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○出撃前日、陸軍参謀に対する作戦説明○出撃前の食事の模様○出撃当日、身支度を整える隊員達○出撃前の盃を交わす諏訪部忠一大尉(神奈川出身)○出撃前の盃を交わす奥山道郎大尉(三重出身)○戦争末期の物不足の中でかき集められた酒と肴で盃は交わされた。○各隊員も盃を交わす。○人生最期の煙草を目一杯吹かす隊員達。追記2017/10/5ハッシュタグ編集
○義烈空挺隊強行着陸時の読谷飛行場○撃墜した機体から放り出されたと見られる義烈空挺隊員の遺体。○米軍に撃墜されたと見られる機体。○(恐らく強行着陸した爆撃機だと思われる)機内の待機場所から機銃座への通路で亡くなっていた義烈空挺隊員。○戦争には良い戦争も悪い戦争も無い。すべての戦争が悪である。○戦争指導者は戦後も生き残る。一部は東京裁判で罪を問われるも、うまく逃れた者達は責任を取らず、のうのうと生き長らえる。国民に大きな犠牲を強いてもである。それが戦争の現実である。○戦争
○出撃直前、奥山・諏訪部両隊長の握手。「お互い頑張りましょう」、そう声を掛け合った。この場面には後日談がありまして、撮影者の小柳氏が当初は撮り逃してしまったので再度お願いして撮影したという証言がありました。○機上にて最後の別れをする、奥山・諏訪部両隊長。○出撃直前の爆撃機内部。隊員らが重装備の為、中腰の状態だった。○「そして、みんな行ってしまった・・・」残存の兵士達に見送られて熊本健軍基地を飛び立つ義烈空挺隊の爆撃機。昭和二十年五月二十三日夕方○熊本健軍基
義烈空挺隊は昭和20年5月24日熊本市健軍飛行場を飛び立ち、沖縄北及び中飛行場での特攻作戦を実行しております。義烈隊は当日出陣の儀式を行い、奥山道郎隊長が最後の訓辞を行っております。これは、その時の奥山隊長の肉声です。勇士たちは満々たる自信に満ちて進発した。月光、煌々として海面を照らすこの夜、義烈隊の編隊は堂々と、しかも隠密に超低空で飛行場に迫っていった。隊機12機中、無事に突入できたのは1機のみでしたが、縦横無尽の活躍により米軍機に損害を与え、作戦は大成功でした。しかし彼ら113名は