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退院してから1か月。余命宣告の日を乗り越えた父ですが、日中は何するでもなくベッドの背を起こすことさえ嫌がるようになり、食事も、水分をとるときでさえ寝たままを要求しました。誤嚥性肺炎になってしまうと危険なので、だましだまし自動で背中を少しずつ起こします。すると、起こすなと怒り出す始末。食欲がないので高カロリードリンクやゼリーを買い込み、少しでも口に入れて欲しいと食べてくれそうな食材や果物で冷蔵庫はいつも満杯でした。私も飲む点滴と言われた無添加の甘酒を持って行ったな~。父に「
父の「婆さん連れて一緒に死ぬから放っておいてくれ!」の言葉にぶち切れた私。あろうことに、死期が迫っている父に向って「ふざけないでよ!!なんで婆ちゃんを連れて死ぬの!?一人で死ねばいいでしょ!!」やら「家族の事を思っているなら緩和ケアに入るとか思わないの!?男らしく潔く決断してよ!!」などとまくし立て、看護師さんに「あらあらどうしたの?」と心配されてしまう始末。おそらくこの一件を真剣に受け止めてくださった看護師さんが、家族も疲れてると訪問ドクターに話をしてくれたよう
8月のお盆休みに勝手に退院してきた父。通常なら一ヵ月ほどかかる介護認定も、末期癌ということで特別措置をしていただき数日後には介護用電動ベッド、トイレと浴室の手すりの設置が完了しました。入院中は一度もお風呂に入れなかったため、姉と私が変わりばんこで入浴介助をしました。と言っても、背中を流す程度で他は自分で洗ってもらい、出るときに転ばないように待機するといった程度でとにかく父のプライドを考慮し、局部を見てはいけないという気持ちでタオルを掛けたり立ち位置を考えて介助しました。
コロナ禍、面会も制限された入院生活が続いたにもかかわらず、87歳の父の頭はシッカリしていました。退院前の主治医との会話はこうだったそうです。「先生、私はあと何年生きられるでしょうか?」「年・・はないね・・・」「半年ですか?」「う~ん。半年も難しいかな・・・」「3~4か月ですか?」「・・・・」「先生、私はね、人生何の後悔もないんですよ。ただ、女房を見送ってから死ぬつもりでいたので、それができないのが心残りです。」母も87歳。料理と洗濯以外の家事はすべて父がやってい
父と母が泣きながら大失禁の片づけをしたと聞かされた時姉は「老々介護は無理だから病院に入院して。」と言ったそうです。父は「治療は受けたくないし自宅で臨終を迎えたい」と、母は「体力的に娘たちに頼るか入院してもらわないと無理。でも、爺ちゃんは自宅で死にたいと言ってるから可哀想・・」私は、やはり最後の最後は緩和病棟に入ってもらってプロの方々に身体のケアをお願いしたいと思っていました。訪問ドクターと看護師さんにも父は「一切治療はしたくない。」と宣言していたため、本来ならば週に2回
最近、コメントの返信がなかなか出来ずすみません。頂いたコメントは有り難く読ませて頂き、パワーを頂いております。何度泣いたかわからない位、本当にありがたいです。この所、今まで以上にやる事が増えてしまいなかなか自分の時間が取れずにいます。夜は強制的に眠剤+頓服で眠るようにしているので、なかなか返信出来てませんが、いつも温かいコメント助言を有り難く思っています。僕の体調ですが、怠さ、食欲不振、続いています。朝はR1ヨーグルト、昼はたこ焼き1個、病院から頂いている栄養ドリンクは味が合わないの
夫は…今日は抗がん剤の日。ストーマ外来と皮膚科の受診もかな。。付き添っていないし夫からも報告が無いので、どうだったのか?は解らないけど💦ただ、めずらしくLINEで…今から帰ります。食欲無いのでゴハンは軽く。と、ありましたどうして食欲が無いのか?主治医から何か言われたショックなのか?帰宅した夫に………食欲無いってめずらしいねぇ~。とうとう、貴方にも普通に吐き気が出るようになったのかねぇ~☺️と聞いてみた(笑)吐き気止めは飲んでるし、たまには食欲も無いことあるでしょ。ただ
父の癌が発覚した時のことR4・12月下旬母の誕生日とクリスマスを兼ねてひ孫達(姉の長男家族)の家にお呼ばれ。帰宅後におなかが痛いと訴え町医者に行きました。ただの胃腸炎とのことで胃薬を処方され帰宅。R5・1月お正月に自分の誕生日を祝って欲しいと姉夫婦にホールケーキをおねだり。1月7日激しい腹痛で総合病院に救急搬送。胃腸炎ではなさそうなので精密検査を勧められる。もともと前立腺がんの定期健診で通っていたがんセンターに精密検査の予約を入れるも2週間後。いつ腹痛に襲われるか、母が怖
半ば強引に退院してきた父は食事とトイレ以外はベッドの上で過ごしていました。痛みはないものの、時々高熱を出すのでその度に時間に関係なく姉が呼び出されます。私も1週間毎に泊まりに行きました。しばらくすると食事もベッドの上で摂りたがるようになり、おまけに母に食べさせてもらうという甘ちゃん状態に。ショックだったのは💩をリハビリパンツ(紙パンツ)でさせてくれと言われた時です。「支えるからトイレに行って」と頼んでもベッドに寝たまま踏ん張り始めるのです。今まで、犬猫の💩と赤ちゃんの💩
これまできーちゃんの応援をしてくださり、本当にありがとうございました。2021年3月18日夜中はずっと熱と震えで辛そうな感じ。きーちゃんの胸に、耳を当ててみると、ものすごく心拍が早かった。きーちゃんの心臓が必死で動いていた。とにかく体を冷やして、アルピニーを入れる。朝方4時頃、もう一度ダイアップを使った。朝8時頃、熱は36.9度。震えも熱も一気に落ち着いた。お姉ちゃんを園に送り出して、きーちゃんのそばへ戻ると、大きなあくびをしている。手足を見るとチアノーゼが見られる。
悪性リンパ腫と2年半闘ってきた父さん(夫)父さんの余命は突然に宣告されました『病気のこと7突然の余命宣告』悪性リンパ腫に感染して闘病していた父さんのこと『病気のこと5car-tか緩和か?最後の入院』2021年春からはじまった父さん(夫)の悪性リンパ腫と…ameblo.jp父さんの余命宣告を受けて、まずわたしがしたのは、職場への休職の申請でした父さんをうちに連れて帰り、最後の時まで一緒の時を過ごしたいこれは父さんが悪性リンパ腫に罹患した時から、余命宣告されたらそうしようと決めて
9時間の大手術を乗り越えて4ヶ月の入院生活を過ごした父は、リハビリを頑張り、私たちの心配をよそにボケることもなく、5月、晴れて退院することが出来ました。6月には姉夫婦、私と夫、孫たちを呼んで快気祝いをする程元気になり、7月には姉の反対を押し切り、夫婦で2泊3日の温泉旅行に行きました。その温泉旅行が父と母の最後の旅行になりました。旅行から帰ってきた夜に父が高熱を出し3度目の救急搬送に。胆管が詰まっているとのことで、8月2日再手術をしました。手術後は下血が続いたり、コロナ陽性に
きーちゃんへのコメント、私たち家族へのコメント、たくさんのいいね、本当にありがとうございます。2021年3月19日きーちゃんが旅立ち、毎日気にしていた呼吸音が聞こえなくて、静かすぎて眠れなかった。きーちゃんにあまり近づき過ぎると、ドライアイスが溶けてしまうんじゃないかとすごく気を遣った。朝になり、頬っぺたを触る。…冷たすぎる。大きなドライアイスが乗っている太ももの辺りは、怖くて触れない。これまで大きな腫瘍があって、きーちゃんをあまり動かせなかったから、布団の上に寝か