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昭和に起きたいじめを苦に自殺した子どもたち前回のブログでは、1980年代初めごろまでに起きた生徒間の集団リンチ事件を取り上げました。その中で小川が気になったことは、1980年代初めごろまでは「リンチ」(私的な制裁)という言葉のように、加害者の身勝手な言い分ではあるのですが、被害者がおこなった何らかの不正を糾(ただ)す(間違いを改めさせる)という大義名分で集団暴力を正当化する面が見られたのに対し、次第に、暴力を振るうこと自体を楽しんだり、脅かして被害者を支配したり、金品を巻き上げた
わたしは同級生を殺した~葬式ごっこ~35年目の告白同級生の殆んどは幸せを壊したくない忘れたインタビューに応じる人はいない中2亡くなる1ヶ月まえ、仲間たちと高尾山に登ったいじめは毎日校内暴力は毎日先生への暴力もあった麻痺していた時代同級生41人教師4人が書いた⌈鹿川くんへさようなら」の色紙朝、鹿川くんが来る前に教室におくその雰囲気は本当に葬式のようだった鹿川くんが席についた途端教室中が大爆笑になったらしいインタビューに唯一応じた彼は鹿川くんの友人だった
https://www4.nhk.or.jp/P6048/いじめを苦に13歳の少年が自ら命を絶った「葬式ごっこ事件」から35年。沈黙を破り、語り始めた元同級生。なぜいじめは行われたのか?初めて明らかになる衝撃の告白。同級生を死んだことにして、教室で花や線香を供え行われた「葬式ごっこ」。寄せ書きには教師と同級生の大半が別れの言葉を書き連ねた…。1人の少年を自殺に追い込んだ、陰湿ないじめ事件から35年。かつての同級生が沈黙を破り、真相を語り