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母が急にこのアパートは嫌だ💢引越しする!と言い出した理由は裏で解体工事が始まったらからの様でした。週3はデイサービスでアパートにいないのですがそれ以外の日、工事の音に耐えられず、「数ヶ月我慢すれば音がしなくなるから」と説得をしても母は1度嫌だと思ったら思い通りになるまで絶対に譲らず…今後も母に振り回されていきました😭高齢者でアパートを借りれずあんなにあんなに苦労したのに😭胃痛の再アパート探しが始まりました😭マンガでわかる!認知症の人が見ている世界(健康実用)[
鉄の女病に倒れ麻痺が残って要介護四で一人暮しコロナとは言え皆見事に君ならできる一人でも大丈夫じゃーーーという感じそう言われればご期待に沿うようにやれねばならんね!この荒療治が良かった寝たきりから自立歩行良く考えたら2020年8月31日に放射線治療20回終了でまだ3年8ヶ月復活長かった泣きながらリハビリただ泣くだけなんて時間の無駄現実は泣いても笑っても変わらない私は癌だから免疫力アップのために笑う一択💞
このブログは義父と義母を介護した過去の経験をもとに書いたものです。思いつくままに書いており時系列順ではありません。あらかじめご了承ください。「子が親の面倒をみるのはあたりまえ」今まではそれがまかり通っていました。一方で「子は自分の子供には金を使うが親には使わない」とも。つまり介護は子育てと違ってお金よりも体力勝負だということ。体力のなかには時間の消費が加わります。実に時間がかかります。介護から遠ざかっている親族からは「
義父はもちろんですが義母もまた心配な状況です。以前は、まぁよく働く人でした。私達が義実家へ行くと、義父は何かやらせようと用事を言いつけるのですが、義母は逆に「ウチに来た時くらいゆっくりしな〜」って言ってくれる人です。そんな義母が最近は物忘れが激しく、全く動かなくなったそうです。夫が出掛ける前日に「明日は〇〇に行くよ」と言い、翌日の朝にも言い、出掛ける時に「行ってくるね」って言ってテーブルに何時に帰るってメモ📝まで置いて、出かけたのに帰ると「どこ行ってたん?」って…また、お昼はおにぎり🍙
2017年の初夏に脳出血に倒れ、要介護となった母。急性期病院&リハビリ病院を経て、自宅介護でマイペースの日々を送っていました。ところが。2019年の終わり、こんどは脳梗塞を発症し、現在入院中。脳出血発症時のことプラス、ほぼ現在進行形で脳梗塞の病状についてつづっていきたいと思います。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から←前の話7日め。母の病室にて。「少しは話した
2017年の初夏に脳出血に倒れ、要介護となった母。急性期病院&リハビリ病院を経て、自宅介護でマイペースの日々を送っていました。ところが。2019年の終わり、こんどは脳梗塞を発症し、現在入院中。脳出血発症時のことプラス、ほぼ現在進行形で脳梗塞の病状についてつづっていきたいと思います。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から←前の話もともと脳出血で後遺症が残る母。重ねて脳梗
昨日は母の介護認定調査の日だった少し早めに病院に行って入院費の支払いとレンタル品の支払いをして待っていた認定士さんが来て、看護師さんが来て母は車椅子に乗せられて連れてこられたニコニコしていてあら、忙しいのに来てくれたの?と喜んでくれたなんだか少し痩せてスッキリした感じだった認定士さんからの質問にもスラスラと答えたが朝、顔を洗ったか、クスリを飲んだか分からない、リハビリはしてないとか不安定な記憶力車椅子から立って歩く事はできたけど認知の方が不安な感じだったが
2017年の初夏に脳出血に倒れ、要介護となった母。急性期病院&リハビリ病院を経て、自宅介護でマイペースの日々を送っていました。ところが。2019年の終わり、こんどは脳梗塞を発症し、現在入院中。脳出血発症時のことプラス、ほぼ現在進行形で脳梗塞の病状についてつづっていきたいと思います。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から←前の話その後も手荒れがひどくて、iPhoneのTo
2017年の初夏に脳出血に倒れ、要介護となった母。急性期病院&リハビリ病院を経て、自宅介護でマイペースの日々を送っていました。ところが。2019年の終わり、こんどは脳梗塞を発症し、現在入院中。脳出血発症時のことプラス、ほぼ現在進行形で脳梗塞の病状についてつづっていきたいと思います。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から←前の話入院4日め。母の病室へ。声を
高次脳機能障害さいたまこれからの道さんが記事をリブログしてくださいましたありがとうございますっこれからの道さん様々な活動をされています浦和パルコや大宮区役所での活動など同じさいたま市です上記のページから他の記事も読むことが出来ますぜひお立ち寄りくださいさんご指扇には難病を患うかたも利用されていますまた職員には障がいを患う家族や要介護となった親をみている者もいます人と人とのつながりだけでなく保護猫や地域猫との生活まで小さな輪がつながって大きな輪となるよう
これは今から5年前に母が希少がんのGISTと診断された時の体験記です。【経過観察を選んだ結果/共存】セカンドオピニオンの先生が、主治医の先生宛に報告書を書いてくれたので、それを持って主治医の先生の診察を受けました。その時に家族で色々悩んだ結果、最終的にリスクを理解した上で、経過観察で様子をみたいということを先生にお話しました。そして、半年に1回の検査で経過を見ることになり、3年が過ぎた頃に先生から話がありました。「腫瘍が大きくなることもなく、他への転移もないので、1年に1回の検査にする
2017年の初夏に脳出血に倒れ、要介護となった母。急性期病院&リハビリ病院を経て、自宅介護でマイペースの日々を送っていました。ところが。2019年の終わり、こんどは脳梗塞を発症し、現在入院中。脳出血発症時のことプラス、ほぼ現在進行形で脳梗塞の病状についてつづっていきたいと思います。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から←前の話脳梗塞で倒れた母はまあまあ順調のようで、手術の翌
2020年4月16歳の女性がご自分に当てた手紙人に優しくできていますか同時期に血液の癌で要介護四一人暮し寝たきりだった私は人の役に立ちたいそう願っていたいよいよというとき集めたものではなく与えたものに価値を見出す行動した事のレスポンス16歳の少女はTikTokの視聴者からのコメントに喜びそれが発信の力になった私を見てではない人に優しくできているかどうかの手応えが欲しかったのだと思う同じく血液の癌で31歳の若さでこの世を去った新潟ご出
あなたがやりたくないことは若い人はもっとやりたくない自分介護が出来れば健常者の生活費と変わらない自分でやらず人にやらせる不思議介護保険料の削減は要介護になろうと自分でやること【自分介護】ノウハウを知ることからその成功例を海外に輸出すれば日本は福祉先進国取り掛からない不思議要介護四でも4年で健常になれるのに
この日の午前中は、私の携帯に知らない携帯番号から何度か着信が入っていました。この頃、営業の電話が多く掛かってきていたので、知らない電話番号には出ない様にしていました。お昼ごろ、包括センターから電話があり…『午前中何度かお電話させて頂いたのですが…。ご近所さんからご連絡があって、お母さまが昨日の夜と今日の朝、ズボンを穿かれないで下着姿でお庭にいらっしゃるとの事で…。午前中にご自宅に伺ったら、やっぱりご自宅の駐車場におられまして…。「私の中に誰かがいる。何か
月曜日の担当者会議がある。前回のトラウマで、母が出席することがとても心配です。『当事者ではないとわからないこと・・・』今回は少々ケアマネさんの不満のようになってしまいましたが、自分は仕方ないのかな、と思っていることです。『同居しないとわからないこと・・・』実は、年末警察にお…ameblo.jp母が出席しないほうが良いと思っているが、間違っているだろうか・・・。今回は、特に「要介護が3になり、自分が大変なります。あれこれ、利用していきましょう・・・」とのことになるでしょう。
口腔機能低下症は50歳以上の加齢的な衰えのみならず、若年層にも広がりつつあることを説明しました。とりわけ、口臭で悩む人には年令を問わず非常に多いです。口腔機能低下症は50歳以上の加齢的な衰えのみならず、若年層にも広がりつつあることを説明しました。とりわけ、口臭で悩む人には年令を問わず非常に多いです。そんな人のための、7つの原因を克服すべくDIY(自分でできる)なトレーニング法について順次解説しています。本日は最終回7)咀嚼(そしゃく)機能障害に対してです。歯で食物を咬み、飲
2017年の初夏に脳出血に倒れ、要介護となった母。急性期病院&リハビリ病院を経て、自宅介護でマイペースの日々を送っていました。ところが。2019年の終わり、こんどは脳梗塞を発症し、現在入院中。脳出血発症時のことプラス、ほぼ現在進行形で脳梗塞の病状についてつづっていきたいと思います。↓脳出血の母日々のキロク↓←救急搬送&急性期病院の話最初から←リハビリ病院の話最初から←前の話さて。朝食後、急に様子がおかしくなった母。
年始に旦那の実家にご挨拶に伺いました旦那の実家には、長男夫婦である私たちと、妹夫婦とその子供が集まり、旦那のご両親とみんなでワイワイご馳走を頂きましたご両親と妹家族はご近所に住んでいるので、よく一緒に旅行に出掛けるそうで、その時の話を楽しく聞いていましたそれなのに、帰り道、何だかとても寂しい様な気持ちになり…旦那の家は良いな、ご両親がお元気で旅行にも行けて、皆さん幸せで…(暴言も吐かれないし)私の母の暴言はこんな感じ↓『認知症診断の為の病
冷や汁食べて、朝散歩。お城の中に、桜は、葉桜。もう次の季節が待ってる。勝山公園はフリーマーケット中、のんびり散歩かねて、犬のお散歩かねて、私は、お昼はここで、アーモンドチキン美Sradavento。おしゃれ、野菜たっぷり、青空と太陽もおかずに、最高です。デザートは草餅。今日は全国的に暑い24℃、6月なみ。小倉も上着なしシャツだけで、気持ちいい。朝から冷や汁、完全に夏日です。豆腐、きゅうり、茗荷、大葉で、久原のあごだし冷や汁で、夏だーーー、朝から元気。
久々に楽天お買い物マラソンに参戦した!!私、知らないうちにめっちゃストレスたまっていたみたい。10店舗達成さて、ハゲがそろそろ、彼女と会いたいんじゃないかなぁと勘ぐる。GW付近に動き出しそうねまぁ、そんな金あれば払ってもらうつもりだけど。最近はハゲに金を出させることに遠慮がなくなったし、もう二度とハゲと性行為をしなくていいと思うと本気でうれしい!!不倫発覚前は、めっちゃ嫌だけど夫婦だからそれに答えなきゃいけないのかと憂鬱だったその点では離婚も有利にできるしいいことだらけだ!今朝
父親が要介護になり母親の入ってる特養にショートステイに行く契約ができたまあ、要支援でも大丈夫だったけど‥そこで、負担限度額認定の問題が浮上年金額が上がったしそもそも父親の年金額では上限を超えてるねと話をしていたなのにその件で仕事中に1回電話がきて帰宅してから再度電話がきて暇なんだし、病院に行くついでなら市役所にも行って確認してきたら?と言うと暇ではないけど早めに出て、市役所言ってこようかなと言ってたなんか、ケアマネに一応確認してみたらと言われたらしいだったら
認定調査を受けた日から20日後、包括センターの方から要介護認定の結果が出ました!とご連絡がありました。(本来なら母の自宅に郵送される物ですが、失くしてしまうといけないので、包括センターの方にお願いしていました)結果は…要介護1認定調査の時、私が知っている40年以上の母の中で、一番まともの見えたのに。プロから見たら違ったのかな?(後々になってはじめに行ったかかりつけ医で認知症と診断されていた事を知りました)要支援と要介護では受けられるサービスも入れる施設も違うので、
認知症の周辺症状が激しく出て、現在、認知症疾患医療センターへ入院中の母昨年の年賀状の時期から、症状は現れていて、年賀状も上手くは出せずにいましたが、まだまだやり取りをしているお友達は居て下さって…(昨年は頂いた年賀状に母本人が普通のハガキでお返事を書いていました)さて、今年頂いた年賀状はどうするか…悩んだ結果、私が年賀状仕舞いのおハガキを出させて頂く事にしました本来ならば、年賀状より前もって出すべきですが、そこは失礼させて頂いて…今回、頂いた年賀状
家族が介護したくなければ頭を下げてでもお願いするしかない嫌なら介護有料サービスでも家族でもなく自分でやれば良いんだよ自分介護0円気兼ねなしどなたも家に入ってこない家事をすることでリハビリになり気を遣わずに要介護四から自立歩行できるよ!私だってできたんですから
こんばんは芳村かおりです新年度がスタートして早半月過ぎましたねいやぁ〜〜💦💦芳村かおりさん又1つ大人になってしまいまして年齢はスルーして・・・っと母親がいなくなりそして昨年父親いなくなり要介護人を無事見送った安心感もあって物凄くホッとした精神状態で迎えた誕生日1泊2日の強行スケジュールではありますが満喫してまいりましたって〜〜まだ那覇空港で帰りの飛行機待ちですが〜テキトーに写真のみアップしておきますわ〜
ふ私が要介護3なのを恐れるのは要介護のの度合いは1から5までしかなくて4になると施設に行く人も多いからです。そうなると作業所にもいけなくなるし友達や恋人にも会いに行けなくなります。せっかく掴んだ私の幸せが全部なくなってしまうのです。しかも私は身寄りがない天涯孤独なのでケースワーカーさんがもし面倒だから施設に入れとくかとなったら一巻の終わりです。要介護4にならないように頑張りたいと思いますね。良い一日をお過ごしください。
義母と同居することになりました。要介護になったこと、災害の影響で家に住めなくなったことによるもの。もちろん食事等は私が全てしなくちゃいけない。洗濯も掃除も。あー嫌だなとか面倒だなと思う気持ちの方が強くて、そんなふうに思いながら、1週間経ちました。今日、粗相をしてしまった義母。頭を下げて私に洗濯を頼む義母の方が、洗濯する私より辛いような気がして。私だったら自分のことは自分でしたい。他人である嫁に頼むのは気が引ける。気にしないでと言ったけれど。介護される方もしんどいね。
ちょっと長くなります父親は昨年脳梗塞を患い半身不随に。病院からリハビリセンターに移ったもののリハビリ中に元々傷めていた膝をさらに悪くしてしまい、父がリハビリを拒否まぁ…心も折れるよな…70代ですっかり細くなってしまった脚で、しかも片足不自由で歩こうとするんだから。そりゃ膝に負担かかるわな。それをきっかけにか分からないけど、父は「自宅に戻りたい」と。コロナのせいで私はお見舞いも行けなかったからハッキリとは分からないけど、察するに、父は半身不随なだけ
今要介護4レビー小体型認知症、車椅子の父要介護4レビー小体型認知症、パーキンソン病、車椅子、全介助の母1年前父要介護1認知症母要介護2レビー小体型認知症、パーキンソン病の疑い去年の今ごろ、家族で温泉旅行に行ったまあ、ギリギリだったけど歩けたし介助しながらご飯も、自分で口に運べた施設内で、迷子になったり、トイレもびちょびちょにしたらしながらも、なんとか過ごしたのが、今は嘘のよう。母は、本当に何も出来なくなってしまった父も、会話も成立しない何より2人とも、車椅子