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3時から胸腔穿刺をする予定で、2時半から点滴、エコーの予定でしたが、外来診察が長引いているのかなかなか先生が来ませんでしたそんな中、入院してから張りがいつも以上にあるように感じ、腰が痛かったり、下腹部にシクシクと生理痛のような痛みが続いたり、違和感を感じていましたベッドで安静にしているのに、張りが1時間に何度も来て、カチカチに固まった子宮が怖くて、助産師さんにとうとう訴えました助産師さんはNSTを持って来て装着今まで10回くらいモニターをしていますが、すんなり心音を捉えたのは一度くらい…
今日は胸水が増えていないかの診察でした3日前、両肺に結構な量だと言われた胸水ただ、緊急で抜く量ではないと3日後の今日、あまり増えているようなら、抜くために入院しないといけない明日次女の幼稚園最後の運動会…でも赤ちゃんの体も心配…複雑な思いで朝からバタバタと、入院してもいいように家を片付け、夜ご飯を準備して、次女、三女の服をカバンに用意して、入院荷物を持って朝9時半の診察に向かいました今日は主治医の診察日ではないので、どうなのかと思って受け付けを済ませると、病棟で主治医がエコーをして
今日は1週間後の検診でした最近は胎動が無い上に、かろうじてあったしゃっくりも感じないので、赤ちゃんが生きてるかどうかも分からず1週間過ごしていましたなので、今日の診察でも心拍あるかなぁ、最近お腹が苦しくて胸やけもあるので羊水増えてないかなぁ…など、胎動以外にも不安がありましたまず30分待って、NSTの検査看護師さんが準備してくれていました「胎動はどの辺で感じますか?」私「胎動は感じません。」普通ならおかしな会話だけど、この看護師さん意味分かったかな…この質問、地味に傷つくんだけど
入院を勧められた診察の日、近所に住んでいる義両親に子どもたちを見てもらわないといけないので、遅かれ早かれ打ち明けなければいけませんでした障害を持った子を一度孫に持った義両親は、妊娠の度に心配で心配で出産まで過ごしていた事と充分想像つきます今回の妊娠も例外ではありません妊娠報告した時の反応は微妙な反応で、喜びより不安が大きかった様子が伺えましたそんな中、妊娠初期からの胎児への不安や胎動を感じなかった事はなかなか言い出せず、お互い赤ちゃんの話は出来るだけ避ける様にしていましたでも、もう隠す
9時半予約の検診に向かいました9時10分くらいに着きましたいつも検診は、赤ちゃんが動いているのが見れるかも分からない!と少しの期待と不安で向かう気持ちですが、今日は赤ちゃん生きているかな?胎動はますます感じられないお腹よく張るけど早産大丈夫かな…羊水増え過ぎてないかな?違う心配も出てきました30分程で、NSTモニターをする部屋に呼ばれました心音を探す助産師さん…なかなか見つからない…心拍が止まってるんじゃないかと、段々と不安に…「お母さんのおへそと重なって、だいぶ奥だね
胸水を抜いたり、エコーや、NSTの為に入院すると予定していたけど、胎児が重症の水腫を起こしていたので処置せずに自然に見守ると退院して2日目…次女、三女はおじいちゃんの家にお泊り予定だったから、義実家に説明だけしにいき、お泊りを楽しみにしていたので娘たちは一泊預かってもらう事にしました長男は入院すると思っていた母親が普通に家にいるもんだから、びっくり‼️「どうしたん?入院せんで良くなったん?」私は、説明しようか悩んだけど、「うん、せんで良くなってん」息子「なんで?病気じゃなかったん?
前駆陣痛が続いて1週間…初めよりはマシになってきた。まだ29週。やっぱりまだ生まれないか…1週間後の診察になりました胎児水腫になり帝王切開による延命治療をしないと決めてから、7日…お腹でどうなってるのか全くわからないまま、1日1日をただ過ごしていました7日前のNSTでは、張る度、私が動く度に赤ちゃんの心拍が70台の除脈になるほどしんどそうでしたそんな事を考えれば、別に安静にしていない生活で1日の間にどれだけ赤ちゃんは苦しんでいるんだろうと、お腹が張る度に辛かったでも薬を使わずに
今日朝9時から入院しました今日はNSTモニターを朝に付けて、3時頃から胸水を抜く処置今から食べ物は控えて下さいね!飲み物は少量ずつオッケー病棟外には出ないように……。昼絶食なんやー静脈麻酔だから、飲食制限はないと思ってた朝しっかり食べてきたのに、何故か食べとかなって言う焦り…病院食大好き女だから、食事だけが楽しみで…笑妹が外来に診察に来てるから、会いに行こうと思ってたのに出れないし、時間の使い方が分からない。まぁ3時頃から胸腔穿刺だから2時半くらいから点滴とエコー。さっき
長男14歳次女5歳三女3歳長女が亡くなり5年になりました幼稚園のママ達は長女の存在を知らない人ばかりで、年が離れた兄妹だなぁ…と思ってる人も多いと思います私自身4人兄妹でわちゃわちゃして育ったせいか、子どもは子ども同士で遊びケンカして、成長していって欲しい…という思いが強く、子沢山の家族への憧れが常にありました39歳になる頃、大家族を夢見る私は高齢と言う事などから、諦め半分、でも諦めきれない自分が確かにいました三女が3歳になったそんな時、お腹に来てくれたのが今の赤ちゃん嬉しか
22週の妊婦健診に行ってから、一日中胎動の事で頭の中はいっぱいでした次の健診は2週間…長すぎて、早く経って欲しいと思う反面、週数が経つにつれて胎動を感じないのは異常という確信(あっ、今動いた!)と思ったらしゃっくり…自宅にいる時は出来るだけ横になって胎動を感じやすくしたり、外出中もお腹に感覚を集中し、胎動をいつでも分かるようにしていました胎動を感じない日を過ごし、健診の4日前まで何とか日が経ちました後、4日も待てない…今やれる事をして、少しでも不安から解放されたい。我慢出来ずや
助産師さんに死産の入院に対する説明を聞き、淡々と準備を進めていますしたくないけど、自分が動ける時に準備しておきたいし…ショッピングモールに行き色々買い物をしました手形足形を取りたいから色紙手紙妹が買ってくれた靴下お菓子赤ちゃんの服は白のセレモニードレスにしましたこれは、長男から始まり、次女、三女、甥っ子たち。みんなが退院の日やお宮参りに着た思い入れのある服ですまだ性別が分からないし、1000グラムほどなのでたぶんどの服も大きいだろうと、新しく買わずこの服を着せたいと思いました
少し前のことを遡って書いていますこのブログを書こうと思った経緯はある不安に押しつぶされそうになり誰にも不安をぶつけられずとにかく気持ちを落ち着けたくて文章にしようと思い始めました私はタイトルにもあるように、2番目の子供で障害を持った女の子を7歳まで育てていました生まれつきの筋肉の病気、先天性ミオパチー(ネマリンミオパチー)乳児重症型という病気を持ち呼吸や食べること、自分で動くこと、手も足も顔もほぼ動かず、目と口だけが唯一動かせるところそれでもほぼ知能に異常はなく、変顔をして
胎児診断しないと夫婦で決めてからは、何となく前向きに明るい気持ちに切り替わりつつありました39歳にして5人目。一番上は中学3年の男子。義親に出産時、出産後、色々な育児のお手伝いをしてもらっていたので報告しないと…反応が怖くて、なかなか言えずにいましたが、言わなくてはいけない状況に…3番目の娘は幼稚園年長で、自転車で送迎していました2歳の妹を前に乗せ、後ろに5歳児を乗せて毎日坂道を登り通って数ヶ月、自転車で転倒してしまいました…そのことをきっかけに、近くに住む義父が毎朝来て、2歳
4日後の妊婦健診になりました担当の先生は30代半ばの男の先生で、障害の子を1人産んでいる私は初期から診察中にも質問を何度かしていました先生はその度に、軽く受け取ったかのような笑いで流されるような返答をされている気がしたので、診察が終わる度にモヤモヤ、不安は軽くなるばかりか不満が募っていましたいろんな不安から限界がきていた私は、もうあの先生は嫌だと看護師さんに訴えました長女が生きている時に次女を妊娠した担当の先生が、はっきり受け答えする中でも的確に答えてくれ、長女の病気の事も分かってくれて
はじめまして妊娠24週に入った高齢妊婦です不安と心配で頭が爆発しそうで、どうしたらいいのか分からずブログに気持ちを書き心を落ち着ける為に始める事にしました今は中期に入り、初期とは違う不安に潰されそうになっています自己紹介含め、少し前の気持ちを遡って書いていきますブログ初心者で文章も下手くそで自分の為だけの自己中ブログですが、どうぞよろしくお願いします私は5人目の赤ちゃんを妊娠している高齢妊婦です2人目の子を重症障害児として出産し7年半育て、亡くしましたその後3人
診察室に入ると先生は「大丈夫?お母さん。」と一言。私は「はい」と。赤ちゃんが亡くなったとなれば、次は出さないといけない先生は「急がないけど、あんまり長く置いておくのも。いつならいける?早くても4、5日は入院しないといけない。」私は今日入院して、2泊3日くらいの入院だろうと考えていました土曜日には息子の陸上の大会と、夕方からは6年習っていた息子和太鼓の最後のライブがあります見に行きたいのと、夫が仕事なので送迎しないといけない…赤ちゃんと天秤にかける訳ではないけど、やっぱり息子の事
火曜日受診し、入院の日程が決まり、次女の幼稚園の先生に行事など重ならないか聞きました詳しい話はしていなかったので、担任の先生から赤ちゃんの状態を聞かれたり、亡くなった長女の話を軽くしようとしたけど、やっぱり診察してもらった日は気持ち的に不安定で泣き出してしまいました…他のお母さんも居てたので、大ごとにならないようにすぐ泣き止んで話しましたが、受け止められてるようで、まだまだだなぁと思いました毎日毎分、赤ちゃんの病気の事を考えない瞬間はありません想像してイメージして覚悟しているつもりでも、
次の日、「幼稚園の送迎は車で行くので、朝は来てもらわなくて大丈夫です」と義母に朝にメールしたら「昨日はごめんね。反対しているわけじゃないけど心配で…〇〇(長男)も受験だし…」と言うようなメールまぁ私も戸惑ったし、欲しかったけど素直に喜べなかった中学生は親の妊娠を聞いたらどう思うかな?この心配は大きくて、なかなか伝えられなかった義母の気持ちはよく分かったし、嫌な気持ちはなかったけど、やっぱりちょっと寂しかった誰も喜べない…言えた安堵感はあったけど、そんな負の心でまだまだ覆われ
胎児ドッグをしないと言う決断をしてからは比較的気持ちは前向きになっていました赤ちゃんを待つ気持ち幸せな気持ちでも、まだまだ元気な赤ちゃんを産むという気持ちは持たないようにどこかブレーキをかけながら…出血や毎回の検診に怯えて、不安いっぱいでひと月ひと月過ごしていました17,8週に差し掛かり、胎動って経産婦ならもうそろそろ?この頃になると胎動の事で頭がいっぱい2人目の障害を持った赤ちゃんは先天性の筋疾患でしたまさか、お腹の中の赤ちゃんが病気とは考えもしなかったあの頃は胎