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2024年3月上旬今後の治療に関して、病院へ。主治医と話しました。👨🏻⚕️どうしたい?🙎🏻♀️え???(主語くれぃw)👨🏻⚕️妊娠か手術どちらを選びますか?🙎🏻♀️...。同時進行はできないですか、、?👨🏻⚕️んー。どちらを選ぶかです。妊娠を優先した場合、出産後1ヶ月後くらいに手術をすることになると思います。ただ、転移していないか心配だから、3ヶ月に1回エコーで検査は必要です。手術を優先した場合、2ヶ月以内に手術になります。子供を堕ろすことになりますが。。
タイトル通り、肺と、海綿静脈洞に転移した私の癌ですが、もう完治は難しいらしく今は抗がん剤治療で癌と共存していくとなりました私の癌は、腺様嚢胞癌と言われ比較的進行がゆっくりのようですが、私の場合早い気がする。当時腺様嚢胞癌ではなく、唾液腺誘導癌と言われていましたが、後から腺様嚢胞癌と診断されましたこの癌が海綿静脈洞と共に肺に転移し海綿静脈洞は放射線で。肺は抗がん剤でと治療が始まりました。1クール目にアナフィラキシーを起こし予定していた抗がん剤が打てない事態にはなりまし
細胞診の結果が出たのは1週間後医師に呼ばれて説明を受けるが、正直癌の種類が23もある耳下腺癌の中で唾液腺道管癌でした。と言われても❓だらけ。とにかく顔つきの悪い癌であり、スピードが速い。そして何より早めに対処しなきゃならないって事は分かった。次やるべき事はただ一つ‼️早く手術し取り除く事。ただ、耳下腺癌について覚悟しなきゃならない事。神経部分の切除私の場合、この時すでにステージで言えば3の半ばくらいになっていた癌。リンパ節転移も目に見える箇所は2箇所枝豆🫛の豆🫘みた
再入院しリアルの今を書いています。現在私は放射線治療を35回終え自宅でゆっくり過ごす予定でしたが、海綿静脈洞と言われる目の神経が集まる場所に癌が転移してしまい緊急で再入院となりました。海綿静脈洞とはどんな場所か※画像はお借りしました。この画像にてわかる様に神経が通っており大量の血液が流れている場所。その為に手術は不可。出来ても大量出血をし危険になる為にやらないと主治医に言われました。また目の奥に出来た癌のため、現在は右の瞼が神経をやられた為に閉じてしまい、自力で開きません。そして、
不審に思いながらも折り返し電話をかける。だって朝キャンセルの電話をきちんとしたし今後の治療についても、やめると伝えてある。なのに何故電話が来ていたのか不思議だった。着信があった番号に折り返す3コールくらいで看護師らしき人が出る。私)すみません先程連絡があり折り返しました。看護師)はい、あ、先生に繋ぎますね。私)○ですが、、先程電話いただけたようで、、Dr)はい、今日の細胞診キャンセルしたそうで。私)連絡しましたが?Dr)聞いています。今後の予定は?私)今朝伝えてあ
「ガン」というと、皆さんは「肺がん」とか「胃がん」「大腸がん」などを思い浮かべるのではないでしょうか?「耳下腺ガン」というのは聞きなれない単語かもしれません。それもそのはずで、発症率は良性の耳下腺腫瘍も含めると10万人に2~3人と言われ、その内の悪性である確率は10%程度らしいです。つまり、100万人に数人ですから、日本の人口(1億2千万人)で計算しても500人もいない計算になります実際、Webでいろいろな病院の治療記録を見ても年に数人から数十人レベルで、いろいろな先生に聞いても
どんどん痛みは酷くなる。しかもピンポン玉程に膨れ上がる腫瘍。何か顎周辺から生まれてくるのか?ってくらいに張って痛みを伴う。調べたら腫瘍で痛みを伴うのは悪性の可能性大。癌である事は間違いない様だが、細胞診をやらないと最終判断にはならない。そう思いながらも、その日を待ち続けていた。でも、私の中で何かスッキリしないI先生がいるTJI病院を調べれば調べる程耳下腺癌の悪性についての手術歴が少ない。しかも数日前に看護師のストライキがあった場所。こんな病院で大丈夫なのだろうか。そしてI
しばらくぶりのブログになりリアルで色々あって、入院中の為ブログがあまり書けなくてごめんなさい🙏片目が潰れた原因が、、、海綿静脈洞と言われる部分の癌と肺がんになってしまいました。海綿静脈洞とはこんな場所👇頭蓋に入ってすぐ、眼の真後ろのあたりの頭蓋骨内に内頸動脈を囲むように存在する、海綿状の静脈機能を持った部位。腫瘍が発生するとこれらの神経が障害され,物が二重に見える、目の奥の痛みなどの症状が現れます。※Googleより抜粋しました。赤い丸⭕️がかいてある場所が海綿静脈洞となり
母と入院前にGA内にあるレストランで食事した。昼前の入院だったので、手続き上昼食は出ないと思っていたのだ。母はオムライス私はうどん入院してしまうとコロナ禍で面会も不可能1人で戦わなきゃならないんだそう思ったら涙が溢れてきたこのまま何もなかったように帰りたい普通にレストランで昼ごはんを食べる親子として帰りたい。でも待っているのは入院と言う名の別れ。そしてこれから食べられないだろう常食の味。何もかもが悲しくて泣きながらうどんを食べた。頑張るねそう母に告げ時間になり頭頸科
中に入り、イケメン看護師さんとバイバイ👋また病室で会おう‼️なんて爽やかなんだっ💫緊張しながら手術担当看護師さんに連れて行かれた長い通路。言い方が悪いが牢獄にも見えた。だって、ものすごい数の手術室ずらっと並んでオペ室が沢山あっけにとられた。如何に手術が多いか、患者が多いかを。こちらになります案内された部屋に入る台の上に横になってくださいね仰向けでリラックスね名前確認しま〜す。今から点滴の管入れますね少し痛いですよ〜ブスッと注入💉麻酔の点滴針が手の甲に入る本当
ICUを無事卒業し、一般病棟かと思いきや経過観察となり看護師さん達の横にある個室に。一日中ナースコールは鳴るし、バタバタしてるけど個室とあって音楽聞いてみたり(片耳で)、写真撮影していたりと、だいぶ自由な時間が増えた。同時に食事もペーストだが自力で食べられる様に。悲しいかな、緑色や白のペーストばかりで食欲すら湧かない色だが、点滴よりはマシ。トイレはまだ自分で行けないから、相変わらずの管がついている。早く取れないかなぁ、、尿道管嫌い。膀胱炎になりやすいし、何より不自由。私は
看護室隣部屋2日目看護婦長が挨拶に来てくれた。やっとこの部屋出れるんだ!そう思っていたらまさかの一言。今一般病棟の窓側の部屋が空いてなくて、希望される窓側じゃなくてもいいですか?え、、待って差額払ってでも窓側がいいと思っていたし何より空いてないってどういう、、?!私が入院した時、既に頭頸科の病棟はパンパン女性が少ないとされていたはずの頭頸だが何故か最近増えて来たとの事。それにより病室が空かず入れないとの事。少し広い個室が空きそうですがそちらか、もしくは暫くして窓側に移
ICUに入り2日目の朝おはよう御座いますと朝からニコニコ看護師さん夜勤担当さんが体温等測りにくる。夜通し私達患者の面倒をみて尚且つ笑顔本当に素晴らしい。私はと言うと酸素マスクは外れたものの今度は鼻から差し込むタイプの酸素の管に相変わらず身動き出来ない状態。手術後の1日目は水分補給が出来ない実はこれが一番辛い!誤嚥性肺炎を予防するためらしいけど、とにかく辛い。口の中が乾くただでさえ耳下腺を全摘しているので片方の唾液が出ない。口の中パサパサ!!看護師さんはバタバタ動き
放射線治療のキツイ部分前回のシェルもそうなのですが、副作用も人それぞれにはなりますが、あるんです。私の場合ですが、参考にしていただければ幸いです。ざっとこんな感じに来ました👇1回〜10回吐き気、だるさ、疲労感11回〜20回吐き気、だるさ、疲労感、頭痛、口の渇き、脱力感味覚障害20回〜30回吐き気、だるさ、疲労感、頭痛、口の渇き、喉の痛み、皮膚の炎症、脱力感、味覚障害30回〜35回吐き気、だるさ、疲労感、頭痛、口の渇き、喉の痛み(嚥下の際キツイ)皮膚の炎症、脱力感、嘔吐、味
とうとうこの日が来ました。退院の日3週間この病院にいましたが、やっと自分が退院を迎えられました病室の大部屋で、何人もの方々を先に退院しさよならを言って寂しかったのですが、ついに自分も退院となりました。ロッカーの中身や冷蔵庫の中身を確認し空にしてから鞄を持っていざサラバ‼️です。まだ皮弁が痛々しいのですが、大丈夫看護師さん達にありがとうを告げて、お礼の品を渡して、事務員さんと看護副婦長と一緒にエレベーターホールでご挨拶。本当にお世話になりました。てか、最後の最後まで看護副婦長だって
味覚障害になり、そして何故か物凄い頭も痛くなり内科でも、頭頸科でも、放射線科でも偏頭痛と言われて、精神科にてずっと偏頭痛の薬を貰って飲んでいましたが全く良くならない。いつもならば即効いてくれるはずのカロナールもロキソニンも、イミグランさえも効かないでもどの科でも偏頭痛と言われるから耐えるしか無い。そう思ってずっと放射線治療を通いながら偏頭痛であろうと言われた頭痛に耐えていた。味覚障害と共に食べられなくなり、スイカすらも、一口二口が精一杯。水すら口に入れたく無い感じになる。ご飯の炊ける
相変わらず皮弁チェックと身動き出来ない管と大量の点滴とで寝たきりの状態。やっと鼻からの酸素は解放されたが、今度はマスクをしてくださいが始まった。待っ、、マスクやるんか?ICUで呼吸が苦しいのにマスクせよと💦無理無理無理〜‼️確かに病院だし、マスク必須は分かる。分かるんだけど💦今はパニックになるから無理‼️そう看護師さんに伝えマスクだけは回避💦ただでさえ、夜になれば暗闇が怖くなり死ぬかもしれないとパニックになるし、起きるとせん妄みたいな状態にもなっているから本当に無理でした
咽頭炎と術後19日の傷跡本当は11月も上旬の8日にPETCT、13日に主治医診察で今後の事が分かる予定だったのに、私が咽頭炎になってしまったが為に大幅に予定がズレてしまいました咽頭炎11.10の明け方から喉の激痛。その後受診した所まで前回ブログに書いてました。この咽頭炎も時期が時期だから色んなことを考えました。耳の下も切ってるし、どこに受診すればいいか悩みに悩んで、行ったのは…9月に急激に首が痛くなってはじめに行った耳鼻科。その先生はリンパ節炎だろうと薬を出してくれ、それでも治らな
左大腿部から肉を削ぎ、右側の耳下腺部分に移植した私の大切な皮弁ちゃん。2時間おき→4時間おき→チェック無しになりましたやっと肉として機能してくれた。もう何ヶ所穴を開けたか分からないくらいにサボテン🌵化した私の皮弁ですが、無事ついてくれました。これがつかないと、再手術だったから怖かった。しかも再手術のパーセンテージが1%の方にもれなく再手術ってめちゃくちゃ怖い。だから本当に良かった、、。看護師さん達も毎日毎晩深夜でも見回りに来てくれて繋げてくれた大切な皮弁ちゃんです。これで夜中
夕方に陽性なら来ると言われていた電話も無しって事は陰性でした。万歳🙌正直ドキドキ💓はしていましたが💦前日より荷物を持って自宅から大移動当日バタバタ動くより前日からホテルに宿泊していました。親族も集まってくれて、みんなでランチ嬉しすぎて泣きながら食べた😭サプライズで遠方から叔母や、従姉妹も来てくれた。頑張ってとは言わないよもう十分頑張ってるからね。看護師の従姉妹流石です。患者の気持ち分かってくれとる、、思えばここまで来るのに色々なドラマがありみんなの力を借りて来れまし
それは突然起こった。手術前に聞かされていた事せん妄になる方もいて、ひどい場合は、手足を縛りますがご理解ください。って言われていた事が、自分に起こった。手足を縛る程では無かったが、少し寝て目を覚ますと、自分が何故ベッドの上に居るのか何故多数の管があるのか、そして動けないのかそれが理解できずパニックになる。しかも夢の中の自分は普通の生活で、普通の顔つまり顔面麻痺になってもいない。右側の皮弁なんてないし、普通に歩けてるし。頭が現状を把握するまで理解できずパニックになる事が暫く続
MRIの診断までひたすら待つそれは砂時計をひっくり返し砂を集めて瓶に詰めていく様なそんな時間でした。それまで何をする訳もなく、ただひたすら待つ痛みと闘いながら待つしかない。待つ事2日とそして検査結果。結果は癌しかもステージ3リンパまで達した癌ドラマの様な真っ暗にとかそんな感じではなく、とにかく戦わなきゃとそんなふうに感じた。
食べたかった物の中で、どうしてもかぶりつきたいおにぎり🍙あの有名店のぼんごです。ずっとぼんごさんのファンで、旦那と結婚してから何かと食べてきました。私はシャケマヨ卵黄トッピングしか食べない何故なら、それが一番だから‼️大好きなものは、何個でも口に入るのですまだぼんごで食べた事がない方損してます。本当に本当に美味しい‼️ふっくらとした米の中にシャケマヨそしてとろける卵黄トッピングまさに宝石箱や〜かぶりつけるのも、きっとこれが最後。命と引き換えに私は顔面麻痺を選んだ
風がつよーい先日、CTの結果を聞いて来ました結果は……転移や取り残しの腫瘍は無さそうとのことでしたーとりあえず良かった…なんか色々とグルグル考えてしまって…気分の波が激しい2週間でしたただ低悪性とは言え、小さな細胞が1個でも残っていれば、再発や転移の危険があるって事で今後の治療を考えます!と…主治医より、有明にあるがんセンターへセカンドオピニオンに行き、他の病院や先生の意見も聞きたいとお話がありましたなので、今日は紹介状や資料を受け取りに行き、これから電話で予約を取ります治療
術後1ヵ月と乳腺専門病院受診耳下腺腫瘍(癌)~術後1ヵ月11月26日で耳下腺腫瘍の手術後1ヵ月が経ちました。傷の治りは順調だと思います。一番下に傷の写真載せてるので、苦手な人は見たいでくださいね。手術した右側半分の殴られたような痛みもなくなり、傷に貼るテープを替える時もビクビクしなくて良くなりました前日の25日には陽子線センターのセミナーが自宅近くのホールであるとの事で、夫と2人で聴きに行きました。山口慶一郎先生のお話で、癌とは…から癌の最新治療まで。講義のあと陽子
あけましておめでとうございます⛩🌅昨年はたくさんのいいねやコメントをありがとうございました❗️今年ものろのろマイペースで更新しますが、どうぞよろしくお願いします😄昨年は治療のない1年となりました🎵最後の治療から無事に2年経過し、今のところ順調です。診察も2ヶ月に1度になりました。ただ、妹の癌が発覚。しかも同じ頭頸部癌。その妹も手術後は順調に経過していて、今月MRIの予定です。今年は私も妹もこのまま経過観察で過ごせたら嬉しいです😆次の診察は1月16日!またご報告します📝
あまりの痛さに皮膚科に行ったところ帯状疱疹だと言われました。抗がん剤で体力と免疫力が低下していたところ帯状疱疹になってしまったのだろうと。正直、抗がん剤治療を受けてから、体力が減り1人では何も出来ないくらいになってしまい酸素が無いと息苦しくなり、老人化してしまった自分が情けなくて仕方ない。立つにも援助無しには立てないし座れないし何でこんな風になってしまったのかと嘆いています。こんな状態だと第二クールは打てないしとにかく動くと痛くて敵わない。こんなにまで帯状疱疹が痛いとは知
GAに晴れてお世話になったわけですが、怒涛の検査ラッシュ💦CT、MRI、レントゲン、肺活量チェック、心電図、血液検査、尿検査、聴力検査、細胞診とまぁ沢山それぞれに詳しく書いていくつもりでいますがとにかく検査ラッシュあっちだ、こっちだと身体全体を調べた。まずはCTから説明何度かやっているので慣れて来た。「呼吸を楽にしてください。止めてください。」この合図で撮影しているらしい。とにかく動かない。これが最低条件。閉鎖空間で若干怖いがMRIよりマシ。私の場合、造影剤もやるから
旅行から帰宅し楽しい思い出もまだ記憶に新しいのに、もう放射線治療開始。まぁ、治療が始まれば旅行も行けなくなるって事で企画してくれたんだけど、、、。私の場合、通院で35回耳下腺部分とリンパ節部分に放射線をあてる。副作用とかの説明を看護師さんから聞いて、シェルと呼ばれる剣道のお面のようなものを作るとかで、まずは型を取りたいと放射線治療の部屋に。横になって、上半身裸。以前印をつけた部分に照射部分に合わせていく👇こんな❌印が両腕と胸、そしてウエストより少し上に両方つけられているので、それに
私の目に飛び込んできた文字この文字が目に写った時には一瞬、何も聞こえなかったのかもしれない私は音のない世界でこの文字を見た気がします病名:耳下腺癌第1に唾液腺導管癌を疑うステージ:Ⅳ正直、これだけでかなりのインパクトでしたそして、確定診断は、摘出による病理診断となります耳下腺、顎下腺、舌下腺のあたりが図解してあり転移しているリンパ節に数か所赤い印が・・・【手術をする】メリット:腫瘍の摘除ができ、病理診断がつけられるデメリット:手術による体へ