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自己の真相の体現に与るのに、認識を止めたり、思い、考えを止めたりいっさいどうにかしようとする必要はないのです。起きている時の意識があるまま、記憶の認識、思い、考え、感情、心と言った生じては滅している実体のない働きがあるままに認識が落ち切り、実体なき自己が消滅したままになるのです。自己が消滅した本来の法としての法身の在り様は、絶対に怒らないとか、愛と感謝だとか、そのような覚者や聖人聖者と世間では呼ばれるているような在り様ではありません。
真我実現(覚醒)すると、つまり悟りを開くと、すべてのベースは真我(アートマン或いは意識)であり、その中でドラマのように世界が展開していっていることが解ります。この真我は内側にあり、世界は内側にあります。そして、外側は存在しません。覚者イエス・キリストは言いました。「神の国は内側にある」覚者ラマナ・マハルシは言いました。「内側を見るようにしなさい。そして、それを習慣にしなさい。」覚者ニサルガダッタ・マハラジは言いました。「「私は在る」をつかみ取りなさい。そしてほかのすべてを手放しなさ
再度、実在と幻想について書いていきます。実在とは、永遠に不滅の存在です。幻想とは、始まりがあり、終わりがあるものです。真我探求の道(悟りへの道)において、この2つの概念は非常に大切です。覚醒すると、真我だけが実在であることを自我が深く理解します。その他のすべては幻想です。真我とは、すべてを顕現し認識(観照)するものです。そのため、意識と呼ばれることもあります。覚者ラメッシ・バルセカールは「存在するすべては意識である」と常々言っていました。朝、目が覚めると、世界は真我の中に立ち現
これまで、私(この肉体)の覚醒と真理についてブログに記してきました。真理とは本当に簡潔明快なものですが、自我がそれを受け入れません。真我を実現することは葛藤や苦しみを乗り越えながらの作業になります。このブログが修練の手助けになれば良いと思います。投稿数が100に到達しましたので、再度最初の投稿から、多少加筆しながらご紹介していきたいと思います。私は真我探求を終え、あるがままに生きている者です。このブログに到達した方は、おそらく真我という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。真
ウクライナ語で出版されたパイロットババ猊下の著書『ヒマラヤ・シッダヨガ』第3章より、機械翻訳したものをご紹介します。我が師パイロットババ猊下の物凄くスケールの大きいお話です。これまで世界中に覚者=仏陀は数々存在しましたが、パイロットババ猊下程の偉大な覚者は存在しませんでした。人間でありながら24番目のアヴァター様としてヒマラヤのアヴァター様達に認められている、マハヨギ・パイロットババジ猊下の偉大さが理解できます。この話が頭ではなく実際に理解できる人は、これまで知らされてきたサマーディを遥
肉体(人間)の悩みの根源は、ほとんど人間関係にあります。誰しも、肉体が生きている間は、この人間関係のせいで、自分を取り巻く世界に惑わされます。さて、肉体が覚醒(悟り)への道や真我探求に足を踏み入れてない場合は、この人間関係や多くの悩みを改善しようと、自己啓発本などを読み漁ることになります。しかし、何度も言いますが、世界は自動的に動いており、起こったことはそうなるようになっていました。なぜ世界は自動なのかは、このブログのあちこちに掲載してますから、ぜひご参照ください。人間関係の話に戻りま
「許す」ということは覚者にとっては当然の行為です。世界では、いろいろなイベントが起こり得ます。実際には、個人というものはありませんが、辛いイベントに巻き込まれた個人は、怒りや悲しみを味わいます。しかし、その出会ったイベントでさえ、起こるべくして起こりました。そして、そのイベント内での人間関係の複雑さや、感情の縺れも起こるべくして起こっているのです。このイベントのせいで、自らのマインドに怒りや悲しみ、憎しみが生まれても、やはりそれは自動的に起こるべくして起こっている。だから
心はどこにあるのでしょうか?そもそも心とは何なのか考えたことがあるでしょうか。人は人間社会に出る頃から、つまり幼稚園や保育園に通う頃から、イヤな気持ちを感じるようになります。これは、人間関係を構築する上で、避けられない行程です。そこから、生涯、自分のイヤな気持ちに苦しみながら、人は生きていくのです。さて、この苦しみから脱却しようと、ある日真我探求(悟り)の道に入り真我実現すると、圧倒的に人生が楽になります。なぜなら、自分は体でも心でもなかった!と知るからです。しかし、真我実現してい
無執着(捨てる)こそ、幸せをもたらします。幸せとは静寂です。この世界は、意識の中に立ち上がります。意識こそ本当の私であり、真我です。誰でも、自分は体であり心だと思っていますが、そうではありません。意識の中で、世界も体も心も自動的に動いているのです。これを実感するには、真我実現しかありません。さて、すべては自動的に動いていますから、個人にはすべてどうすることもできません。したがって、結果は個人でコントロールできるものではないのです。だから、無執着に努めることです。執着なんて何の
困ったことややりきれないことも当然起こります。では、この困ったこととは誰にとってでしょうか?もちろんそれは自我にとってです。自我とは、個人の思考や感情のことです。しかし、真我に困ったことなど何もありません。それどころか、嬉しいことも楽しいこともないのです。真我の性質は、静寂であり沈黙です。ただ静かに存在する永遠不滅のスペースであり、純粋意識です。この真我である純粋意識は、世界にそれしか存在せず、他者がいないため、私という感覚がありません。ただ、あるだけです。その中に、ある肉体を中
静かにしていましょう。沈黙していなさい。すべては、真我である意識の中で、自動的に変化していき、それは個人で変えることができません。安心して、時の流れに任せておくことです。すべてはそうなるようになっているのですから。沈黙していましょう。心を覗いて、言葉が出てきているスペースを凝視しなさい。そこは、沈黙の空間。目を開くと、その空間に世界が映って見えるだけです。この沈黙の空間こそ、本当のあなたです。あなたは身体でも思考でもありません。沈黙の空間こそ真我、そして原初の力です。これ
【導師スワミ・アディティヤナンダ・ギリジ師のご紹介】スワミ・アディティヤナンダ・ギリジ師は1989年に師の師で、「インド2000万聖者の最高峰」「現代の仏陀(覚者)」と称賛され、インド政府が公認するシッダマスターである『マハヨギ・パイロットババジ猊下』が開発されたサンカルパヨガを習ったヨギからそれとは知らずに実践中に最初のサマーディを成就されました。*以後スワミジ師とお呼びいたします)サマーディは、仏教では集中という意味に矮小化されていますが、実際はニルバーナ(涅槃)やモク
普通の人は,有名な神社ほど,ご利益があると思って,有名な神社にお詣りにいくと思う。しかし,有名な神社ほど,実は穢れていることが多い。特に,公的性格が強い神社はよくない。本当に霊格の高い人間は,そのような神社へは行かない。公的性格が強い有名な神社には,磁場が強い場所もあるが,しかし,磁場が強い境内にも邪気だらけの場所が点在する。波動が分かる人なら分かると思う。では,本当に神聖な力が満ちている神社は,どのようなところかといえば,縁がないといけない神社である。誰でもいけるような神社ではない
同じ年齢の人達より若く見える群れない(精神的に自立している,能力的に高い)目が普通の人と違う(魂が低い人間は動物的な目をしている,逆に動物でも,魂が高いと,魂の低い人間より,澄んだ目をしている)俗世間の話に興味がないテレビはほとんど見ない食べ物に気をつけている(添加物などを避ける)とても気が利くしっかりとした自分の考えを持っている(人に左右されない)空気が読める想像力がはたらく(魂が低く,動物的な人間ほど,想像力がはたらかず,後先考えず行動をしてしまう。犯罪
世界にはあなたしかいません。このあなた(本当の私=真我)は、体でも心でもありません。つまり、人間ではありません。あなたは、無限の大きさを持つ透明な画用紙のようなものです。この透明な画用紙に、ずっと自動的にドラマが再生されているのです。このドラマが一つの肉体の目を視点に流れていき、しかも他の肉体の心の声は聞こえないのに、この肉体の心だけは聞こえています。そのため、肉体が物心つく頃には、私は肉体(人間)だと勘違いしてしまうのです。でも、真実はそうではありません。全ての背景にある透明な画
いつだったか、ある覚者がこう言っていました。『できている人に合わせて教えていく』この言葉の意味や理由の説明は、当然ありません。この言葉を先入観でみると、おそらくできる人やできている人は伸びていって、できていない人は置いていかれるという風になるのではないでしょうか。先入観を持たずそのまま聞くと、まったく別の意味に捉えることもできます。あなたには、どう捉えることができますか。遊んでみてください。
関わらない。関わらないで良いことには関わらない。これは、覚者にとっては当然の論理です。しかし、関わってしまって、何とも困った事態に陥ってしまったら。その時は、関わってしまったことを後悔する必要ありません。なぜなら、関わるようになっていたからです。全ては意識が動かしており、個人の力ではありません。しかし、普段は『関わらないで良いことには関わらない』という姿勢を持っていたほうが良いでしょう。この考えを徹底していた大覚者こそ、ラマナ・マハルシです。彼は訪問者が質問してきたときも、ほと
私達が体験している世界は、すべて意識が動かしています。意識は、何の意志もなしに自動的にすべてを顕現します。もちろん、私達が自分だと思っている体も意識が顕現します。私達の思考も、意識が自動的に顕現します。すべては、意識のものです。では、意識とは何か。この意識こそ、本当の私、つまり真我です。ところが、私達はすっかり体と心が自分だと勘違いしてしまいました。しかし良く観察すれば、この真理は明白なのです。さて、すべては意識です。だから、何が起こっても、意識のせいです。個人のせいではあ
前回の続きです。ドラゴンを呼び出すことに成功したエリシオン。エリシオンが立ってたところにドーーーン短い逢瀬でしたねドラゴン「今のようなやつが何をしようとしまいと…我がこの地に、破壊をもたらすのは変わらん。止めるには我を斃す他ないが…今のお前には不可能だ。お前が望むなら、しかるべき時に…我に武器を振るうことを許そう。それまで、お前からの預かり物は無事だ(主人公の心臓のこと)。"竜を識る者"がその意味をよく知っていよう。」地面が割れて覚者は落ちていきます。ふつーに無傷でした。そのまま竜を
Switch版のドラゴンズドグマダークアリズン始めました。こういう洋風なオープンワールドゲームするのは初めてなのでドキドキしてます。私みたいなトロい奴がちゃんと戦えるのか、エンディングまでいけるか不安ですが頑張ります主人公のキャラメイク細かく作れて楽しいですね〜。職業は弓とダガーが使えるストライダーにしました。可愛く作れた気がする…!可愛い+美人じゃないですか!?主人公気に入りました村を襲撃したドラゴンに心臓を奪われてしまう主人公。それでも生きてるってどういう仕組みなんだろうね?でも
こんにちは、しゅんすけです。今日は愛の波動というお話です。………人間しゅんすけさんは人類が目覚めることではなくあなた一人が目覚めることそれ大切だと思うタイプです。もちろん多く目覚めるに越したことはないかと思いますがそれには、まずあなた一人の目覚めが大切だと思います。例えば道端で一人で泣いている子供を見た時自分が声をかけなくても誰かがやってくれるだろう…と思う時があるかもしれない。自分が目覚めなくても誰かが目覚めてくれるだろう…と思うか