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母が到着してすぐに、救急車も到着玄関を開けてすぐのトイレから、リビングに続く血の海を見て驚かれたらしく、おまたにバスタオルを挟んだ姿で、(ちゃんと隠してくれました☺)すぐに担架で車内に運ばれた。車内で血圧など計られ、すぐにかかりつけの大学病院に搬送されることに…20分近くかかったと思いますが、その間、隊員の方達は本当に優しく、頼もしく対応してくれました。病院に着くと、エレベーターですぐに産婦人科病棟へ…と思いきや、エレベーターがなかなか来ない…そして来ても沢山人が乗っていて、担架は乗
14wころから、茶色いミルクティーのような色のおりものが、十円玉くらいの大きさで下着についていたので、羊水検査の前に診察を受けました。私の場合、奇胎部分が子宮口に近いので出血しやすいようで、ただ、古い血なのであまり心配しなくていいけど、念のため自宅療養しましょうか?ということで、診断書を頂き、検査の直前から2週間の自宅療養に入っていました。私の場合、通勤に片道2時間近くかかるのでこれはとても、助かりました。さて、羊水検査当日。検査のためには1泊入院が必要とのことで、自宅療養中にもかかわ
今回は諦める…という決断をして、挑んだ2回目の大学病院…採血と採尿を済ませ、いざ診察室へ。前回診察してくださった先生の他に、35歳くらいのY先生という女医さんの診察を受けました。このY先生、とーーーっても素敵な、笑顔の印象的な先生でした診察は経腹エコーから赤ちゃんとっても元気で、また大きくなっていましたそんな姿を見てしまうと、決心が揺らぎます…そして、Y先生とお話。中絶を考えていることや、子宮摘出の不安など素直にお話ししました。すると、先生は山ほどの論文を取り出して一つ一つ説
夜間救急を受診した夜は、出血が心配で、よく寝付けないまま朝を迎えた。相変わらず腰は重く、体もダルい熱を測ると37,5℃大事をとって、仕事は休ませてもらうことにした。朝、トイレに行くとナプキンにちょびっとだけ血液がついていて、ティッシュにもなにも付かない。それで少し安心して、お昼頃まで眠ることができた。午後2時過ぎ、トイレに起きて、出血もないのに何だか心配になりナプキンを夜用のスーパーロングに変えた。そのあとリビングに降りて、水分をとり、お腹がすいたのでポテトチップスをつまんだなか
2週間の自宅療養を終え、月曜の朝、久しぶりに出勤しようと家を出る直前にトイレに行くと、ティッシュに今までとは違う赤い出血がありました。色はマクドナルドのバーベキューソースみたいで、量も直径五センチくらいある。ど、ど、どうしよう…Y先生にはトマト色の出血じゃなければ大丈夫っていわれてるけど、これってトマト色だよね?!🍅このまま仕事に行っても、気が気じゃないのは明らか。ここは上司に電話して、1日だけ出勤を伸ばしてもらうことにしました。そして、病院へ…診察の結果、古い血液で特に問題がない
羊水検査の結果で、正常な胎児と分かれば、次は妊娠を継続するか、しないか、を決断しなくてはいけません。この点について、私たち夫婦は大いに揉めました。主人の意見妊娠を継続するのは心配…私の体への負担が何よりも心配!出産まで辿り着けたとしても、その後の治療でツラい思いをさせたくない。ましてや、出産まで辿り着けない可能性があるのに、無理する必要はないんじゃない?早産になって、子供に障害が残ったり、私に何かあ
2度目の大出血の夜から、予防的な措置として、張り止めのウテロン(ウテメリンの後発薬)を点滴することになりました。2A20なので、さほど多い量ではなかったようですが、この治療、本当に必要なかったよ…と今でも思っていますウテメリンの副作用は、動悸やほてり、手の震えなどと説明を受けました。私の場合、動悸やほてりはほとんどなく、手の震えもそれほどありませんでした。が、翌日の夜から、関節という関節全てが痛く、特に肩から手首までは重度の筋肉痛状態で、手首を曲げることも出来なくなってしまいました暇潰
心配性の私は妊娠確定後、病院で見たクアトロ検査をするかしないかで悩んでいました。あまり精度が高くないのならやる必要もないし、さらに確率が高かったらどうするのか。結局悩みに悩んで答えもでないまま、とりあえずやってみるだけやってみるか~ということで、クアトロではなく胎児ドックを受けることに決めました。12w中盤に胎児ドックを受けに。超音波で専門の方に見てもらったところ、赤ちゃんには問題がなさそうだとただ、ここ(もこもこしたところ)が気になる、胞状奇胎かも・・ホウジョウキタイ?その時初め
転院先の病院で診察をしてくれたのがA先生。胎児共存奇胎を診るのは後で聞いたところ、初めてだったそうです。診察で言い渡されたのは妊娠継続NG。先生:「今日から入院して、明日から子宮口を開く処置をして、開き次第お産という形で中絶します」主人:「妊娠を継続して出産した人もいるようですが…」先生:「絨毛がんになってしまいますよ。すぐ処置しないとダメです」そんなやり取りをしていました。夜用の生理パットから漏れてしまうくらいの出血と先生の言葉で、私はもう訳が分からない状態でした取り急ぎ言われ
楽しみなのは赤ちゃんの心拍を聞く時間とエコーの時間心拍を聞くとき、すぐに聞かせてくれる時もあれば、逃げ回ってる時があって、なかなか聞けない時は冷や冷やしたものですエコーでは一度手を振っているみたいに手を広げている姿を見せてくれたこともありました父親も母親も指は長くないのに、見せてくれた手の形はすごくきれいで。まだ胎動もなかったし、その時に一気に母性が目覚めた気がしましたかわいい!かわいい!かわいい!笑赤ちゃんは手を握っていることが多く、手を開いている姿をエコーで見れるのは珍しいそうで
15週を過ぎたころから、お腹が常に張っているようになりました看護師さんに訴えたけれど、低気圧のせいだよとのこと…でも毎日低気圧は来てないでしょ?!と思ったし、私自身は直感的に奇胎が増えていることはわかっていましたその後実施したMRIでもやっぱり増えてて。その頃からお腹が急に大きくなりはじめ、胃が圧迫されてしまい、ごはんを食べるのもやっとというような状況先生から見せてもらった文献で20w頃までにhCGが下がってくると、産める可能性が高くなるという内容があったので、毎日奇胎の勢いが弱くなっ
転院先の病院に予約をし、次の日に初診で行くことが決定した日の仕事からの帰り道、電車の中で貧血になり意識を失ってしまいましたすぐに意識は戻ったのですが、もともと貧血ではないし、今思えばその貧血も、その頃気になっていた息切れする症状も胞状奇胎が原因だったんじゃないかと思います。静かに忍び寄る自覚症状…胞状奇胎では不正出血するという記載もあったけど、このときはまだ出血はしてませんでした。が、次の日の早朝。出血の気配を感じトイレに行くとやはり出血・・ついに来たかぁ・・その日の朝イチで転院先の
胎児共存奇胎が発覚する前まで通っていた病院に胎児ドックの結果を伝えたところ、やはり転院のお話しとなりました。その時は、気持ちのやり場がなく、なぜもっと早くに胞状奇胎に気付かなかったのか、通常分娩が厳しいとなったら見放すのか・・そんな思いになっていました。でももっと早い時期(掻把での中絶ができる時期)に胞状奇胎だって発覚したとして、その時に中絶を選択できたかというとできなかったんじゃないかと思います。その病院で紹介状をもらい、家から比較的近いNICUのある病院に転院することにしました。
入院から2週間近くたち、すこし出血もおさまってきたころ2度目の大出血がありました。その日は、前日から何だか腰が重く、寝てばかりいるから腰痛がでたのかな~と思っていました夜9時半ころ、何だか出血しているような感じがしてトイレへ…ベットからトイレまで歩く途中にもやっぱり出血している感覚…「こ、これはあの時の!」とすぐに分かりました。便座に座り、下着を下ろすとナプキンは真っ赤🍅更にティッシュで押さえても次から次から出血…すぐにナースコールを押しました。下着を下ろしてトイレに座ってるな
結婚して、もうすぐ2年となる頃、待望の妊娠発覚不妊治療でAIHを3回して授かることができず、一回不妊治療をお休みした周期での妊娠でした。生理が来なかったので、妊娠検査薬を試し、どうせ今月もダメだろうと思いつつ検査薬をトイレに放置していたところ、(放置するなよという感じですが・・)うっすら線の入った検査薬を見つけた主人が、興奮した様子で私の元に検査薬を持ってきてくれました。今でもその光景は忘れられません。その後は二人で抱き合って泣きました。ついにお腹に二人の子が
仕事に復帰して2週間したころ、夜寝る前にトイレに行くと、また赤い血がティッシュについていました。え?!と思いましたが、前回の「古い血だね~」のことがあるので主人にもティッシュを見てもらうことに…二人で見てもやっぱり「赤いよね~」という、結論に達し大学病院に電話しました。血のついたティッシュを持って、すぐ来て下さいとの指示で、23時ころ夜間救急へ。産婦人科病棟に通され、診察を受けました。が、このときの当直医M(30代半ばくらいの男)がとにかく感じ悪い!眠そうな顔で現れ、診察台で待
2017/5/23から入院が始まり、退院したのは7/29でした丸々2か月の入院生活。出血もしていたため、病室のあるフロア以外の出歩いてはいけないという制限付き1Fにあるコンビニやカフェにも行けない…つわりもあったから、結局行っても辛かったと思うけど、気分転換できないのはやっぱり辛かったです。入院して最初の1か月は車椅子での移動も思いつかず、ずーーーっと病院内にいましたあることがきっかけで看護師さんに外に連れていってもらえた時、1か月振りの外で、季節はすっかり夏にそっかー、車椅子で行
さて、2週間の自宅療養+1日を終えて、いよいよ職場に復活です!久しぶりの職場にドキドキしながらも、やっぱり仕事は楽しくて…2週間、主人以外の人と話していなかったことや、上司、同僚に恵まれているので、改めて自分の仕事が大好きだと思いました。仲のいい同僚が「つわりがおさまったら、ランチいこう!」なんて言ってくれたり、「とにかくいまは自分の体を一番に!安定したらまたヨロシク!」と言ってくれる上司の言葉に何度も涙しました。残業もほとんど免除してもらい、マタハラなんて存在しないような職場に
この日、お見舞い来てくれていた主人が帰った後、減っていた出血が少し増えだしました看護師さんに出血が増えた時には教えてねと言われていたので伝えたところ、お腹の張りもあるということでNSTで計測することに。張りペースが早かったのか先生も呼ばれ、思っていた以上に大事にこれから分娩室に行きますって…え?産まれちゃうの…?いやいや、そんな気配まったくないよ?!旦那さんも呼んで!と言われて訳が分からないまま電話をする私もう電車もなくなった時間だったので、車で来てもらうことに分娩室に主人が来てく
嬉しいはずの母子手帳の交付電車に乗っているとき、なぜかちょっとだけ憂鬱でした。無事産まれるかな・・そんな風に不安になったことを覚えています。交付されるときに、職員の方から「赤ちゃんへのメッセージを」と言われた時も急に不安になりました。初めての妊娠で実感が湧いてなかっただけかもしれません。そのとき私は「産まれてきたら一緒にいっぱい楽しいことしようね」といったのですが、なんだかそれが実現しないような気がしたんです後から思えばと言うところもありますが、母の勘てきっと当たるんだろうなと。その
中絶を覚悟した次の日の朝、A先生と同じチームの女医さんが病室にきてくれましたどうやら文献を調べてくれたそうで、妊娠を継続して産まれた事例があるから、一旦処置するのはやめますというお話しでした。もうだめだと絶望していたのに、光が見えたーただ処置するのではなく、文献を調べて可能性を探ってくださったことにも感謝の気持ちでいっぱいでしたそして、リスクを承知の上で継続を希望するのであれば継続してよいということにそれまでに集めた情報や先生とのお話しも踏まえ、私たちは『継続』を選択することにしました
こんにちは!今日はみなさまにお願いがあって、ブログを書きます。昨年の5月、共存奇胎と診断されはじめにしたことはこの病気の情報を集めることでした。ネット、図書館、本屋の医学書コーナー色々なところで探しましたが、なかなか思うような情報を得ることが出来ず…とにかく何でもいいから情報教えてくれよ…って感じでした。私はたまたま、良い先生に恵まれ、出産という道を選びました。情報が少ないこともあり、治療はいつも手探り、対処療法がほとんどでした。病院でも同じ病気の方なんていなくて、共存奇胎ですと
緊急手術が決定し、放射線科から手術室に向かう間はもう意識が朦朧としていました。手術室に入る前の記憶は主治医のA先生がやたらと落ち着いていて、手を洗いながらこれから手術するからね~って言っているシーン。私的にはもう死ぬかもって状態なのに、あまりにも先生の言い方がのほほ~んとしててそこだけ違う時が流れているように見えました。あとは手術室に入る直前に麻酔科の先生に話しかけられたところで意識がなくなりました。ここからは母から聞いた話です。奇胎の量が多く、吸引に時間がかか
手術後は集中治療室に滞在する予定になっていました。目を覚ました時のことはあまりよく覚えてないけれど、場所は集中治療室で旦那さんと母と弟がいてみんながそばに来てくれたような気がします。「赤ちゃんは・・?」私は赤ちゃんのことが気になって仕方なかった。あとは、輸血したことでアレルギーを発症し、蕁麻疹でかゆいなと思ったこと。かゆいよ~と言ったら周囲が慌てて色々処置してたような気がする。そんなことより娘に会いたい…その気持ちしかありませんでした。途中の記憶はやっぱりほぼないけど、しばらくした
入院していた病院では産科フロアが混み合っているため、22週をすぎなければ産科フロアにはいけないそうです22週…いろんなことは覚悟しなければいけないけれど、この週に入れば子供を産んでNICUに入って助かる可能性のある週。なので産科フロアに行けたらまた1つステージクリアなイメージがあって、このフロアに憧れがあった私ですが、私の体調を考慮し何かあったときにすぐに分娩室にいけるようにと、20週で産科フロアに移ることになりました。『何かあったとき…』こういう言葉にも敏感になっちゃうんですよねた
陣痛がおきている中、分娩室に移動して、陣痛が収まっているタイミングで子宮動脈塞栓術の準備のため看護師さんに手伝ってもらいながら手術着に着替えていました。その時、母と弟が到着。陣痛の痛みに苦しんでいると、母もこの日に自然にきた陣痛に驚いていました。着替え終わってからは陣痛がくると母が「大丈夫だよー」と言いながら腰を一生懸命さすってくれました。やっぱり母は偉大です。すごく心強かった…I先生が来て、子宮動脈塞栓術のため放射線科にある手術室に移動。手術室に入ると母親は付き添えないため、代わ
この日の昼間、助産師さんたちが何度もお腹の張りを気にしていました。15w頃からお腹は常に張っている感覚だったので、いつも通りなのになぁ〜と私はのん気に思っていました。でも夜に事件は起こってしまいました…妊娠継続をするための絶対条件の1つとして出血はNGだったのに、深夜出血している感じで目が覚めました。起きてみると、どんどん出てくる感じあぁぁあ、出血…お願い、お願い!止まって出血はだめなんだよ〜〜すぐに分娩室に運ばれその日夜勤だった先生たちが処置。血の塊(コアグラ)を取り出すと一旦
胞状奇胎ではなりやすい合併症に、妊娠中毒症があります。20週を迎える前の先生との面談で、20週を越えると体が急激に変化するので、要注意だと告げられたことがありました。20週を目前に控えたある日の朝、毎週の体重測定でそれまで全く増えていなかった体重が3kgほど増えていました。うーん、やな予感…そこからは体重もあれよあれよと増え、トイレにいっても尿が出なくなり、体がどんどん浮腫みはじめました…塩分制限の食事の開始、毎週だった体重測定も毎朝になり、血圧も徐々に高くなってきました。もう毎朝測
※この文章は、該当する方々に向けて書いています無関係な方々はスルーでお願いしますT先生より提案された「羊水検査」には意図がありましたT先生は、様々な文献や論文、関係各所からの情報を元に1つの結論を導き出そうとしていたそれは、妻の病気は「間葉性異形成胎盤」ではないかとここでT先生から聞いた話を整理します初診では、エコー検査の結果より「胞状奇胎」と予想されたこれは、胎児が生命を維持することは出来ないその後の検査で「部分胞状奇胎」の可能性が高くなったしかし、最新の情報によると