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路線バス(高速バスを含む)だけを使って夫婦で西国三十三所を巡礼しています。【前回のおはなし】【最初から読む】~~~~~~~~~~~~~~~次の札所は竹生島の宝厳寺。妻と2人で彦根から船で向かうことにします。この巡礼は路線バス(高速バスを含む)と徒歩だけで旅をすることにしていますが、竹生島へ行くには船に乗るしかありません。自宅(大阪)から彦根までの移動の話、それと彦根駅前で名物の近江ちゃんぽんをいただいた話は別の記事に書きました。よかったらそちらもご覧ください。【大阪⇒彦根】
ご無沙汰しております高野山の記事をアップし終えてホッとしたのも束の間堰を切ったように新しい波がいくつも押し寄せ怒涛の日々を送っておりましたがやっと落ち着いてきました。新しい流れが始まった。そんなイメージの新生活が始まっています小学6年生まで「総持寺」のある茨木市に住んでいました。地名だとばかり思っていたけれど(実際地名だけど)「総持寺」というお寺があって栄えた街なのではないでしょうか。そしてこの度新しくJR総持寺駅が開業その記念に合わせ御開帳された
12月5日に、熊野三山巡り、西国一番札所の、那智山青岸渡寺のお参りを済ませた翌週です。白内障の手術日が決まっているのでそれまでに満願したいと日程調整していました。12月12日(月)・第30番札所宝厳寺・第33番札所華厳寺の参拝に5:40出発6:20新名神高速道目の手術前ですがマァ見えてます。7:10、大津SA日の出8:30長浜の連絡船乗り場に着駐車場には誰も居ない!一番乗りかと思ったら、9:00発と思っていた
私事ですが、この度夫婦で西国三十三所公認先達になりました。西国巡礼中、最後の2日間一人で周られている先達の方と随所で会いました。やたらと目に付き、何かの導きを知らせる時に酷似していました。私だけが気になっているのかなぁと思っていましたが、その日の夜主人に言ったら、主人も気になっていたそうです。改めて西国三十三所のオフィシャルサイト↓を見ると、先達会のページがありました。先達会のご案内saikoku33.gr.jp(以下「」内は↑サイトより)
令和元年も後僅か。今年最後のお出かけに大阪の「四天王寺」。ランチはピッツェリア・ダ・ティグレランチの後、四天王寺に【南大門】創建は、推古天皇元年(593)に建立。南大門を入ると【仁王門】昭和9年(1934)9月21日、近畿一円を襲った室戸台風によって五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門(中門)も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被りました。昭和15年(1940)、努力のすえに五重塔が再建されましたが、それも束の間、昭和20年(1945)の大阪大空襲により、六時堂や五智光院、本坊
御本尊如意輪観世音菩薩御開帳日毎日宗派真言宗豊山派入山料400円岡寺へは橿原神宮前駅からバスに乗って向かいます。岡寺前のバス停で降りると鳥居が見えます。鳥居をくぐって10分程歩くと岡寺に到着です。本堂よりも手前の仁王門をくぐった所に手水舎があるのですがガラス玉のようなものが綺麗に敷き詰められていました。大師堂にも寄りました。三重宝塔はかなり高い位置に建っておりますので下からお参りして終わりました。帰りにやくよけぜんざいを買って岡寺を後にしました。御詠歌けさ見れば
先日ご案内した西国三十三か所巡りの写真を整理していたところちょっと珍しいものがありましたので、これは是非ご紹介したいと思います!o(^▽^)o西国三十三か所満願霊場の「谷汲山華厳寺」です。本堂の両脇の柱に鯉が張り付いています、何でお寺に魚が?巡礼お参り後、皆さんが触って帰られます・・・これは?( ̄□ ̄;)「精進落としの鯉」だそうで、巡礼の旅を終え俗世に戻る為に鯉に触るのだそうです。鯉は、口を開いた阿形と閉ざした吽形の2匹がいました。\(^0^)/「おいずる堂」、おいずるとは巡
7月1日、本日の西国巡礼は京都山科から滋賀県を回ります!華頂山元慶寺(西国三十三ヶ所番外札所)お次は、滋賀県に長等山園城寺(三井寺)(西国三十三ヶ所第十四番札所)山門の後ろの受付から入ろうと思いましたが・・・観音堂に近い、西の受付から入ります、入山料¥600西の受け塚から入るとすぐに「水観寺」西国薬師霊場第四十八番札所。観音堂に続き石段石段を登ると観音堂の横に出ました。観音堂の前に有る「百体堂」西国礼所の三十三観音像、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の本尊、