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突然ですが、「杉屋佐助」なる人物をご存じでしょうか?江戸時代後期に名古屋で米問屋を経営していた方で、尾張藩とも繋がりが強く、名字帯刀(みょうじたいとう)を許された身分のいわゆる豪商です。そしてこの佐助さん、財の一部を使って、お寺や神社の常夜灯または街道の道標などを寄付(寄進)した人物です。その奉納寄進物は現在も残っていて、愛知県、岐阜県、三重県、富山県などで34基程が確認されているそうです。※1827年[文政10年]頃から1865年[慶応元年]まで。天保の大飢饉、ペリー黒船来航の時
神奈川県道61号平塚伊勢原線神奈川県平塚市虹ケ浜・龍城ヶ丘の八間通り入口交差点から、伊勢原市伊勢原・板戸の伊勢原交差点までの約10.4kmの主要地方道である。地図を見ればわかるが、平塚市内は南北にほぼ一直線に突っ切るバイパス的な広い道である。伊勢原市内に入ってからは、昔の道を拡張したような雰囲気を感じさせる道である。私にとっては61号線と呼ぶよりも、「伊勢原街道」と呼ぶ方が馴染み深く、私が高校生だった頃、平塚市内はまだ工事中だったはずだ。通過する自治体は平
東海道七里の渡しを令和の船で渡っる七里の渡しクルージングに参加してきました!これは愛知県の東海道を歩く愛知ウォーキング街道巡りクラブのイベントです。■七里の渡しとは■七里の渡しとは、東海道宮宿(名古屋市熱田区)~桑名宿(三重県桑名市)を結ぶ海路のこと。東海道は江戸~大阪を57の宿場で結んだ街道ですが、全て陸続きではなく、途中で途切れた場所がいくつかあります。七里の渡しは東海道最大の海路で、約七里(28km)の海を船で渡る、いわば海の道です。今回はこの海路を船で渡ってきました。■江戸時代
≪トロッコ・レールやU字支洞も≫拙著「四国の鉄道廃線ハイキング」収録の国道194号の前身、加茂土工森林組合馬車軌道は元々、千町(せんじょう)鉱山の鉱石運搬のため、大正期、日本窒素肥料㈱が八之川から船形まで敷設した馬車軌道が前身である。鉱山は標高360m前後にあり、主要坑道は内部に手押しトロッコ・レールが敷かれ、索道場まで運搬し、そこから索道で谷川を越えた向こう岸の八之川へと下ろし、馬車軌道で船形へ輸送、そこで通常の荷車の馬車に積み替え、西条市街へと運んでいた。が、鉱脈が良くなかったせ