ブログ記事2,142件
夫と話をして、この様な場合、葬儀とか火葬とかどうなるのだろう?という疑問がありました。よんちゃんは生まれてから、ずっと背中にアイスノンを敷いてできるだけ冷やしてもらっていました。まだ春先でしたが、部屋はクーラーで冷えていました。私は布団にくるまり過ごしていました。他にも、なるべくキレイで居てもらいたくて、私は唇にワセリンを塗っていました。(乾燥して皮膚が固くなるのを防ぐため)看護師さんからは「職員の家族が手作りしたので良いのがあれば…」と言われて手編みの帽子をいただきました。いろんな
旦那さん、母がもう少し!もう少しだから頑張って!何度もそう声をかけてくれました。自分でも、赤ちゃんが降りてきてるのはわかりました。でも、例えるのが難しいですが滑りが悪く摩擦が起こって動かないものを無理やり動かしているようなそんな痛みが辛くてどうやってもいきめない。想像を絶する痛み。何でこんな痛いんだろうこんな痛い思いしてるのに何でこんな辛い出産なんだろう痛すぎて痛すぎてそんな卑屈な思いも頭をよぎりました。いきもうとするとお股全体がヤバい本当に痛すぎる!何でこ
前回の続きですあっと言う間に落ちてしまったバイタル。そして用意された部屋へ急ぎ足で移動。私はここで初めて絃葉を抱っこしました。まだ温かい。赤ちゃんの匂い。柔らかい髪の毛。小さい小さい身体。ずっと夢見てた瞬間。やっとやっと絃葉を抱けた。嬉しい嬉しいのに悲しい。辛い。こんなに可愛いのにこんなに頑張ってるのになんとか救ってあげたい。奇跡が起こって欲しい。心の中で色々な事を思いました。この部屋には長男くんも入れたので長男くんはここ初めて絃葉と対面。が、しばら
前回の続きです。私は呼吸が止まり心臓だけが動いている絃葉を見て固まってしまいました。こんな言い方をしてはいけないのは百も承知ですがこんな状態で生きてるのか生きていないのか生きてるって言えるの?何て言うんだろうこの状態って。わかんない。誰か教えてくれないかなと思っていました。覚悟をしていたけれど何も出来ず涙だけが流れました。そんな私を見て看護士さんが”さっき1番良い状態を見たから辛いよね。でも、心臓はまだしっかり動いてるから、たくさん触ってあげて、たくさん
こんばんは先日からとても重い内容の報告に、温かいコメントやたくさんのイイネ、ありがとうございました今日の朝、亡くなった息子とお別れして来ました☁ここ最近は気持ちの良い晴れの天気でしたが、今朝は大泣きした涙のように、たくさん雨が降りました☔家族で居れたのはたった1日未満でしたが、昨日の午後に引き取りに行き、家族写真を撮ったり、散歩をしたり、公園で遊んだり!!!???笑して過ごしました夜は息子も同じテーブルで乾杯をして、家族みんなで夕食の時間を共にして、寝る時はみんなで川の字になり、息子
今日は絃葉の祥月命日。朝からいつもより念入りにお仏壇をお掃除。※お仏壇の写真ありです見たくない方、ご注意下さい。盆提灯も出しました。お天気が良い日で良かった!天国で笑って過ごしてくれていますように。願いを込めながら今日は出来るだけ出かけず家で一緒に過ごしました。
先日、天使ママのイベントに初めて参加させていただいて、いろんなお母さんたちと交流できましたそのことも書きたいのですが、帝王切開のことが書きかけだったので、まずはそちらを仕上げます***傷の治り方は、個人差が大きいそうで私は傷からの滲出液(血とリンパ液が混ざったようなもの)が止まるまで5週間かかりました。再び帝王切開するときのためにも、一例として回復経過をまとめましたが、医療関係者じゃないので、心配なことがある方は受診されるのをおすすめします。そして、以下、痛々
こんばんはこれまで、妊娠経過や育児の事など、たくさんの方に応援していただいたり、興味を持ってくださったり、共感してくださったり…本当にありがとうございましたタイトルでお気づきかと思いますが、お腹の赤ちゃんは14週と3日、安定期まであと少し…というとこで死産になり、お空の天使になってしまいました🌈✨でも、外に出てくるまで、一緒に頑張ってくれました👼🏻13日に心肺停止の診断で、14日から処置を始め、15日は早朝から通しで子宮口を広げる処置ばかりでしたが、なかなか開かなくて仕切り直しになり、
私にはプロのカメラマンである友人がいます。夫婦そろって学生時代からずっと交流があり、妊娠中もよく連絡を取っていたので、今回の件も報告していました。すると、向こうからラインがあり、亡くなった人をキレイに写真撮影するポイントを教えてくれました。○蛍光灯を切り、窓際で自然光を利用して撮る。○可能であれば朝日がキレイ。○使い捨てカメラ等のフィルムもいい。荒かったり暗かったりするが、光を通して写すからまた違って感じられる。ということでした。本当は駆けつけたかったとのメッセージも添えられて
前回の続きです。分娩が終わってすぐ私が胎盤の摘出をしている時にNICUの先生が来て”お母さん、おめでとうございます。赤ちゃんが頑張って泣いてくれたので可能性があると見て私たちは精一杯治療に入ってます。こんな時で申し訳ないんですが今いっぱいいっぱい肺に酸素を送ってますが産声を上げた時に肺に穴が開いたと思われるんですね。それで、これから輸血を含め、少しでも快方に向かうために必要な薬剤の投与も始まります。その承諾書にサインを頂きたくて…”と説明を受けました。わかりました。大
令和3年4月下旬。妊娠37週で第4子が天国に帰っていきました。原因は常位胎盤早期剥離でした。異変を感じてからたった2時間の出来事でした。まだあれから10日あまり。産後なのに赤ちゃんが居ない。途方にくれる日々を過ごしています。ちょっとずつ、赤ちゃんとの記録を残せたら。そしてまた、同じように辛い経験をされた方のお役に立てたら。そんな気持ちで始めます。ちょっとずつ。
『初の妊娠、そして死産①』ご覧頂きありがとうございます。前を向けるようになってきたにしきです。昨日は今までの出来事を載せただけのブログ内容でしたが、見てくださった方々、ありがとうござい…ameblo.jp『初の妊娠、そして死産②』『初の妊娠、そして死産①』ご覧頂きありがとうございます。前を向けるようになってきたにしきです。昨日は今までの出来事を載せただけのブログ内容でしたが、見てくだ…ameblo.jp『初の妊娠、そして死産③』『初の妊娠、そして死産①』ご覧頂きありがとうございます
こんにちは、にしきです。Amebaトピックスに載せて頂き、ありがとうございました。たくさんのアクセスやいいねも感謝しています。気まぐれな更新で、文才もないので読んでくださる方を度々混乱させてしまうと思いますが、ちょっとだけ応援してくださると励みになります本日は、【初の妊娠、そして死産】シリーズの外伝です。(外伝も何話か続くかもです)!!非常に暗い内容、障がいや死、中絶について、私の勝手な考え等が含まれます。苦手な方、そういった考えを責めるような方は進まないようにお願い致します!!今