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肺がん小細胞がんステージⅣ夫の診断です。夫は健康で風邪、インフルエンザすらならない人です。しかし7年(64歳)くらい前に肺に陰があり検査の結果、肺結核で2ヶ月間強制入院し、退院後も再発せずに67歳で定年退職。収入が無くなってしまい、現役と変わらない金銭感覚の夫に振り回されて生活が回らなくて生命保険を解約してしまいました。その1年6ヶ年後に心筋梗塞で1カ月間入院、その後1年4ヶ月後に、肺がん、小細胞がん進展性ステージⅣでした。心筋梗塞退院後7ヶ月目に心臓の検査入院をしたときに造
肺がん治療のお薬、4年以上服用してる分子標的薬タグリッソ副作用は、色々あるが顎ラインと身体の薬疹、オデキ。爪の副作用、二枚爪、爪割れ。最初は、ドクターネイルを塗って予防していましたが外出帰宅時に手洗いに落ちてしまう。お値段もソコソコなので最近は爪が伸びてきたらスグに切ります。最近は、伸びる前に割れるパターンがあるので悩みます。。。皆さんは、どうしてるのかな?
今日は肺がんの受診です。1月4日にCT検査をしてその結果を聞く日です。セカンドラインの『カルセド』が11月下旬の結果では小さくなって、これは効果が2番目と聞いていたれど効くねと、『カルセド』続けられると安心していて、4クール迎える直前に肺炎になってしまい緊急入院をして最後に抗ガン剤を打ったのは12月1週目それから1ヶ月で今回の癌の様子は・・・大きくなっていました。「もう、今のカルセドは使っても効かないので使いません」きっぱり、K先生は言いました。一寸、気後れした先生からの相談は
2021.1.4気管支鏡検査で入院する日2泊3日の荷物を持って現れた母は少々、息が上がっているように思えた。例えるなら交差点を渡っている最中に信号が点滅して小走りしたぐらい(伝わるかな)肺癌…やっぱり肺やから呼吸がしんどいんか・・・そんな単純な事でも、頭に浮かべば調べたなぜそれはそうなるのか知ることで安心するために病院に到着して入院手続きをするだけで軽く30分以上は待った手続きを経て病棟へ上がって看護師さんへ声をかけたそ
2020.12.24日この日の予約は15時15分予約時間はあっても、多少の待ち時間は覚悟していった呼ばれた時間はなんと17時30分を回っていた椅子に座っている時間が長すぎて腰が悲鳴をあげていた私「なぁ、腰砕けそうやねんけどしんどないん?」母「もっとダラーンと座ったらええねん。もう周りだれもおれへんし」そういいながら母がダラーンと座る真似をしてみた余計に腰が痛かった呼び出し番号が表示され、砕けそうな腰をあげ診察室へ向かった
2020年9月頃に咳の症状が出だした母は10年前に脳幹に髄膜種が見つかり大手術を受けていたその関係で定期的に手術を受けた病院で検査を受けていたが数年前から大きな検査以外は近所の町医者に通うことにここには1か月に2度の診察と2か月に1度の血液検査そして1年に1度の検便とよく検査をしていたし、血液検査も毎回「なんの異常もありません」と言われていた普通医者が大丈夫と言えば自覚症状がない限り、患者は大丈夫と思うのが普通だと思う実際、母もなんの疑いもなく過ごしていた
2020年12月11日私がのんきに昼寝をしていると母から今から行くわ~とLINEが入った母は私に伝えづに一人で血液検査の結果を聞きにいった母「これ血液検査の結果やねんけどな、なんか癌マーカーの数値が高いらしいわ。ほんで、あと糖尿病予備軍やいわれてんお母さん今まで糖尿病も大丈夫やしなんも問題ないですよーっていわれてたのになんでやねん」と癌マーカーの数値が高かったことよりも、まさかの糖尿病予備軍の結果をきにしていた💦母「大きい病院で検査せなあかん言われて、どっち
母に癌の可能性があることは兄には伝えていたが子供たちや親戚などには確定してから伝えようと思っていた私には19歳の娘と16歳の息子がいるそんな私は38歳お察しのとうり母に沢山助けられて子育てをしてきた兄にも2歳の子供がいる母は5人兄弟←こんなおばあさんの絵文字使ってんのばれたら怒られそう癌を告知された時、ショックだし『死』を連想してしまう人がほとんどだと思う実際に私も少なからずそう思った瞬間があっただからこそ、沢山調べて勉強した調べる
1クール目で3回目の血液検査の結果が出た。白血球、好中球の数値は上がってきた。今の夫は病院に入院中だからか、怠くなくて、熱もなくて、食欲もある(肉を食べたいと言う)しかし、今までの抗ガン剤では一度も引っ掛からなかった血小板の数値がまた下がっていた。夫はK先生に「輸血はしたくない、こわい」と伝えた。K先生は「こわいことない」と、説明してくれたらしいけれど、(けして、宗教上の理由はないのですが)本人が怖がっているし嫌な治療をさせることは望まないので家族としても夫の希望にそって治療をして
初めまして。母の癌が発覚してから今までの事とこれからの事を思い出しながら書いていこうとおもいます。ブログに書くということは不特定多数の方の目に止まることになるので少し悩みましたが私が、沢山の方のコラムやブログを拝見し参考にしたり、勇気をいただいたのでこのブログもそんな風に見てもらえたらいいなという思いと母が癌と戦う記録のために始めようと思いますもちろん母には承諾を得ていますよろしくお願いします
2020.12.17癌マーカー数値が高いとは言えど、心のどこかではまだ、もしかしたら違う可能性もあるはずと思っていた病院に着くと血液検査と心電図・レントゲンを撮った1.2時間は待ったと思うやっと呼ばれて診察室に入ったこの時、担当医と初対面治療が始まると、先生との相性はすごく大切と思うこちらの質問に面倒がらずに答えてくれるのか母の不安に寄り添ってくれるのか納得のいく説明をしてくれるのか診察室に入った私はそんな部分も観察しながら担当医の話を聞
私と母は身長も体重もよく似ていて体重に関しては2人してよく同じ体重になっていたのは癌に気づく約1年前までの話し........2020年年始頃までの数年間体重は約47~48kg兄が約1年前にシングルファーザーになり母の手を借りていた姪っ子は当時1歳の誕生日を迎えたところで手がかかる時期だった母が少し痩せてきたなって思ったこともあったけど64歳の体で1歳児を育てているせいかな?と思っていた母は昔から弱音を吐かない、パワフル且つ精神的にかなり強い人だ
私も喘息の薬を処方してもらうために一緒に病院へ咳の症状ということで別室で隔離状態で診察を受けたまずは、コロナに関しての問診そして次に医師がきて診察がはじまった母にいくつかの診察の後胸の音を聞いた医師が医師「う~ん、ちょっとヒューヒュー鳴ってるね、一度レントゲン撮りましよう娘さんの方は胸の音もきれいやから大丈夫」そして撮り終えて待機していると医師が画像を持って入ってきた医師「ここわかる?白いもやが見えるでしょ、肺炎かもしれへんし違う病気かもしれないから
10月30日日が暮れだした頃、西に向かって車で移動中、空が綺麗で病院にいる夫にLINEで知らせた。彼が写真を撮ると良い感じに撮れるまもなく夫から写真が送られてきた。【西の空】【東の空】私の父が私が辛い時によく励ましで言ってくれる言葉「いつも笑顔で!同じ時間を過ごすのなら笑顔でいた方が幸せだよ。」私は夫にセカンドオピニオンの話しをした、あの日から夫が気分落ち気味の時に「笑顔で過ごしてね」と、声をかける。この写真を撮って笑顔がでたかな?明日の血液検査で退院許可なりますように明日
長い間このブログの存在さえ忘れるぐらい(実際忘れてた)放置今は免疫療法のテセントリクを1年半程投与中だが全く変化無しいや変化無しという事は効いていると信じよう副作用もなければ生活も普通にでき仕事も問題なくこなしているでも逆に不安だこのままでいいのか?考えただけで息ぐるしい最近本当にセカンドオピニオンを受けたいと思っている