ブログ記事1,190件
『松上祐来東京Special満員御礼!イケメン奏者達が加わり更にカッコ良く!』『2024年2月10日(土)松上祐来ソロコンサート東京Special』次の出演予定はこちら💁♀️大阪在住の松上さんが、はじめて東京でソロ公演を開催いたします…ameblo.jp月刊秘伝さんが上げていた、黒田鉄山先生の薙刀動画を見て真似させて頂いた技。薙刀が左右の関係性を教えてくれて、本当に勉強になりました🙇♀️ジャスミン・ベリーダンス・スタジオ公式HPhttps://www.jasmine-bellydan
「なぎなたその6」において、戦前の古流武術としての「薙刀」から、新しい「なぎなた」が誕生したことについて、述べました。かつて、防具稽古の発達によって、「古流剣術」が流派の垣根を越えて「剣道」を成立させた例にならい、昭和20年代から30年代にかけて、「古流薙刀術」から新しい「なぎなた」を成立させた訳です。杖道のように、全日本剣道連盟内に「なぎなた」を存続させる選択肢もありましたが、「なぎなた」は全日本なぎなた連盟を発足させ、独自の活動による発展を模索します。この辺りの事情が面白
長かった修羅の刻義経編もついに完結します!さて舞台は壇ノ浦の戦い。もちろんこの両雄が対峙します!陸奥鬼一vs平教経!まぁこの修羅の刻源義経編における鬼一の戦闘シーンは少ないからね、教経くらいはビシッと倒してくれなきゃ困ります。つーわけで鬼一の実力を見抜いた教経。教経「さがれ…ぬしらでは歯が立たぬ…こいつは物ノ怪だ。」刀や薙刀や弓で殺し合うという時代において「飛び蹴り」という発想はなかなか生まれないか。蹴るくらいならその前に斬っちゃえよと思っちゃうもんねぇ。さて揺れる舟の上での戦い、
古武器を眺めていると①いつ頃でどこの国のものだろう?②どんな身分の人が使ったのだろう?③どんな職人達が作ったのだろう?④何という武術流派で使われたのだろう?という疑問が湧いてきます。それらを思い考えるのが楽しいのですが...。①と③については時おり在銘で裏年期の入ったものが見つかる事もあるので、それと比較すればある程度は推察できます。②と④については今日まで現存している流派のものならば公開されているので分かりますが、その他の流派については自
学校に入学しオリエンテーションが終わり時間割が決まり予想通り平日午前や土曜日午後は授業がありなぎなた稽古には行けなくなりましたから先週から土曜日夜の稽古に参加しています先週は高校生ばかりでしたが今日は大人の方もいらしてさまざまな年代の方とK先生ご指導の中お稽古させていただきました後半は防具付けますから防具稽古がたくさんできます。軸手で打つ半身になるまずは、これに気をつけて稽古します
千葉佐那は、婚約者の坂本龍馬が勝海舟の弟子となって京へ登ったが、いつか帰る日を待ちながら江戸で暮らした。千葉佐那とその後を詳しく見ていこう。千葉佐那は1838年天保9年、北辰一刀流桶町千葉道場主・千葉定吉の次女として江戸に生まれた。兄は千葉重太郎で、里幾と幾久の二人の妹がいた。北辰一刀流の剣術ならびに薙刀術を学び、弟子の稽古は師範役の兄重太郎が剣術を、佐那が薙刀を担当して教授したが、佐那のその美しい容姿がたちまち評判となったという。江戸に遊学した坂本龍馬は、土佐藩邸に近い千葉道場に入門、剣
独断と偏見による私的『あさひなぐ』の登場人物紹介、評価、感想のまとめ。今回は二ツ坂編第4回。以下ネタバレ注意。≪二ツ坂高校関係者≫【小林】[こばやし]★二ツ坂高校薙刀部顧問の数学教師。なぎなたは素人同然。能天気で無責任で空気が読めず空回りする事なかれ主義。安請け合いをするがどこまでも頼りにならない。部員に迷惑をかけること数多く最初から当てにされていない。やす子は当初こそ「コバ君」と呼びネコをかぶっていたが、早々に本性を出している。教師らしく生徒思いな一面もあり、身贔屓も激しい。作者