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本日は週末の勉強の成果をつらつらととりとめもなく書きます。月曜の「今週」シリーズに入れようとしたのですが、字数制限に引っかかったので別記事に切り出しました。今日の記事は公開するのに勇気がいる。。。今朝の「あさイチ」はタイムリーにもウクライナの一般人の今でした。まず現在の日本人の遺伝系統。縄文末期に渡来した古代イスラエル10氏族。彼らは争うこともなく、縄文人(先史文明の生き残りのデニソワ人?)と静かに混血。彼らは今の中東系(コーカソイド系)の遺伝子ではなかった。現代の日本人
■落合史観重要ワードについて大塔政略とは何か。【大塔政略】鎌倉時代に、皇室荘園群のうち八条院領を有する大覚寺統(亀山天皇系)と長講堂領を有する持明院統(後深草天皇系)という2つの皇統に分裂していたが、この2つ皇統とは別に皇統を継いでいく系統として永世親王家伏見宮を生み出すことが企図された。そして、伏見宮の血統を大塔宮護良親王の血統とし、皇統は護良親王系のみが継ぐという極秘の取り決めがなされた。上記をガイドラインとして、鎌倉幕府滅亡期~南北朝動乱を経て伏見宮から出た後花
ウバイド人とは、紀元前5500年頃メソポタミアに登場した旧人類とされる人々で、「ウバイド文化」を担った人々。学術的に「ウバイド文化」は存在するが、当時生きていた人々に対しての呼称がないため、落合莞爾氏が著作の中で便宜的に「ウバイド人」と使用。ウバイド人は、ビュルム氷期を寒冷地適応することなく高山地帯で過ごし、ビュルム氷期が終わった紀元前8000年頃から、しばらく時を経てメソポタミアに登場。ウバイド人のような旧人類は、その他にもビュルム氷期中でも比較的温暖であった太平洋沿岸の地域にも存在
「奇兵隊天皇と長州卒族の明治維新」より。ーーーーP230★忠光:中山忠光(中山忠能の七男)。偽装死。渡鮮した忠光が、具体的にどのような工作をしたのかは未詳ですが、李氏朝鮮の両班を調べてその何人かを日本に迎えて日本人とし、朝鮮の戸籍を抹消したうえ、皇室の外戚になった公家の家系に入れたと聞きます。したがって公家華族には何人かの朝鮮人が入っているのです。明治十八(一八八五)年に内閣が発足すると同時に、初代宮内大臣に就いた伊藤博文がこの工作に関わり、次いで明治二十(一八八七)年、後継の座を
こんばんは。玉鉾神社の続きです。この玉鉾神社について本当に知ろうと思ったら大本教を本格的に学ぶ必要があるので、あまり立ち入らないようにします。写真だけ載せていくようにしますが、その前になぜ旭形亀太郎が孝明天皇のために建立した社“玉鉾神社”が、こうも大本寄りなのか?もちろん単純には孝明天皇が下ろした切紙神示に「出口ナクセバ日本はホロブ」「出口ヲーワニ、二千六百年、七十のトシ」などとあるし、孝明天皇の遺勅を受けた旭形亀太郎やその弟子佐藤紋次郎が大本開祖出口ナオを探し出し
タカスとは、エジプトにおいて神官団を形成していた人々。また、タカスの下に様々な国の雑民が集まり、タカス族を形成していた。エジプトでは終末再生思想に基づきミイラ作りが行われていたが、宗教行為であるため神官団とは不可分であった。そのため、タカス族がミイラ作りを生業にし、ミイラ作りの過程を通して人間の肉体構造に精通していた。精通していた故に外科手術も行い、外科手術の一つに整形もあった。整形技術は、エジプトファラオの頭型変形の他、特に騎馬民族に歓迎されて影武者作りがなされた。顔面整形の場合は
國體ワンワールド史観での様々な解説については、以下のYouTubeチャンネルで行っています。國體ワンワールド史観歴史解説ー鍋島直亮落合莞爾氏の國體ワンワールド史観に基づく、用語や歴史事象をテキストを主体に解説しています。彼が著書などで述べていることを踏まえて分かりやすく解説することを心掛けています。www.youtube.comより詳しく國體ワンワールド史観について知りたい、この史観で真の歴史を知るにはどうしたらいいか知りたいと思ったら、覗いてみてください。
遅ればせながらという感じですが、noteでの情報発信を始めました。鍋島直亮|note鍋島直亮(なおあき)です。落合莞爾氏の國體ワンワールド史観に基づいた歴史考察や推察、現在起きている事象の背後関係、歴史的意義を推察するなどをやっています。國體ワンワールド史観で眺めれば、歴史や世界の見え方が全く変わることを伝えていきます。スピ系も好きなので、たまに書きます。note.comnoteを始めた想いを書いておきたいと思います。noteの特徴は自分のブログ記事を販売できる点。