ブログ記事3,094件
2024年5月6日➡︎15月6日➡︎11・2『周りを変えて行けるひらめきのある人はリーダーにもなれるサポーターにもなれる』いくらリーダーになれても、俺様になっちゃいけない。真のリーダーとは、縄文の言葉を借りて言うなら、トミ人を導き人を育てるのがお役目人の上に立ちまとめるのがお役目威張らず驕らずマコトを解くこれに準ずるならリーダーとはサポーターにもなれることそして、そこに備え持つひらめきはみんなのためにそして、1人のために。何かを任された時ふんぞり
改めて、名前の言靈と数靈の出し方と読み方の参考例を書こうかな~~(*^^*)こんにちは実果子ですというのも、なぜか半年以上前に書いたコチラの記事がアクセス数高いらしいのですが…カタカムナ☆名前の言霊、数霊の出し方(^o^)v参考になるかな(^^;なんか、こう……中途半端過ぎて、あまりにも申し訳ないなと、思い続けてたので、もう少し丁寧に書いておこうかな~と思ったのでした試しに、実例として私の名前、北澤実果子(キタザワミカコ)でやってみますねで
2024年5月7日➡︎25月7日➡︎3『素直な自分になってすべてのつながりを意識しよう🌱』つながりって色々なものがあります人と人とのご縁家族のつながり魂のつながり命のつながり心と体のつながりその昔、魂はタマとシイと言われ心と体という意味だと言われています。心と体が両方整ってはじめて人として機能するそれが離れてしまうと死につながり、または妖怪化するというようなことが信じられていました。自分自身に素直になることは、良いことばかりじゃなくて、良くないと思える
2024.4.27(土)国分寺ハリマンヨガ。いのちの洗濯です。最後のシャバアーサナハリマンヨガ教室の始まりはいつも無垢ないのちそのものにかえること出発点=ゼロにかえることそのために息を吐いてからだを揺らしてます💮まずは目を閉じて息を吐くそして呼吸に呼吸をまかせる・吸う息と吐く息の「間」ほんとは「間」が呼吸している・「呼吸」以前のものから呼吸が起こっていて「生きる」以前のものいのちそのものが生きていて「言葉」以前のも
〜因縁浄化の言靈〜ゆるしゆるされかわるうれしたのしかわるおーーーうーーーおーーーうーーーおーーーうーーー(×繰り返し)2021.12.23神人拝【今日のひと言2021.12.23】明日12/24から12/27まで、京都に参ります。神人さんのイベントに参加してきます。😊日曜日の京都は雪のようで、さて、まともに帰ってこれますかどうか。。。💦一応、PCを持って行くつもりですが、アップはそんなにできないと思います。毎日、飲んで
翡翠の巫女松井久子&武司です。翡翠の巫女では、巫女体質の皆さんからのご質問にお答えしています。↓↓『「巫女体質™️」についてのご質問にお答えします!』こんにちは。瓊奈川(ぬなかわ)神社宮司「巫女体質™のためのお清め教室」創始者松井久子です。2021年10月16日に電子書籍「巫女体質™」を上梓し…ameblo.jp※2021年にご質問の受付記事を更新しました。さて、昨日このようなご質問をいただきました。みつまめと申します。いつもブログを拝見させてい
いつもお読みいただきありがとうございます😊大川璃華です🍀今朝、不思議な夢をみました。家の中で小さな黒いムカデを見つけてウギャー⁉️と退治をしようと薬をかけたら、いつの間にか小さな小さなミニアライグマに変身💦💦💦このアライグマもウギャーっと何故か退治をしたら小さな窓から茶色い鶏がやってきたという夢らしい奇想天外な話でも、ちょっと気になって夢について調べてみました。黒いムカデは金銭や人間関係の面倒なことに巻き込まれる🥶🥶🥶が、これを退治❣️するとアライグマになって🥶
みなさ~んお元氣ですかぁ~!?アシュタールジュエリースタッフのククルですお気づきでしょうか!?今日はご挨拶に”氣”という旧漢字を使ってみました最近日本語についてふと考える機会がありまして本日は少し趣向を変えてお届けしようと思いますみなさんご存じの通り”氣”というのは「気」の旧字体ですね!「〆」の代わりに「米」という字が入った氣という漢字は末広がりで八方向にエネルギーが広がっていくという意味を持つようになりま
2024年5月8日➡︎35月8日➡︎4『自分に対してウソはつかないで❗️子供の頃のように真っ直ぐなあなたが一番きらめくから✨』幼い頃どんなことが好きでしたか❓人形遊びおままごと絵を描くこと野山で遊ぶこと・・・これは私が幼い頃好きだったことです😊勉強しなさいと言われることもなく帰りが遅くなると叱られたけどそれ以外は好きなことしていたかもあらためて自由だったんだと感じます😊制限をしていたのは自分自身でした😅周りを見てみると絵を描くことが好きだった子が
「和多志の學校」「和多志」って、どういう意味ですか⁉️と尋ねられました🤗✨「私」という漢字のつくりはのぎへんにカタカナのムで構成されています。もともとは「和多志」と書いていたそうです。わたしとは全体の中の一人であり、全体の中に個(自分)が存在するという意味です。戦後GHQは個人主義を広げる目的で「私」という漢字に変えました。禾(のぎへん)には実る、収穫という意味合いがあります。ム(無)はもうない、亡くなった、存在しないという意味です。つまり「私」という漢字を通して、「わた
少しでも多くって、不思議な言葉です。何気に使うことも多いのですが、改めて考えてみると、これって少しなの?多くなの?って。というわけで、改めて調べてみました。少しでもは、多さの度合い(変化の顕れ)を表している言葉で、つまり、もっと(大幅に)多くではなく、少し(だけ)でもいいから(もっと)多くという意味のようです。普段、当
数あるブログの中からご訪問いただきありがとうございますことねです「名前」は、私たちがこの世に誕生して、はじめて贈られるプレゼント、とよく言われます。このプレゼントは、「モノ」ではなく、目に見えないけれど何よりも大切なその人を表す「言靈」ですですから、自分の名前を大切に扱うことは自分に愛を送ることそのものだと思っています。なので、私の活動の一つでもあるペン字のお名前レッスンも「自分に愛を送る(贈る)」大切な表現である
白山比咩神社は、全国に3000ある白山神社の総本山です。石川県と岐阜県の間にそびえ立つ白山をご神体としています。「しらやまさん」と呼ばれ、地域の人々に古くから親しまれているそうです。日本三名山にも数えられている白山の主祭神は「菊理媛尊」(くくりひめのみこと)で、特に縁結びのご利益で有名だそうです。菊理媛尊は、加賀の霊峰白山を御神体とする白山比咩神社の祭神です。周辺に住む人々から「いのちの親神」