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妹は今2人目を妊娠中出産する病院で胎児診断を受けてきたみたい診断する先生は東海地方の夕方の情報番組にも出ている有名な方20週の小さい胎児を診て心臓など異常がないか的確に診断してくれる助産師の妹も『あんなに小さいのにあそこまで分かるってすごい!!』と絶賛そしてここからが重要先生に胎児診断を受ける理由を聞かれたみたいで、ちーちゃんがトリーチャーコリンズ症候群なのでと言ったら納得され今のところ異常はないとそしたら…『トリーチャーコリンズって診たことある人だったらエコーの時に分かるよ』
生後6日での手術後、人工呼吸器に繋がれ鎮静した状態ですが生後1ヶ月を迎える事が出来ました。その間、毎日PICUへ通いました。呼吸器が挿管されているため抱っこもできないし、まだ目も開けない、しかも点滴も15本くらい入った状態で触れられる箇所は僅かでしたが、少しでも刺激になればと頭を撫で撫で。「このまま目を覚まさなかったら」と反応のない中での面会は精神的に不安定になってしまいましたが、先生から「触られている感覚はあるから触ってあげて下さい」と言われた事が支えとなりこの時期を乗り
妊娠中、何の不調も無くすこぶる元気に過ごしていましたが唯一、逆子が治らない!という事で38週に帝王切開の予定となり1週間前から入院する事となりました。*こちらの病院では胎児に心疾患がある場合、予定日の3週間前からの入院になるそうですが、長期入院だけは阻止したいと思っていた私を、赤ちゃんが気遣ってくれたかのように頑なに逆子のまま出産を迎えました。〜出産〜この病院での最初のエコーの時に先生から「赤ちゃん、って言うけど、この病気の子は赤ちゃんで生まれてこない(チアノーゼ)」と言われていたた
見に来ていただいてありがとうございます。いいねやフォローしてもらえると嬉しいです。自己紹介はこちらりょうちゃんのことはこちら天使のりょうちゃんのことはこちらりょうちゃんのことを書くにあたって外せないのが、『後頸部浮腫=NT』のこと。(以下はNTと書きます)NTとは、Nuchaltranslucencyの略で、超音波検査で胎児の首の後ろに見られる透明な部分を指します。リンパ液が溜まった状態と考えられており、日本語では後頚部浮腫と言われています。胎児矢状断面(体
手術予定日が決定し予定日2週間前にCT検査となりました。主治医の先生からは「検査結果を外科チームと検討して術式を決める」と言われていましたが、月曜に検査し、2日たっても4日たっても何の説明もありません。どんどん不安になってしまい、翌週、担当の看護師さんに「CTの結果、まだ何も教えてもらってないんですが」と尋ねると、とても言い辛そうに、「この後先生から説明があるので少し待ってください」と。嫌な予感しかしない…先生「バンディングした先の左の肺動脈が成長していない可能性があるためカテーテ
胎児診断しないと夫婦で決めてからは、何となく前向きに明るい気持ちに切り替わりつつありました39歳にして5人目。一番上は中学3年の男子。義親に出産時、出産後、色々な育児のお手伝いをしてもらっていたので報告しないと…反応が怖くて、なかなか言えずにいましたが、言わなくてはいけない状況に…3番目の娘は幼稚園年長で、自転車で送迎していました2歳の妹を前に乗せ、後ろに5歳児を乗せて毎日坂道を登り通って数ヶ月、自転車で転倒してしまいました…そのことをきっかけに、近くに住む義父が毎朝来て、2歳
見に来ていただいてありがとうございます。いいねやフォローしてもらえると嬉しいです。自己紹介はこちらりょうちゃんのことはこちら天使のりょうちゃんのことはこちらりょうちゃんのことを書くにあたって外せないのが、『後頸部浮腫=NT』のこと。(以下はNTと書きます)NTとは、Nuchaltranslucencyの略で、超音波検査で胎児の首の後ろに見られる透明な部分を指します。リンパ液が溜まった状態と考えられており、日本語では後頚部浮腫と言われています。胎児矢状断面
生後3日目で早々に手術が必要かもしれない、と説明がありました。娘の場合、肺に流れすぎているためリスクの少ないバンディングの手術をする事になるとのこと。・バンディングして動脈管を薬で開いた状態をキープし、成長を待つ・3ヶ月まで引き延ばせればグレンの可能性が見えてくる・もし、動脈管が閉じてしまったらシャント手術しなければならなくなるが、娘の場合『類洞交通』がありシャントだと心筋梗塞のリスクが極めて高いとのことで生後6日目に手術を受ける事となりました。手術日当日の朝、外科の執刀医から術式に
はじめまして🌸我が子は重度の心疾患で生まれてからこれまでずっとNICU/PICUに入院しています。これから同じような経験をする方のお役に立てればとの思いと記録の為にブログを始めました。生後3ヶ月まではリアルタイムの投稿ではないので、思い出しながら記します。妊娠15週41歳の高齢妊婦だったこともあり、通っていた都内の大学病院でNIPTを受けました。『陰性』の結果に一安心しましたが、念の為と思い、妊娠19週で胎児診断の専門医院で高度超音波検査を受診しました。検査中、問題なく進んでいたの
ファロー四徴症の診断、妊娠28週医師のエコーの時間がいつもより、長い。心臓をじっくりみている…きっと何かあるんだ?長いエコーを終えて医師が、「心臓に心配なことがある」「おそらくはファロー四徴症だと思うけど、循環器の先生にも見てもらおう」と言い、循環器の先生のエコーも受けることに「わからなくて生まれたら大変だけど、早くわかってよかった」とも言われました。循環器の医師からも同様の病名が告げられ、・生後すぐに手術をする可能性がある・心内修復術を1歳前後で行うこ
妊娠20週胎児診断専門医に推薦していただいた大学病院と、夫婦で希望した小児循環器の実績の多い2つの病院にエコー検査に行く事となりました。*その前にタイムリミットの迫った私達夫婦は完全な検索魔と化し、この病気の生存率や手術の成功率など調べ上げ、『生きられる可能性があるのに諦めたら後悔する』との結論に至っていました〜エコー検査結果〜大学病院→三尖弁閉鎖、肺動脈閉鎖循環器専門→三尖弁狭窄、肺動脈閉鎖、類洞交通2つとも主な疾患は同じで治療方針にも大きな差はありませんでしたが、一緒に受
主人に胎児ドッグをするかどうか相談して数日間、2人はその話には触れないけどたぶん心の中は、その迷いでいっぱいでした私は、たぶん相談する前から自分の気持ちは分かっていましたたぶん主人も私の気持ちも分かっていました『胎児ドッグはしない』か、『して病気が分かっても産む』なら、しないでおこう正直迷う気持ちはありました病気の子が生まれたら、主人はショックだろうお兄ちゃんにもまた辛い思いをさせる親はまたショックを受けて泣くんだろうなそして、私は2人も障害児を産んだんだという、周
生後2日目車椅子を押してもらいながら初めての面会に。酸素の値が安定しなかったため夜間に人工呼吸器が挿管され、初めての抱っこは叶いませんでした。私の入院中は何度でも面会okという事で、朝昼晩と鎮静で目を開けない我が子に会いにNICUへ通いました。そこで、毎日のように主治医の先生が今の状態や治療方針について説明してくれます。ですが、その度に泣いてしまう。個室に戻って夜は主人や母とビデオ通話。辛くて泣いてしまう。見回りの看護師さんが心配して声をかけてくれる。泣いてしまう。妊娠中より
生後1ヶ月を過ぎた頃に、人工呼吸器の抜管計画がスタートしました。我が子はかなり痰が多く、日に何度も吸引が必要だったため、抜管して痰が減ってくれるかやってみないと分からない状況でした。自発呼吸の状態など条件が揃い生後50日にして人工呼吸器が抜管でき、そしてこの時、初めて我が子を抱いてあげることが出来たのです。繋がれた管もまだまだ多く、看護師さん3人がかりで私の腕の中へ。その姿に涙する看護師さんもいたくらい皆んなに支えられながら、ここまで凄く長い道のりでした。体重は出生時とほぼ変
生後1日目主治医となる先生から診断結果の説明を受けます診断名『純型肺動脈閉鎖症』?以前に書いた、ネットの情報があてにならない件です。胎児診断の時にも肺動脈閉鎖は言われていましたが、最初に診断された『三尖弁〜』の印象が強烈すぎてそればかり調べていた私達夫婦は一瞬???となったわけです。三尖弁は閉鎖だろうが狭窄だろうが、重要なのはそこじゃない、とハッキリこの主治医に言われました。ここから間も無く、私達が想像していたよりも何倍も重症であることを実感する事となります。主人は私が麻酔で動け
人工呼吸器抜管後、痰もゆっくりと減っていき酸素濃度も減らす事ができ、比較的安定した状態で生後3ヶ月を迎える事ができました。少し前から、制限時間付きで哺乳瓶でのミルクの練習をさせてもらえるようになり「普通の赤ちゃんっぽいなぁ」「病気、治ってたりしないかなぁ」なんて気の抜けた事を思ったり、凄く幸せな時間を過ごしていました。でも、やっぱり重度の心疾患。3ヶ月を迎えた2日後に急にサチュレーションが下がり、酸素カニューレもパワーアップ。あれよあれよと元通り。主治医からは「そろそろ動脈管
おはようございます‼️昨日は、三尖弁逆流について、気になることがあったので、もう一度詳しく話を聞いてきました。そもそも、娘の時はこんな検査あったっけ⁉️浮腫は測っていたけど、鼻骨の長さとか、三尖弁逆流とか、静脈管とか、説明なかったし…しかもそんなの健診で調べない産院がほとんどなのでは⁉️うちの産院では、たまたま専門のお医者さんがいるので、そういった検査が組み込まれているみたいです。昨日はエコーなどはなく、お話のみでした。👨⚕️35歳以上で高齢の妊娠となると、染色体異常の確率が
私の娘「ひまり」といいますなかなか名前を考えるのって大変で出産日前日に旦那と二人で決めました✨随分前に女の子であることが分かり、女の子の名前辞典が買ってありましたが、あまりの分厚さ、恐ろしいほどの名前の数々本のページをめくれば、めくるほど付箋の数が増え、迷いに迷いましたおびただしい量の付箋…これでは、決まらないと思い、旦那も私も各々候補を3つ出し合い、偶然にも「ひまり」の名前がお互い候補に出たので、無事決定することとなったのですそして、49㎝2558㌘で産まれてくれました一応
◯入院ふりかえりblog◯3/12(mon)この日も朝方から目が覚めてしまい映画を観る日々Amazonprimeさまさまな入院生活です☺️🎞午前中のエコーが習慣づいてきたこの頃まだまだ数値は変わらないけど少し頭と身体の浮腫がひいてきているねとのことただどうやら入院期間を3週間はみておいて下さいといわれました…!つい前日の検診で「相談してみてくださいね」と言われたことで期待をしてしまった自分に反省!でした●何よりもお腹の赤ちゃんのことを優
とうとう出産する日がやってきました。予定帝王切開のため、前日の午後9時から絶飲食でしたもともと、喉が渇くタイプで1日に2リットル以上の水分をとってる私にとって、飲めないっていうのは非常に辛かったのですさらに、病室はかなり乾燥していたため喉が渇いて渇いて仕方ない母にお願いして、濡れマスクを差し入れを要望して、少しは乾燥を緩和することができましたが、飲めない事にプレッシャーを感じて、さらに喉が渇く&眠れないということで、コンディションがすぐれないまま、手術に望むことになりました手術は、赤
これは妊娠7ヶ月24w0d時の腹水部分の写真です3度目の輸血をした後の状態なので、これでも減ってきているころのです👀この時には頭と胸の水や浮腫みは輸血の甲斐あって、消えていて残すは腹水のみ🌞すーごく丸く膨らんでいるのがわかります出産までにどれくらい減っていくか要観察です
4日後の妊婦健診になりました担当の先生は30代半ばの男の先生で、障害の子を1人産んでいる私は初期から診察中にも質問を何度かしていました先生はその度に、軽く受け取ったかのような笑いで流されるような返答をされている気がしたので、診察が終わる度にモヤモヤ、不安は軽くなるばかりか不満が募っていましたいろんな不安から限界がきていた私は、もうあの先生は嫌だと看護師さんに訴えました長女が生きている時に次女を妊娠した担当の先生が、はっきり受け答えする中でも的確に答えてくれ、長女の病気の事も分かってくれて
今はリセット待ちなので、しばらく神戸ARTの通院は無く、以前受けた胎児ドックについて書きたいと思います。注)胎児ドックなどの広義の出生前診断に否定的な人やエコーの写真に抵抗がある方は、申し訳ありませんがここでUターンをお願いしますo┐ペコリイソップは、初期&中期&後期胎児ドックと、絨毛検査、NIPTをやった事があります。需要は無さそうですが岐阜県にある長良医療センターの後期胎児ドックのレポをします🎤愛知だと紹介状不要で受診できる後期の胎児ドックは、あまり無い気がします。多分、大きな問
22週の妊婦健診に行ってから、一日中胎動の事で頭の中はいっぱいでした次の健診は2週間…長すぎて、早く経って欲しいと思う反面、週数が経つにつれて胎動を感じないのは異常という確信(あっ、今動いた!)と思ったらしゃっくり…自宅にいる時は出来るだけ横になって胎動を感じやすくしたり、外出中もお腹に感覚を集中し、胎動をいつでも分かるようにしていました胎動を感じない日を過ごし、健診の4日前まで何とか日が経ちました後、4日も待てない…今やれる事をして、少しでも不安から解放されたい。我慢出来ずや
少し前のことを遡って書いていますこのブログを書こうと思った経緯はある不安に押しつぶされそうになり誰にも不安をぶつけられずとにかく気持ちを落ち着けたくて文章にしようと思い始めました私はタイトルにもあるように、2番目の子供で障害を持った女の子を7歳まで育てていました生まれつきの筋肉の病気、先天性ミオパチー(ネマリンミオパチー)乳児重症型という病気を持ち呼吸や食べること、自分で動くこと、手も足も顔もほぼ動かず、目と口だけが唯一動かせるところそれでもほぼ知能に異常はなく、変顔をして