(むしろ、このブログ読んでくださる方は知らない人なんていないかな)新外国人選手の発表がありましたねライデル・マルティネスいやぁ、マジで獲るとは思わなかったです中日を退団しそうになる時点で、どうせソフトバンク…でも、DeNAだとちょっと困るから、やっぱりソフトバンクでくらいの気持ちでした。なんだか急に移籍先の有力候補に上がり、あれよあれよという間に契約合意。キューバの選手は政府が絡むから厄介なんだけどね
菅野智之【投手】メイン再現年度...2017年(1.5917勝5敗0HP0S)パワナンバー...114005064867405今年から海を渡るご存じジャイアンツのエース。東海大相模から東海大を経て2011年ドラフト1位で日本ハムが指名もジャイアンツ愛を貫き入団拒否。1年間の浪人の末改めて2012年ドラフト1位で巨人入団を果たすと、1年目から内海哲也や杉内俊哉らと並ぶ先発ローテの柱として大活躍。13勝をマークして優勝に貢献すると、翌年には12勝で防御率
横田基地でハーフマラソン毎年恒例横田基地フロストバイトロードレースに参加した。今回もフルマラソンのシーズンインに合わせて、調整という名の開幕戦だ。世界に走りに行っている自分にとっては,最も近隣の大会。何の緊張感もなく、普通に起きて,普通に出発した。忘れ物を取りに行ける余裕があるな。ゲートでは厳重な身分確認。ボディチェック。金属探知機。手荷物チェック。ここはアメリカ🇺🇸。治外法権ではないが、気分は外国だ。純アメリカ人が、何の訛りもなくおはようございます❗️と挨
松井秀喜【外野手】メイン再現年度...2002年(.33450本107打点3盗塁)パワナンバー...123002251773730ご存じゴジラ。星稜から1992年ドラフト1位で巨人に入団すると、1年目から11本塁打でセリーグの高卒選手の新記録を樹立。翌年からは完全にレギュラーに固定され、FA戦士が多くなったジャイアンツの生え抜き主砲として存在感を放っていく。巨人での在籍10年間で本塁打王、打点王、MVPをそれぞれ3回、2001年には首位打者も獲得。2
1994(平成6)年に勃発し、世間を騒がせた「桑田佳祐VS長渕剛」騒動について、その原因を明らかにするため、桑田佳祐とサザンオールスターズ、そして長渕剛の、デビュー以来の足跡について、描いている。前回の記事では、桑田佳祐と長渕剛の、デビュー以来の奮闘と、桑田と長渕が、1983(昭和58)年に初めて出会った所までを描いたが、今回は、後年の「桑田佳祐VS長渕剛」騒動の遠因となった、1983(昭和58)年の2人の出会いについて、詳しく描いて行く事としたい。なお、あらかじめ言っておくが
今日は久々に本社五反田に出社半期に一度の面倒な社長とのランチミーティング2時間ほど会社の進むべき道を話しながら、500円弁当食べておしまいさっさと帰宅して、在宅で1時間ほど仕事して今日はあっという間の15時半に退勤したてか、今日は記録上は休みだし昨日の1/22はカレーの日でしたが夕飯は、1日遅れでカレーってWifeは言ってたせっかく早上がりしたし、本格的なカレーを食べに行こうってことになったエミテラス所沢本格的なカレーといいながら、フードコート平日の18時、空いてました休
思い出のプロ野球選手、今回は「笠間雄二」選手です。昭和50年代に巨人、阪急、阪神の3球団に在籍し、主に控え捕手として活躍していましたが、阪神時代の1年間だけシーズンを通してレギュラーを張っていました。【笠間雄二(かさま・ゆうじ)】生年月日:1953(昭和28)年3月22日入団:巨人('76・ドラフト6位)経歴:金沢高-電電北陸-巨人('77~'79)-阪急('80)-阪神('81~'84)通算成績:397試合打率.236198安打25本塁打85打点1
【NPBのサイン内容ですが、1人でも多くのファンが球場に足を運ぶことを祈ってオープン記事とします】少し前ですが愛鷹球場でくふうハヤテvs.中日ドラゴンズの2軍戦を見てきました。8月なこともあって移動は18きっぷです最寄駅の沼津駅に到着。球場まではバス移動ですバスは7番から出発します。普通の路線バスなのに野球観戦の人が大量に乗るもんだから大混雑で大変でした💦なんだかんだで愛鷹球場に到着ちなみに試合前にブライト健太選手が一般人に紛れて買い物してました。ガタイが凄かった〜グッズ売り場には
今年も終わりを迎えて。ありがとうございました。今回はほぼ1カ月ごとに使用していたにほんブログ村のバナーのアニメの紹介と取り上げた理由を挙げつつ、記事で1年間の振り返りをしていきたいと思います。■1月~4月劇場版「グリッドマンユニバース」(2023年公開)「グリッドマンユニバース」はテレビアニメの最終編というかその後を描いたオールスターのような映画。これを選んだのは去年たまたま見てすごい良くて…その前に放送されたアニメシリーズも見ちゃった。それでもう1回見たらもっと良
奈良のお土産まほろば大仏プリン瓶のフタに描かれている大仏様の顔を見るたびに思い出すのは彼のことご当地奈良県が産んだスーパースター読売ジャイアンツ岡本和真選手我が家には大仏プリンの空き瓶がいくつかあって小物を入れてもう何年も日常的に使っているのでほぼ毎日大仏様のお顔を拝みますそして大仏様を見る度にいつも岡本くんを思い浮かべてしまいますがんばってね岡本くんまほろば大仏プリン【小】詰め合わせ10個セット(B-4)【楽ギフ_のし】【楽ギフ
こんばんは。今日は両国に行ってきました。VENUS&GIABBITWinterStage巨人の球団公式マスコットガール「ヴィーナス」と、公式マスコット「ジャビット」が主役のイベント。昨年に続いて、2度目の開催昨年は平日で仕事の都合がつかずに行けず、今年は土曜でチケットもかろうじて取れたので行ってきました。内容は、ダンスパフォーマンスにトークコーナー、そして2025年メンバーの発表。メインは2024年メンバーの卒業式ですね巨人は引退試合とか引退セレモニーが少
現在、当ブログでは「サザンオールスターズと野球界の40年」という記事を連載しているが、その1994年編で、私は「桑田佳祐VS長渕剛」騒動について、少し書いた。しかし、その詳細な経緯などについては、スペースの都合上、描いていなかった。1994(平成6)年、桑田佳祐と長渕剛の激しい対立が、世間を騒がせたが、では何故、この2人は、あれほど激しく対立してしまったのであろうか?それを紐解くために、桑田佳祐とサザンオールスターズ、そして長渕剛が、デビュー以来、辿って来た足跡を、改めて辿って
吉川尚輝【二塁手】メイン再現年度...2024年(.2875本46打点12盗塁)パワナンバー...112009065429766溢れるスピード感で令和のジャイアンツをけん引する正二塁手。中京学院大から2016年ドラフト1位で入団し、2年目の2018年にはセカンドのレギュラーに抜擢。坂本勇人の離脱後はショートもこなしたが、ヘッスラによる骨折で規定打席には到達できず。翌年も開幕早々故障で長期離脱しレギュラーを手放してしまったが、2020年は自身初の規定打席
宮崎キャンプ2日目。昨日から降り続く雨は夜には止んだと思ったのに、朝には降り始めていましたそんなわけで、今日も練習は室内。一軍は木の花ドーム、二軍は旧室内で行われました。今日から朝のグラウンドツアーも開始平日だし雨だし余裕かと思ったら、先着150人に変わっていて、結構ギリでしたガラス張りの壁沿いに並んでいる最中は、捕手陣(大城、岸田、山瀬)が目の前でマシン相手にバッティング練習終了してボールを集めていると、マシンがまだ動いてドーンとボールを投げるとき
おはようございます!東京中野、3日ぶりのお天気。しかも快晴で雲一つ見当たりません🌞昨日の朝の初雪から一転、暖かくもなりそうです。気温差に気を付けてヒートショックを防ぎましょう💓まあコロナ毒チン打っていない人は大丈夫だとは思いますが😌これは凄いことですねえ😲ロバートケネディジュニア閣内に入った時点で予測出来たことだけど👀『「特定の事柄について非常に真剣な議論が交わされています。ご存知のように、ヨーロッパでは農薬は使われていませんが、それでも死亡率は私たちよりも低いのです。私たちは
戸郷翔征【投手】メイン再現年度...2024年(1.9512勝8敗0HP0S)パワナンバー...112007069889787ドラフト下位指名からサクセスストーリーを歩んだ令和のジャイアンツのエース。聖心ウルスラから2018年ドラフト6位で入団すると、高卒1年目にして一軍白星を挙げ日本シリーズにも登板と異例の抜擢。翌年には本格的に先発ローテ入りし、9勝を挙げ大卒新人の森下暢仁と新人王を争った結果叶わずも新人特別賞を受賞した。2022年には12勝
こんばんはいいね・フォローありがとうございます♪更新の励みになります🫶本日3回目の登場ですいずれは、そうなると思ってはいたけど…このトラブルはどこまでが真実で、どれが嘘なのかも分からないくらいに次から次へと色んなことを言われたりまた暴露されまくられてるけど、結局はフジテレビと中居正広さんの間で揉み消しに走ったのが全て失敗でこの結果だろう。ワタシは、ファンの中居正広さんは嫌いだけど←キャラは嫌いではなかった。理由はともあれ、もう芸能界に残るのは無理なんではな
石川慎吾【外野手】メイン再現年度...2017年(.2425本20打点2盗塁)パワナンバー...118000044898326ご存じダイナマイト・シンゴ。東大阪大柏原では初の甲子園出場に導き、2011年ドラフト3位で日本ハムに入団。2年目、3年目は40試合台に出場するなど一軍にも早い段階で顔を出していたが、2016年オフに大田泰示・公文克彦とのトレードで吉川光夫と共に巨人に移籍する。ここでは長野久義や亀井善行らに代わってスタメン出場も果たし、移籍1年
バッティング練習とはいえ、王・長嶋をほぼ完璧に打ち取った飛雄馬だったが、意外に周囲の反応は冷たかったあるのは速水のイヤミのみ他はまるで飛雄馬の好投などなかったかのように無視し続ける俺には褒めてくれるやつが必要なんだ!そこで飛雄馬はハワイに遠征中の伴に手紙を書く「おおっ、星から手紙じゃ!」飛雄馬は、王・長嶋を打ち取った事しかしそれに対して周囲の反応が冷たい事などを延々書き綴っていた「うむ・・・王さん長嶋さんを打ち取って何の反応もないとは、たしかに妙じゃのう
木佐貫洋【投手】メイン再現年度...2003年(3.3410勝7敗0HP0S)パワナンバー...123005239983228ぐう聖エピソードや鉄道ファンでも知られる先発ローテ投手。2002年の自由獲得枠で久保裕也と共に巨人に入団し、1年目から10勝し奪三振数も180を数えるなど力投派としてチームを救った。翌年途中からは歴史的投壊のチームにおいて抑えに回されるがあまり芳しい結果を残せずなかったが、背番号41に変更した2007年には12勝を挙げ復活。
1994(平成6)年、桑田佳祐のソロ・アルバム『孤独の太陽』に収録されていた、『すべての歌に懺悔しな!!』という曲の歌詞を巡り、長渕剛が桑田佳祐に「宣戦布告」した事により、遂に、「1994桑田・長渕戦争」とも言うべき、全面戦争が勃発した。桑田佳祐と長渕剛という、2人の大物同士による「全面戦争」は、この年(1994年)の年末にかけて、ますますヒートアップして行ったが、果たして、どのような展開になって行くのか、先行きが全く見通せない状況が続いていた。<1994(平成6)年10
桑田佳祐が、サザンオールスターズのコンサートで、長渕剛を「前座扱い」にした上、コンサート終盤で、桑田が長渕にビールを浴びせてしまったという「1983ナゴヤ事変」により、桑田佳祐と長渕剛の関係が悪化した…という話を、前回の記事で描いた。その後、桑田佳祐と長渕剛の間柄は疎遠になってしまったが、桑田と長渕は、それぞれ実績を積み重ね、音楽界で超売れっ子になって行った。今回は、桑田と長渕の1980年代後半の活躍と、深く静かに進行して行った、2人の対立について、描いて行く事としたい。
本日(10/10)は、今から46年前の、1976(昭和51)年10月10日、王貞治(巨人)が、あの「野球の神様」ベーブ・ルースが打ち立てた、通算「714本塁打」の記録に並んだ日である。この日(1976/10/10)後楽園球場の巨人-阪神戦が行われたが、この試合を前にして、王貞治の通算本塁打数は「712本」だったのだが、この試合で王は1試合2本塁打を放ち、これが通算「713号」「714号」となって、一気にベーブ・ルースの記録に並んだのである。私は、このブログで、今まで折に触れて、王貞
パ・リーグ出身のカープの選手?さて、問題です。他球団からカープに移籍した選手で最も活躍した日本人選手はだれでしょう?このクイズに、ほとんどのカープファンが異口同音に答えるであろう。「そりゃあ、江夏豊に決まっとろうが!」筆者も異存はない。では、さらにクイズを続ける。ならば、純粋のパ・リーグ出身の選手では?即答できるカープファンがいるだろうか。南海ホークス(現・ソフトバンクホークス)から来た江夏、元はと言えば阪神タイガース出身。スターという
久保裕也【投手】メイン再現年度...2010年(2.778勝1敗32H1S)パワナンバー...123000240966309便利屋からリリーフエースへと覚醒したタフネス右腕。東海大から2002年自由獲得枠で入団し、1年目から先発、中継ぎ問わず様々な場面で登板。一時期は中継ぎで固定されまずまずの成績を収めるも、先発転向で結果を残せず伸び悩むシーズンが続いた。2010年はリリーフに固定され、ロングもセットアッパーもこなしリーグ最多かつ自己最多の79試合