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とりあえず、こんばんわ。局長です。アイドルアニメやソシャゲといえばアイマスやラブライブがめちゃくちゃ幅を利かせまくっている中で、アイプラがまだソシャゲやってるというのを聞いて、こんな状況でよく生き残れるなーって思いましたよ。まぁ、根強いファンがいるって事なんでしょうな。WUGなんてソシャゲも出したのに1年で消えたし・・・。というわけで、前回の続きでも。原爆資料館での展示を見て回っていく局長。前回は建物疎開作業中に亡くなった生徒たちの遺品を色々と見たのですが、あの日あの時あ
今年の広島の原爆の日は、ちょうど広島の実家に帰っていました。目的は美容院に行くためだったのですが。(笑)今回、襟足も刈り上げてスッキリです20年弱お世話になってる美容師さんに『初めてカットした髪型』言われたけどね(笑)8月6日の朝。布団の中で目覚めたのは8:00頃。8:15に黙祷する気満々だったのですが・・・それまで布団で携帯ポチポチ。ふと気付いたら8:15!!慌てて、布団の中で黙祷しました。←コラ(笑)その後、起きて広島市長のスピーチを聞い
★過去の記事を加筆修正しての再投稿です。今日は8月9日。長崎は77回目の原爆忌を迎えた。今日は出勤しないので、10時35分からNHKテレビで長崎平和記念式典の中継を見ようと思う。※以下が以前の記事。2020年8月7日(金)付読売新聞の1つの記事が目に留まった。“親の被爆伝える”という大見出しで組まれていた2つの記事のうち、“「生ましめんかな」続く命”という小見出しの記事だった。体内被爆者を母に持つ小嶋大士(ふとし)さん(39)(広島市
修学旅行中の中学生が長崎で原爆についての解説ガイドをしていた被爆者に「死にぞこない」という暴言を吐いたということが問題になりました。「死に損ない」長崎被爆者に修学旅行中の中学生が暴言修学旅行で5月に長崎を訪れた横浜市の公立中学校3年の男子生徒数人が、爆心地周辺を案内していた被爆者で語り部の森口貢さん(77)に対して「死に損ない」などの暴言を発し、森口さんが学校に抗議していたことが6月7日、分かった。www.huffingtonpost.jp第二次世界大戦の戦局が悪化し
浦上駅脇にある、観覧車があるショッピングモール「ココウォーク」から東側の坂道を少し登った所にある墓地内に「原爆犠牲者之慰霊塔(浦上町)」が建立されております。所在地:長崎市緑町5建立年月日:昭和29年8月14日管理者:長崎郷土振興会まずは碑文をご紹介致します。(裏面)昭和二十年八月九日原子爆弾による四○○余名の犠牲並びに戦争犠牲者の霊よ安らかに眠れ浦上町(正面)涙痕之碑昭和五十年八月九日被爆三十回忌長崎郷土振興会之建(納骨堂)昭和五十一年五月竣工
長崎大学の裏手、つまり爆心地や平和公園から東側は金比羅という山側に「穴弘法寺」という古くからのお寺があります。その穴弘法寺に登る途中にある経の峰の墓地は「原爆死」「昭和二十年八月九日死亡」と刻まれた墓碑が目につきます。一家で六名が同日、犠牲になったことを示す墓誌もあります。いまも爆風で傾いたままの石塔、破壊されたまま、修復されていないお墓も残されています。穴弘法寺は、何かあった時は長崎医科大の救護所に指定されていました。被爆し瀕死の多くの大学関係者や市民が必死で長い石段を登って
晩には30近くのアクシス数があったのにゼロってことはないでしょ1ヶ月で5000近くアクセスがあってもそれがなんなのという感じではあるアクセス数なんて意味がないいっぽうYouTube中国の高速鉄道が原子炉に時速500キロで突っ込んだの記事これは信憑性が低いこんなことがあったらニュースで言ってるってレアアースの採掘やらで被爆者2000万人以上はほんとらしい追記数時間でゼロではなくなってました。
こんにちは。かどえもんです。いや~。夏真っ盛りで毎日暑いですねえ。(;´▽`A``先月も熱い中旅行しておりましたが広島に行った際は平和記念公園も行ってきました。そういえば8月15日は終戦の日ですね。なので今回は戦争にまつわるマンガを紹介しようと思います。====================戦争ものに対する感想について。====================殆どが戦争はよくないです。平和が一番!・・・といったメッセージだけの作品ばかりなんだろうな~
『広島第二県女』ゆかりの方々にお話を伺いました①8月6日の慰霊祭の終わりに体育教師・福崎博先生の息子さん、関さんより2学年上の先輩切明千枝子さん、同級生森澤妙子さんの弟さん、山中高女の卒業生の方にもお話伺っています映像に登場する切明千枝子さんの証言映像がYouTubeにありました。切明千枝子【広島平和記念資料館_被爆者証言ビデオ_VS00930】病院へ向かっている途中、突然の閃光に目がくらみ、建物の下敷きに。火傷は免れたが、頭や首筋などにガラス片が刺さり軽傷を
原爆投下の折には、沢山の被爆者を助けて頂いた事には感謝の言葉しかありません今も同じ場所に存在しています多宗派の私が散策していても、何かを言われることもありません有難うございます