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トリのオール阪神・巨人が終わり、次はNGKコメディ。NGKコメディとは昭和62年7月より、今までの新喜劇とは少し違って上演時間は30分。出演者は少人数、お芝居の内容もライトな感覚というのモノでした。緞帳は閉まらず暗転になり、BGが流れタイトルと出演者のアナウンスの間にセット転換。9月上席のNGKコメディは中村進作・演出「挙式前夜」。出演は船場太郎、原哲男、中川一美、園みち子、島木譲二、内場勝則、未知やすえの7人。左から船場太郎、原哲男、未知やすえ、園みち子。原哲
やっと10月号から新喜劇のメンバーが、詳しく載るようになり舞台写真も加わりました。もちろんそのときの上演作ではありませんが出演者に近い写真で、「吉本新喜劇名場面集」として出版された本にその写真が使われています。上席は漫才・落語・新喜劇と豪華メンバーで、今でも現役の方が多いです。写真の巨人さん長髪です。ダイ・ラケが小文字になってしまいました・・・。新喜劇は木村組に間寛平が加わるだけでもう私的にはたまりませんでも何故か副座長格の池乃めだかは大文字なのに室谷信雄は小文字です???
1982年12月3日「オール吉本新喜劇まつり」をABCホールで収録した際の正月用集合写真です。新喜劇メンバー以外の人も入ってますが、豪華メンバーです。さてさて、アナタは何人名前が分かるかな?名前が分からない人や「?」な人、名前が間違っている人もいるかもしれません。お分かりになる方は正解を教えて下さいませ。8列目?、佐藤武司、西川のりお、桑原和男、木村明、畑憲一、桂三枝、浜裕二7列目井元保則(おかゆうた)、?、中川一美、坂田利夫、南方英二、木村進、末成由美、藤里美、南喜
夏の「うめだ花月」です。各席ともバランス良く番組が組まれています。●上席Wコミックがまだ吉本所属前で東京からのゲストになっています。ジェロームトーマスは海外からのゲストか?桂きん枝を大文字にした方がいいように思うのですが・・・。まぁきん枝さんは故林会長に好かれてはいませんでしたからねぇ・・・。ポケット・ミュージカルスは「ウディガ・ベビースタースペシャル」。猪虎太郎構成で杉本美樹を筆頭に新喜劇若手ユニット劇団。吉本新喜劇は豪華メンバーで「ハネムーンパニック」(作・演出大河内
梅雨時のなんば花月でおます。●上席全体的にいいメンバーですね♪でも演芸で現役なのは阪神・巨人と桂文珍ぐらいです。木村進が座長の吉本新喜劇は料亭を舞台に、進ちゃんお得意の早変わりの二役モン。●中席この席もいいメンバーですね。劇団インスタントがなんば花月に登場。ポケットに出てる国分恵子はコメディ№1の前田五郎の弟子。ハスキーボイスの出っ歯の姉ちゃんでしたね。吉本新喜劇は船場太郎が長い航海(旅)に出てる間に恋人の浅香秋恵が池乃めだかと出来ちゃった・・・みたいな話。南喜
前月でうめだ花月が閉館し、吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーンも無事に観客動員18万人を達成し、新喜劇が存続できることになりました。NGKでは前年10月と11月に一ヶ月公演の新喜劇をやりましたが、そこからは新喜劇の公演はなく、漫才と落語のみ。そしていよいよ4月から本格的にNGKでの新喜劇が始まることになりました。その演出を全て湊裕美子が担当し、新たな新喜劇の始まりとなります。常打ちの小屋がNGK一館となり、ベテラン芸人の多くが去っていくことにもなる年でもありました。そしてこれまでは10日間
春の「うめだ花月」です。●上席演芸がなかなか豪華で特に看板さんは今もNGKで活躍中の人ばかり。ですが当時はカウス・ボタンの扱いは低かったですね。ポケット・ミュージカルスは「禁煙法時代」で中川一美、帯谷孝史、島木譲二、和田元江他。吉本新喜劇はうめだで専科ナシで木村進と間寛平のコンビの芝居なんて何年ぶり??作家栗田国人のデビュー作で、木村進と杉本美樹は同棲中。そこに美樹の両親(間寛平、中山美保)が来ることになるが、見栄を張るために向かいの中川一美の家から家具などを無断拝借する。そこ
今回は「なんば花月」の写真をご紹介します。NGKじゃありません。南海通にあり、現在のSWINGよしもとビルの場所です。花月三館時代(なんば・うめだ・京都)には、うめだより後のオープンですが序列では一番とされていました。なので正月・GW・お盆ともなれば、なんば花月に出番があることが芸人としてステータスだったようです。確かにいつも客が多いイメージがあります。しかし昭和62年(1987)11月になんばグランド花月(NGK)がオープンするために10月上席をもって一旦休館となります。が
●毎日放送「花月爆笑劇場」●うめだ花月昭和59年3月中席(プログラムはこちら)●吉本新喜劇「男の花道」(プログラム、TVタイトルは「恋ドロボー」に改題)作・演出大河内通弘【出演者】釣宿「和」の女主人・・・桑原和男その長男・・・室谷信雄同次男・・・船場太郎女中・・・国分恵子同・・・赤木麻衣家出してくる男・・・高石太その恋人・・・園みち子釣宿「平」の主人・・・平参平新婚の夫・・・島田一の介同妻・・・末成由美まぐろ船の船員・・・帯谷孝史釣客・・・森公平同・
平成元年2月のうめだ花月。新喜劇の写真が全てNGKコメディというのがマニア的には面白く、んで出演者と写真が合ってない(笑)今となれば平成に入り、この年の10月に「吉本新喜劇やめよッカナ?キャンペーン」が開始されるのを予感させるように吉本新喜劇の低迷はますます加速し、脚本の質の低下も酷くなっていきます。●上席これ見に行きました。まるむし商店と非常階段が大文字でWヤングが小文字。完全に2丁目ブームに便乗してますよね。なのにけん太・ゆう太の扱いはいつまでも低い(笑)ポケット・ミュー
夏の「うめだ花月」。●上席演芸が若干ショボイ気もしますが・・・。こだま・ひびきが6月下席から20日間うめだ出番。ポケットはジャズ漫画の木川かえるとマブで「つる物語」(構成:栗田国人)。今月で解散したマブは最後のうめだ出番。鳴り物入りでデビューしましたが、結局はポケットの歌手でしか活躍できませんでした。組山尚美は引退し、和田元江はソロでポケットや新喜劇に出ていました。吉本新喜劇は藤井賢お馴染みの温泉旅館を舞台に新婚夫婦(岡八郎、園みち子)に八郎の母親(木村進)がついてきての騒動。みち
いよいよマンスリーよしもと創刊であります。それ以前は各劇場で配っていたプログラムのチラシをやめてこの雑誌を創刊。当初は劇場で無料配布されていました。今では500円もするんですね・・・定期購読やめましたわ。いよいよ漫才ブーム真っ只中で昨年まで看板が小さかったコンビが段々と上になってきます。この創刊号では何故かなんば花月のプログラムしか掲載されていません。では順に見ていきましょう。(いつものごとく芸人名は一応敬称略です。)●上席東京から三遊亭円丈がゲスト出演。●中席トリは人生幸
京都花月昭和53年6月上席のポスター。看板にコメディ№1、林家小染、桂きん枝の三組。トップにのりお・よしお。ショート・ショートの枠で、笑福亭松之助を筆頭に若手噺家が6人出ており、弟子の明石家さんま、明石家小禄も出演。ポケット・ミュージカルスは大河内通弘構成の「リズムボックス」でザ・ダッシュが主演。吉本新喜劇は谷茂が座長で、中村進作・演出の「お茶の子さいさい」。専科から船場太郎が出演。上方芸能(1981年10月号)によると、「天麩羅屋をほそぼそとやっているおやじ(谷
うめだ花月昭和56年3月中席のポスター。漫才・落語はうめだらしい番組編成で、トリは幸朗・幸子のベテランに、桂文珍、コメディ№1、明石家さんまとバランスが良いです。由紀子・幸司は由紀子・たか志のことで、人生幸朗の紹介で吉本入りしたことから、この時期は生恵由紀子・羽田幸司と名乗っていた頃。奇術の松旭斉天正・小天正は親子ですが、とも子って誰?後見ですかね?ポケット・ミュージカルスは噺家ユニット「ひっと・えんど・らん」(構成/三原和人)で、笑福亭仁幹、笑福亭仁喬、桂小つぶ、桂三馬
昨夜、またまた訃報が・・・・吉本新喜劇のマドンナだった山田スミ子さんが、2月12日、直腸ガンでお亡くなりになっていたそうです。享年73歳。心より御冥福をお祈りいたします。合掌小学時代、毎週土曜日、学校から急いで帰って来て、昼飯を食べながら観ていた吉本新喜劇その頃のマドンナ役が、この山田スミ子さん相手役は、花紀京・岡八郎・船場太郎さん辺りでした。彼女の怒りが頂点に達した時に切る啖呵に、赤い褌の男が、平泳ぎで舞台を横切る、こんなシーンが印象的だったなあ~この切れ芸
吉本新喜劇で活躍した元大阪市議の船場太郎(せんば・たろう)さんが27日、亡くなった。81歳。船場さんの芸能界入りは、和田弘とマヒナスターズのバンドボーイからで、その後劇団・笑いの王国や東京で漫才をしてたこともあったそう。昭和40年に吉本新喜劇に入団、最初は秋山たか志の組で桑原和男、坂田利夫、前田五郎らと若手で活躍。その後、昭和44年に岡八郎が座長になると、副座長に昇格。昭和47年岡八郎が専科に行くと、座長になります。その後は専科に行ったり、座長に復帰したりしながら、平成元年の「吉本新喜劇や
漫才コンビ「おかけんた・ゆうた」のおかゆうた(本名・井元保則=いのもと・やすのり)さんが22日、脳内出血で死去した。61歳だった。鹿児島県出身で、1981(昭和56)年11月に吉本新喜劇の岡八郎(岡八朗)に弟子入り。しばらくは新喜劇に出演していたが、1983(昭和58)年3月にNSC1期生でうめだ花月の進行係をしていた穐山(おかけんた)とコンビを結成。当初は本名だったが、「きつね・たぬき」「きつね・うどん」などを経て、岡八郎の息子と娘の名前から「岡けん太・ゆう太」と命名。その後は地道に花