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鳥尾鶴代さんは著名な画家の孫娘として生まれ、学習院を卒業し、子爵夫人となり華族として生き、戦後はGHQの大物の恋人としてGHQの影の女王と呼ばれ、後年は銀座のマダムとして活躍しました。しかし長い長い人生、幸せと不幸せは背中合わせ、幸福ばかりが長続きするものではなく、時代に翻弄され、波瀾万丈の人生を送りました。(婚約時代の鶴代さん)鳥尾鶴代は1912年5月25日に、著名な日本画家で貴族議員の孫娘として英国大使館裏にあった大きな屋敷で下條鶴代として生まれました。(鶴代の祖父で日本画家、下條正
概して、女性皇族の方が迫力がある。しかし、いまは、みんな若く、しかも、ほとんど平民だから、麻生太郎の妹、寛仁親王妃くらいしか貫禄はない(先祖は華族である)。これが、昭和にさかのぼると恐ろしいことになり、上皇后陛下以外、すべて華族だったから、その迫力といったら、半端なかった。上の画像、右側の二人にその名残が見られる:宣仁親王妃喜久子殿下(高松宮妃)と、正仁親王妃華子殿下(常陸宮妃)である。
お印は石楠花。婚約の日に。お妃教育。嫁ぐ日に、ご両親と家族に挨拶する華子さん。若い頃は可愛らしい雰囲気の方だったのですね。姑である故・香淳皇后は長男の嫁である美智子さま(当時は皇太子妃)より次男の嫁である華子さまを可愛がったというが(私が伝え聞いた話では。やはり学習院出身だからか!?)。