ブログ記事3,641件
今までずっと友人達に会うことを避けてきました。お誘いいただいても辞退を続けておりました。先週、高校からの友人とお会いする機会があり、今回はお会いしてきました。遠方から来ていることもあり、私の国試合格と就職の祝いを…とのことだったのでお断りするのも忍びなく…。焼肉食べて銭湯に行って来ました。その友人とは、私達が20代だった頃は週末はよく銭湯に行っておりました。あの頃は先のこと(未来)について怖いモノも無く、何も考えずに遊んでばかりでした。今回、友人に会って思ったのは。後か
◎2024年5月は対面の集いです。◆第55回は対面の集い<<この日は、より近い境遇でグループ分けをしたわかちあいを予定しています>>2024年5月18日(第3土曜日)受付13:15より※予約不要です。13:30~16:00わかちあいの集い(閉会後のクールダウン茶話会あり☆任意でどうぞ)会場⇒浦和コミュニティセンターコムナーレ10階【第1+2集会室】〒330-0055埼玉県さいたま市浦和区東高砂町11-110F(JR浦和駅東口徒歩1分コムナーレ10階)※武蔵浦和
今年もツバメがやって来る時期になったようです。自宅マンションにコーンが置いてあり、「頭上注意」の文字がありました。なんだろう?と思い、ふと見上げると…。ツバメの夫婦が巣作りをしていました。そういえば去年も一昨年も。そんな季節になったのですね。ツバメの番いは、これから卵を孵して子育てに勤しむのでしょうか。ツバメを見ると思い出します。ちょうどこの時期に入院していた妻と、病院の敷地内を手を繋いで歩いたこと。病院の売店の壁上にツバメの巣があり、雛たちにセッセとエサを
今日は、小田和正の、たしかなことを、何回も歌った。息子は遠く遠く離れていった。ずっと、であった日から、愛している、この言葉は、伝えてない。最後にあったとき、抱き締めておけば良かった。涙が、久しぶりに止まらなかった。哀しみは絶えない。一生続く。みんなにわからないように、普段はふるまっている。私は、地獄へいく。守ってやれなかった。友達にも言えない。傷が大きくなる。一人で、音楽を聴いて泣くのが好い。キーボードで、弾けるようになりたい。今年の目標は、息子の誕生日に、歌って、弾
◆日本自殺予防学会「自殺予防と危機介入」第44巻1号に論壇「自殺の統計の健全な発展を願う—2022年警察庁自殺統計原票の見直しの問題を踏まえての提案—」が掲載。著者は竹島正、山内貴史(東京慈恵会医科大学)、井上顕(高知大学保健センター)、福永龍繁(科学警察研究所)。⇒https://acrobat.adobe.com/id/urn:aaid:sc:ap:ee357601-1e89-4696-9d47-2b121a31934f◎警察庁「自殺統計」のあり方について意見を述べています。
こんばんは。すっかり早く家に到着する生活になりました(今後は分かりませんが)。現在、職場として通っている場所が近いのです。2年前に父が車を手放すのでと、親の足になる為に買ったポンコツの軽4が自分の為に活躍しております。今までの会社員生活&専門学校生活は、午前7時に家を出て22時帰宅(家着)が当たり前でした。通勤(通学も)片道1.5時間でした。現在は片道30分もあれば(帰りは渋滞なのでもう少しかかる)なので、家に帰って、自分の時間はたっぷり確保できるのです。自分の進み
ムスメは双極性障害でした。命をも奪う恐ろしい病気です。双極性障害とは私も双極性障害を理解していない1人でした。遊びに行く元気あるのになんでバイトは行けないの?とか。それでも頑張ってバイト行ってもしんどくて途中で帰ってきたり⋯ムスメは「頑張ってるのに!」って私に訴えてきたことがあります。今ならわかる。でもあの時はわからなかった⋯「みんなだって頑張ってるんだよ」私はそう言ってしまいました。酷い親だ⋯ムスメは精一杯頑張っていたのに、1番理解して欲しかった母親にわかってもらえな
立て続けに一緒に旅行へ行った、55歳彼氏有の女性。優しくて明るく元気で、僕のことを彼氏より優先してくれる。でも、彼氏と別れる気は無いようだ。肉体関係を持ってしまったが、彼女にしたいという気持ちは生まれない。理由は、やはり不健康な程の肥満と、その食生活(過食)だ。一緒に行動していると、その異常な食生活に合わせざるを得ず、こちらの体重がどんどん増加していく。標準体重だったのに、13kgも太った。向こうは痩せる気無いので、こちらが同じ体型になってゆく。肥満の影響で、暑がりな為、部屋や車
家に帰って息子を昼寝させた。息子は茶の間で私の母と寝ていた。私とパパは寝室でゆっくり過ごした。何も言わずに素っ気なくするのもパパに悪いと思いパパに話を切り出した。–(私)さっき車の中でLINEのトークに会社の女の人の名前が見えたんだけど。その人って昔私がパパに絡まないでってお願いした人だよね。何で結婚してる人が妻子持ちのパパにLINEしてくるの?会社で話せばいいじゃん。素直な感想をパパにぶつけた。(パパ)俺にも分からないよ。(私)んじゃ何の用事があるの?例え
目が覚めたら夜中の12時だった。どうしてもモヤモヤが残ってた。もう何も言わないとパパに言ったけどこの先やっぱりモヤモヤしたくない。パパとちゃんと話がしたかった。だから寝ているパパを起こしてちゃんと話をしようって言った。安心したいからLINEのトークを見せて欲しいとパパにお願いした。そしたらパパは既にその女の人とのトークを全て消してしまっていた。どうして消すの!これじゃ何も信用できないじゃん。昔からだよね。やましいものは全部トーク消して。バレなきゃいいって思ってる?
月に2回ほどあったパパの会社の飲み会はほとんどが嘘だった。「五千円もらった!」「明日○○とのデートに使うの♡」パパからの信じられない言葉。焼肉やらお寿司やらケーキやら。今は息子が小さくて行けないけど今は我慢して大きくなったら3人で行こうねって約束したよね?「お肉美味しかったね♡」って。私から騙し取ったお金で息子と私がパパの帰りを待ってる中不倫相手と抜け駆けして食べたお肉は美味しかったですか…?会社で使う軍手を買う為に預けたお金も嘘だったらしい。「最近考えるの、何の
不倫相手から聞いたパパとの社内のダブル不倫の内容。不倫相手からもらったパパとのLINEのトーク履歴の内容。私とパパのLINEのトーク履歴の内容。全てを時間をかけて今までじっくり照らし合わせてみた。本当に嘘で埋め尽くされていた。パパは何者なのか分からなくなった。朝は不倫相手と車を連ねて出勤。昼休みもずっと一緒。会社内でも本当に仕事をしてるのかっていうくらい、休憩でもないのに数分おきに1日中LINEを送り合う。仕事が終わっても残業と嘘をついてデート。ラブホやら車やらでエッチ
作業所に通い始めて少し慣れてきた今日この頃。ちょっと合わない人がいるようです。昔デイが同じで知っている人なのですが···最近毎日のように「〇〇と喧嘩した」と言ってます。そして今日来たLINE⬇と、こんなやり取りをしました今日は歯医者だったけど麻酔したため外食は中止に。その代わりマック買って家で食べましたマックを食べてるとき次男坊が「〇〇(ムスメ)に麻酔したよって話したかったなー」って。姉弟だもんね。話したいよね。キョウダイはキョウダイなりに想うことがあるよね···
私とパパはデキ婚だった。付き合って2年半記念日に入籍した。パパが婿に来る事が決まり、私の実家は増築の工事が終わるまでパパとは私が一人暮らしをしていたアパートで2ヶ月程2人暮らしをした。増築が終わり両親と同居が始まった。その頃には私のお腹も大きくなり、もうすぐ私も産休に入り仕事を休む。その頃から私はパパの嘘を知っていた。私が車で仕事から帰る帰り道に少し遠回りしてパパの会社を通る。パパの車がなかった。その2時間後にパパから「今から帰ります」とLINEが来た。そういう事が
我が子が自死(自殺)で先立ってから、楽しめないどころか苦痛になった日常の二大娯楽が、音楽鑑賞と映画鑑賞でした。食欲は無くてもなんとか食事はできる、泣き疲れ果てた末であれ睡眠も一応とれる、そんな自分でしたが音楽鑑賞と映画鑑賞は暫くの間できませんでした。我が子との思い出の詰まった曲はもちろん聴けない、聴きたくない。新譜の楽曲にも興味が湧かないし、聴く気力も無い。カーステレオに流れる曲には、ほぼ全曲、全アルバムに亡き子との思い出が詰まっていますから、聴きながら運転するなど…
パパが遺書を残さずに死ぬなんてやっぱり考えられない。パパのiPhoneを開いた。ロックは外されていて、LINE以外のアプリは初期化されていた。急いで寝室に置いてあるパパのiPadを開いてみた。iPadを開いた瞬間【Hello】の文字。iPadが買ったばかりの状態に戻ってる。一気に血の気が引いた。何で………?もう疑問しかなくて頭が混乱した。そういえば、パパが死んだ日の朝、起きると隣でパパが起きていた。iPhoneを操作していた。まだ起きてたのか。そんな事を思っても深
去年の10月に結婚指輪を失くした。パパが私についた沢山の嘘でよく夫婦喧嘩をするようになった。喧嘩した勢いで結婚指輪を外しポケットに入れたままにしていて気付いた翌日には消えてしまった。パパにも家族にも探してもらったけど結局結婚指輪が見つかる事はなかった。本当にショックだった。結婚が決まってからパパと相談して日本製の指輪が和風で私達にはイメージが合ってるよねって、そう言って「俄(にわか)」を選んだ。本当にパパと2人でキラキラした店内でウキウキで選んだ大切な指輪。本当に本
パパが死んだ後に遺族年金がもらえる事を初めて知った。30歳未満の子供がいない妻は5年間しか受給できないらしいけど。子供がいる事って大きいなと思う。遺族基礎年金は息子が18歳になるまで、遺族厚生年金は私が再婚しなければ死ぬまで一生涯支給されるらしい。そうだよね。私の給料だけで息子を養えと言われてもキツいものがある。本当に有難い制度だと思った。パパの収入的に都会の人に比べたら貰える金額も少し低いけれど実家暮らしの私には十分な金額。でもやっぱり私は一生働かないと息子
パパの不倫相手とは四十九日まで連絡を取っていた。先に手を出したのはパパだから最初は不倫相手を責めなかった。だから慰謝料も請求しなかった。パパの事を共有できる人が欲しい。そんな思いで連絡を取っていた。今思えば知らない方が幸せだったんじゃないかと思う。だけどパパの不倫が発覚しなかったら私は間違いなく今生きていないと思う。罪悪感とパパへの愛情が大きすぎて間違いなく後を追って死んでいた。だから不倫相手に感謝する部分がある。不倫相手には2回会った。パパの不倫が発覚した日と相
パパと付き合ってから毎年楽しみにしている事がある。8月後半に行われる大曲の花火。息子を出産した年以外はずっと欠かさず連れてってもらった。それが1年で一番の楽しみだった。①残業の嘘②子供手当使い込みと通帳の証拠隠滅そんな事件が起こってから、バイクを売るという話はやはり可哀想になって取り消した。バイクは守ってあげたかった。地元のお祭りに行くと約束してた日、パパはバイクのツーリングの予定が入り先約してた私と息子の予定ではなくバイクを優先させた。7月の後半。そこはあまり気
いつのまにか4月も中旬になりました。新しい環境に変わることは、負担は当然のごとく大きいのでまずは自分が慣れることに力を費やしています。昨日、妻が愛用していた原付を手放しました。この原付に乗って、妻は最後の場所まで行きました。その後は私が大切に乗って来ましたが、購入して10年以上が経っていると思います(結婚する前から妻が活用していたモノなので正確な期間が分かりません)当時、古い原付とこの原付と2台所有しており、妻はいつも「1号」「2号」と呼んでいました。(1号は実家に置いてき
パパの葬儀が全て終わって家に帰って来た時に両親に言った。「パパの私物は全てそのままにする」「車もフリードは乗り続ける」両親にも好きにしていいと言われた。ずっとパパの思い出に浸りたい。パパの奥さんとして人生を終えたい。結婚指輪も一生外さない。むしろもうすぐパパの所に行くから。そんな事を思っていた。パパの不倫が発覚した後、本当に気持ち悪くて吐き気がしてパパを思い出すだけで鳥肌が立った。初七日が終わるまでは遺品整理はするべきじゃないと聞いた事がある。それでもあの優しいパパ
パパの葬儀が終わり家に帰ってきてからはずっと何も出来ずに座って過ごした。家事もしない。ご飯も食べない。抜け殻になったり。泣いたり。息子の面倒すら見れない。きっと両親が居なかったら育児放棄。周りには息子の為に頑張ろう。周りからはそんな言葉を掛けられる。でも実際は息子を見ても自分の糧にはならなかった。パパがいないのに息子なんて育てられない。この子は私が居なくても祖父母がいる。なついてる。だから私が居なくても大丈夫。でも私はパパがいなきゃ生きていけない。生きる意味がな
パパは4月の後半から自分から不倫に手を出した。私の予想では、パパがその人を誘ったのは体目当て。その人が会社の人と不倫してたから。昔パパからその女の人が会社の人と関係を持ってると聞いた事があったから。自分とも遊んでくれると思った。本当にパパは最初は遊びだったから。でもその女の人は旦那と上手くいかず別居中だった。だから不倫相手は必要以上にパパを求めていた。パパには都合が良かったと思う。最初はパパはそれなりに距離を保って遊んでいたようだ。その女の人は私のInstag
同じく去年の7月。結婚してからずっと残業だと時間をごまかして遊んでいた事を認めて仕事から真っ直ぐ帰って来てくれるパパになった。その頃にパパがiPhoneを変えた。私もボロボロのiPhoneを使ってて寿命はきてたけどパパは自分だけ。iPhoneを変えた時に古いiPhoneを売ったお金を全て自分の小遣いにした。そんな喧嘩もあってパパの給料が振り込まれる通帳も私が管理すると言った。翌日パパに通帳を提出させた。出されたのは新品の通帳。「磁気で壊れて交換してもらった」そう言
フェイスブックで、自死遺族連盟会が、チームで出来ていた。投稿すれば、実名が出る。私は、隠している。しかし、コメント、書かずにはいられなかった。なぜか、私は、息子とはなれていすぎたせいか、息子は、働いているように、さっかくしている。遺影に、はなしてると、涙が出ることもあるけど、なくなったという感覚が、薄い。二年半、遺影の息子を見ることが出来なかった。そこに、投稿される方も、何年たっても、辛いと。子供は、お腹の中から、一緒にいる。お腹を蹴り足り、話しかけたり、産むまで、一緒だ。大きくなって
立てなくなってからは病院では車椅子で移動していた。義理の両親と共に車に乗って葬祭会館へ向かった。パパが昔着ていたコートを義母が私に着せてくれた。落ち着いてくるとようやく涙が出た。覚えてないけど義理の両親とはパパが死んでから何か話しただろうか。ただ現実が受け入れられず何もかも受け入れる事も出来ない。葬祭会館に到着し、案内された部屋にパパが寝ていた。顔にかけられた白い布を取る。目の前にいるのはパパなんだと分かっていても信じたくない。現実が受け入れられない。まだ体が温
こんばんは。調子が下降気味ですが、なんとかもっています。会社に出ても、2日連続で必要な事務処理だけ済まして、一言くらいしか会話することもなく、わざわざ遠方に出て直帰しています。(仕事はまじめに取り組んでいます)自分のブログなんだから、書きたいこと書いたらいいと言ってくれた人に感謝しながら、今日は少し自分達の事を書こうと思います。双極性障害のことも触れますので、気分を害するかもと思う方は読まないでください。まもなく春分の日です。4年前の春分の日、初めて妻の家族と正式にご挨拶しまし
火葬が終わり廊下で待機する。落ち着いてはいたものの、また現実を受け入れなきゃいけない瞬間を見なければいけない。耐えられるか不安になった。骨上げ。部屋に入った瞬間に見たパパが骨になった光景を見て現実を受け入れるどころか私にはショックが大きすぎた。パパの体は若いからか体の形や頭の形がハッキリしてた。粉々だったらもう少し衝撃が少なかったかもしれない。ずっと火葬の前に頼んでいた。パパが付けたままだった結婚指輪を火葬の後に回収したい。天国に持って行って欲しいと望んで火葬
火葬の時にパパの棺に入れる物を取りに自宅に戻った時がある。自分が今までパパに書いた手紙をパパは大事にしまっていた。だけど手紙は2通しか見つからずパパが亡くなる9日前の結婚記念日にパパに書いた手紙と昨年夫婦の溝が出来た際にパパに書いた手紙を棺に入れた。パパは私にもらった手紙や私と撮ったプリクラや写真を桐の箱に大切にしまっていた。だけどその桐の箱が見つからなかった。パパが亡くなって不倫が発覚した後にパパと不倫相手のLINEのトークを読み返したらその理由が分かった。不倫