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泣塔誕生から80年ほど見た目は酷いが、ひとまず、丸裸にしたのは正しいと思う。岩肌に重い木々がへばりついている状態は崩れるリスクが高い。個人的には、泣塔は、近隣の寺院などに移設してしっかり供養してあげてほしい。勝手なことを言えないことは重々承知だが、例えば寺分周辺の開発や伊勢山を崩したときに行き場を失った供養塔や供養碑などの石塔群の類が寄せ集められたとされる等覚寺の他の石塔群と一緒にしてあげて供養してあげてほしい。そして、一部だけ残ってしまった伊勢山はしっかりと供養して崩してあげてほしい。
ハーフバースデーの記念撮影でSTUDIOMARLMARL(スタジオマールマール)丸の内店を利用したのでレポします生後6か月って、赤ちゃんらしさがしっかり残っているのに、表情やしぐさが一気に増えてくる時期ですよね♪今回は、・ハーフバースデー撮影・衣装レンタル(70cm)・家族写真あり・おしゃれなスタジオ撮影を希望していて、まさにぴったりでした。STUDIOMARLMARL丸の内店は、ストアを通り抜けた先にあり、雰囲気があって上品で落ち着いた世界観が本当に素敵。公式サイトで
土甘(とがみ)今回は藤沢駅北口スタート。江島大道を歩く。土甘(砥上)奈良時代の「日本書紀」に高座郡が記載されており、古くから土甘郷(とがみごう)や方瀬郷なども文献に登場する。平安時代に源順(みなもとのしたごう)が編纂した「倭名類聚抄」に土甘郷や大庭郷が記される。大庭御厨に属する鵠沼郷も平安時代に郷名として見られる。砥上は土甘郷にあった集落で、砥上ケ原(とがみがはら)は土甘郷にあった広い荒地のこと。水田もあったが現在は全て埋め立てられ住宅地や商業地域になっている。石上通り、江ノ電
腰越(こしごえ)今回は江ノ電腰越駅スタート。腰越山(浜上山)、矢沢山、峯山、龍王山、大野山と、腰越から鎌倉へ向かう旧道を歩く。腰越の平山を越えていくと稲村ケ崎と紀行文「海道記」にも書かれているように、腰越・鎌倉間の「鎌倉道」旧道は山のなかにあった。津津は吾妻鏡では積良と記され、津郷は津村郷とも記される。津郷は深沢荘に属していたことがある(鎌倉郡村誌)。腰越「風土記稿」などによれば北方の腰越山(浜上山)が高く、南に肥沃な低地が広がっており、民が山の中腹(腰)を越えて移
埼立(はしだて)今回は江ノ電稲村ケ崎駅スタート。稲村ケ崎、砂子山、迎山(向山)、陣鐘山、大野山・見出山・親不知山の尾根に出て終了の旧道を歩く。埼立「鎌倉志」に長谷村と隣接する橋立村が遺名と記され「はしだて」と訓まれる。鎌倉郡埼立郷は長谷・坂下・極楽寺にわたる地域と推定されている。また片瀬・腰越のほか常盤・寺分・町屋・山崎・台・小袋谷・大船なども含まれると深沢郷と同一視する説もある。「倭名類聚抄」に鎌倉七郷の1つとしてあげられているのが初見ながら「今鎌倉郡中にその遺名とおぼしき
鵠沼(くげぬま)鵠沼の旧道を歩きます。その2普門寺を参拝。普門寺普門寺は神奈川県藤沢市本鵠沼5-4-12にある高野山真言宗の寺院。相模国準四国八十八箇所のうち第四十七番札所と第八十八番結願の札所。明治5年(1872年)から大正2年(1913年)まで藤沢市立鵠沼小学校の前身である鵠沼学舎尋常高等鵠沼小学校が置かれていた。密巌山遍照院普門寺と号し高野山真言宗(古義真言宗)に属しているが元は「三島山感應院三十二か寺」の1つであった。過去帳によると享禄元年(1528年)5月感