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鎌倉時代の歌人藤原定家による「古今和歌集」注釈書が上京区冷泉家で上中下巻が見つかったようです署名と花押が定家の手、と決めてになりました✨✨ニュースで見たかぎり凄い虫食い国宝級✨✨まだまだ宝物を擁していた京都✨✨何度も足を運びたい地ですさいたま市浦和東仲町書道教室📖✨✋平田幸邦でした
時雨亭文庫の研究がまだまだ進んでいない証でもあるんだろな【速報】京都の冷泉家から藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書発見専門家「国宝級だ」https://t.co/LcufpeZ563—京都新聞(@kyoto_np)April18,2024藤原定家が1221(承久3)年に記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本2冊調査に携わった専門家「和歌研究史における重要資料の原本。『国宝級』の発見だ」顕註密勘出典:フリー百科事典『ウィキペデ
つづきお花見の前に三の丸尚蔵館へ行ってきました。今回は楽しみにしていたもの、見たかった物の展示がたくさんあります。いつものように写真撮影OKなのが嬉しい。漆器が大好きなので、その最高峰の梨地金蒔絵は見ているだけでうっとり(徳川美術館でもたくさん見ることができます)菊花散蒔絵黒棚と御厨子棚(江戸時代17~18世紀)お雛様のお道具に棚がいくつもあるのが不思議でしたが、とすると、これらはお嫁入道具なのでしょう、きっと。硯箱と文台(桃山時代16世紀)
読売新聞より「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく【読売新聞】鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」が、定家の流れをくむ冷泉家(京都市)で見つかった。公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(同)が1www.yomiuri.co.jp訪問して下さった方、【いいね】をして下さっ
嵯峨野にある常寂光寺です。小倉山常寂光寺という日蓮宗の寺。安土桃山時代の慶長元年(1596年)、大堰川の開拓を行い嵯峨野に邸宅を所有していた豪商・角倉了以が本圀寺16世・日偵に寺領の寄進を行い、創建されました。小倉山中腹に位置、境内は藤原定家が「小倉百人一首」を撰んだと伝わわる小倉山の山荘・時雨亭跡地ともされています。仁王門。南北朝時代に本圀寺南門として建造されたものを、元和2年(1616年)この地に移築したもの。安置されている仁王像は、若狭国・長源寺から移されました。
みくるです『なぞりがき百人一首』をなぞりました。97番権中納言定家です。来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身も焦がれつつ権中納言定家(現代語訳)松帆の裏で夕凪に焼く藻塩ではないけれど、いくら待っても来ない貴方を待っている私の身も恋い焦がれています(恋する女性の身になって詠んでみました)権中納言定家(藤原定家)は百人一首の選者です。藤原道長の「来孫(五代後の子孫のこと)」と知り、この歌をなぞりました。「光る君へ」第12回「思いの果て」で、道長の妻の明子が子供ができた
近衛家旧邸の糸桜京都市内で桜の開花が早いのは、冷泉家と近衛家の桜。冷泉家の満開のソメイヨシノ(2022年3月25日撮影)冷泉家(烏丸今出川通東)には、シダレ桜とソメイヨシノがあり、このソメイヨシノは京都市内では早めに満開になる。冷泉家:藤原定家の孫冷泉為相に始まり、家名は平安京の冷泉小路に由来する。現在の当主は冷泉為人氏(冷泉家時雨亭文庫の理事長)京都御苑の旧近衛邸跡の有名な枝垂
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。今回は大河ドラマ『光る君へ』でお馴染みの藤原道綱・藤原道長兄弟の共通子孫の話をしていきたいと思います。まず藤原道綱は道長の異母兄で、母親は『蜻蛉日記』の作者・道綱母です。道綱母・道綱の子孫には、『讃岐典侍日記
源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり藤原定家の父である俊成の「六百番歌合」の判詞ですが、私は元の逸話を知らなかったので、この言葉を長い間、「歌人なのに源氏物語を読んでないなんて残念だから、読みなさいよ」という大御所からの推薦図書くらいの軽い意味で捉えていました。ところが、歌合の場で源氏物語の引用と気づかずに評した人に対しての「源氏物語も知らないのか!」という痛烈な批判だったそうです。定家による源氏物語の写本「青表紙本」が現存しているように、当時の歌人達はみんな借りて来た本をせっせと書き写していた
「小倉百人一首」は年代が古いものから順番に100首の和歌が並んでいるのだが、もしかしたら、「秘められた別の順番」があったのかもしれない。『秘められた真序小倉百人一首』はその可能性を指摘し、100首の和歌をあるべき順番に並べ替えた野心的な一冊。藤原定家の「秘められた想い」の謎が、今、解き明かされる。ネット文章に慣れた若い人達にも読みやすいように、横書き文を採用しています。歌の紹介は、フォトイメージで表現されているので、読んで楽しく、覚え易い。洒落た装丁に仕上がっています。表紙の、魅力
今日も森に行ってきました。いろいろ写真に撮ってきましたが、太いヒノキの根元にこれは何だろうというものがありました。書道の毛筆をばらしたようなもので、一見して何かの種子だとは分かりますが・・・・・。帰宅してから調べてみると意外なことが分かりました。これはテイカカズラというつる性常緑低木の種子です。漢字では「定家葛」と書きます。この和名の由緒は、式子内親王を愛した藤原定家が、死後も彼女を忘れられず、ついに定家葛に生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づくそうで
令和4年度「第58回京都非公開文化財特別公開」のひとつ、冷泉家の特別公開へ行きました。期間がとても短くて4日間しかなかったので初日に。他の文化財は割と長く公開されているのに、厳重管理ですね。恥ずかしながら今まで「れいぜんけ」だと思っていました。「れいぜいけ」だったんですね普段は門が閉じられているので気付きません。同志社大学の施設かと思ってしまいます。御所の北側に位置するので瓦は玄武。あうんになっていました。内部は写真撮影NGです。表からは想像できませんでし
一昨日の「くさい」、昨日の「発音変化」からの連想で思い出したんですが、「香り」の歴史的仮名遣いを「かほり」と思っておられる方が多いようです。実はこれ、「かをり」が正しい仮名遣い。といっても、少しややこしい事情がありまして。藤原定家(ふじわらのさだいえ、通称テイカ)と言えば、多くの方がご存知でしょう。平安末期の代表的な歌人で、その家系は「歌の家」として公認され現代にまで続いています。この定家さんが生きた平安時代、国語には大きな転換がありま
明日から20日まで、JRの3日間乗り放題パスを利用して、飯田線沿線の紅葉を観に出かけます。週二回(原則、日、水)かならず投稿と決めていたのに、まだブログを始めて間もなくて、長続きさせることも危うくなってしまうので、一日繰り上げて、今日投稿します。今回も前回の続きとさせていただきます。前回述べましたが、退下後すぐの式子内親王の住まいは、よくわかっていません。定家の『明月記』をはじめ、当時の貴族の日記から、その時々の所在が分かるのですが、どうも居を移さざるを得ない事態にしばしば陥っていたよ
こんにちは。今日は、私のニックネームについてお話ししようと思います。ブログを始めるにあたって、ニックネームというものを登録する必要がありました。まず思ったのは、本名そのままをさらすのは嫌だし、友達から呼ばれているあだ名で登録するのもなんか恥ずかしい、かといって全然関係ないのもなんだかなぁ、ということ。そして、せっかくなら、和歌の世界とも関係あるようなものにしたいなぁ、と。そこで、自分の名前にある文字の入ったお花で何かないかなと思い、探してみました。その結果、見つかったのが
平安期の蝶を詠った和歌をみてきたので、まとめとして作者と作品を年代順に並べてみます。平安前期①僧正遍照(816-890)ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまとふてふ(蝶)かな後期②大江匡房(1041-1117)百年は花に宿りて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞ有ける③源仲正(1095六位蔵人ー1135頃引退)面白や花に睦るる唐蝶のなればや我も思ふあたりに④西行(1118-1190)籬(ませ)に咲く花に睦(むつ)れて飛ぶ蝶の羨ましきもはかなかりけ
式子内親王の悲運な生涯を辿る前回では、それまでの仮住まいから、やっと大炊殿に身を落ち着けることができたまでをお話ししました。前回引用した、『源家長日記』の御殿の庭の記述からは、内親王が、平安な暮らしをようやくにして得たことがうかがえます。しかし、それは長くは続きませんでした。重い病が内親王を襲うことになるのです。それが、明らかになるのは、定家が『明月記』正治元年(1199)五月一日の次の記事からです。「大炊殿ノ女房告ゲ送リテ云ハク雑熱ノ事御ハス之間、医師等ヲ召スト云々」2018年に評
■センスが光る「序歌」選び!~百人一首TPO!?~前のブログで、百人一首の「序歌」として、(個人的に)鎌倉右大臣の和歌が好みとして紹介しました。任天堂百人一首舞扇1,836円Amazon全日本かるた協会では、百人一首に含まれない歌(競技規程細則第十四条の四)とし、百済国より渡来された王仁博士の歌を原則(競技会規程第十二条・補足)としています。♪難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと咲くやこの花<ご参考>(一社)全日本
【訳】美しく艶やかなくれなゐ色に色づき始めるその時を夏の青紅葉は待っていますそして私の背中におかれた貴方の掌の温もりに私の心はざわつきはじめています当座「青紅葉」拾翠色変はる時待つ夏の青紅葉たなごころ(掌)背にこゝろさらめく【参考】「当座」(とうざ)とは、御和歌会(おうたかい)等の席上で出される「お題」で、その「お題」で即席に詠まれる和歌を「当座」と申します。(うしんてい)『有心亭(Ushin-Tei)』主宰都月拾翠(みやつきしゅ