ブログ記事729件
探索日2014/12/28紀勢本線高茶屋駅から分岐していた軍用線終戦直後に廃止されたと思われる海軍工廠線は紀勢本線の右に隣接して走っていた撮影地点がそれっぽいけど、ここは跡やないわ工廠線が走ってたんは、右端の畑部分工廠線は写真右端を通過わずかに残る路盤跡奥へ直進する海軍工廠線専用線はこのへんを奥にむかって通過特に跡は残っていない住宅のならびが廃線跡軍用線は津興産業の右へ続く右の土盛りは築堤跡か?左の築堤部分が線路跡土
探索日2008/05/12日豊本線下曽根駅から分岐していた軍用線手前へのびてくる道路が廃線跡885系電車が走っているとこは日豊本線いかにも線路跡といったカーブを描く軍用線現役時からここに川があったようやけど、この橋台はその時のもんやないな線路跡を利用した道路はここで行き止まりになる奥にむかって線路がのびていた
廃線・大隅線の遺構23海潟温泉駅ー大隅麓駅間↓海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)は、鹿児島県垂水市海潟にあった日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅でした。大隅線廃止に伴い1987年3月14日に廃止となりました。1面1線の交換不能駅で、駅舎はなくホームとその上の待合所のみの無人駅でした。高い位置にあったのでホームへは階段を利用していました。●1961年4月13日海潟駅として開業。当時は当線の終着駅であった。●1972年9月9日
2017年6月中旬の北九州・小倉散策レポの続き。吉川精密さんの赤レンガ建物を見学した後は、国道199号線を歩き、小倉駅に向かいました。赤レンガ建物(吉川精密)のレポ。https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42109768.htmlhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12390987450.html国道199号線を歩き左手の路地に「貴布禰神社」の裏側が見えた際、その路地に勾配がついていたので、少し立ち
探索日2014/10/14切り替えは1978年9月14日の複線化時前回探索は、完全とは言えない内容なので再訪したこの先が日出塩駅方新旧線分岐点旧線はここへのびてくる逆光でわかりづらいけど、左に現在線日出塩トンネル東京方口旧線はトンネルに入らず、山沿いを進むここを旧線が走っていた廃線跡を歩いていく右下は国道19号線381系電車特急〔しなの〕がここを駆け抜けたのだ自然に帰りつつある廃線跡左の林沿いを旧線は走っていた擁壁が残る
探索日2013/10/14伯備線足立駅を所管駅としていた専用線足立石灰工業のHPによると、富士製鐵(後の新日本製鐵)広畑製鐵所との間に専用列車が設定されていたらしいつまり、ここで産出された石灰石は伯備線、山陽本線、播但線、富士製鐵(新日本製鐵)専用鉄道を経て広畑まで運ばれていたこと余談やけど、現在のオレッちの居住地は新日鐵(現新日鐵住金)広畑から2kmほどの距離にあるこんな岡山の山深いとこと、姫路の広畑が線路でつながっていたと考えると、感慨深いものがあるあれが足立駅ケーブ
探索日2011/11/23東海道本線富士川駅を所管駅としていた専用鉄道東海道本線と王子特殊紙の間が日本軽金属線の路盤跡むこうが富士川駅専用鉄道用地は道路の拡幅に食われた道路の左半分が線路跡小池川に架かる橋りょう跡橋げた上にはバラストが敷かれたまま真上の高架橋は東海道新幹線奥へ続く廃線跡道路に沿う住宅の並びが線路跡この赤茶けたバラストは専用線のもんか?専用線があったのは住宅の建っているとこやけど踏切跡線路は手前から奥へのびるメゾン日軽の建っているとこが日
(その4からの続き)-妙蓮寺(16:49)-白楽(17:11着・17:25発)-東白楽(17:36)-反町(17:56)-横浜(18:18着)-旧綱島街道をさらに南へ下りました。まっすぐ進めば白楽駅に行き着きますが、この角を右に曲がって、ちょっと寄り道してみました。まもなく現れたのは白幡池。周囲は標高差10メートルほどの台地に囲まれています。さっきも菊名池を見かけましたが…どちらも元々は谷戸の溜池だったんでしょうか?旧綱島
前回に引き続き、セメント工場の専用線の廃線跡を紹介します。突如姿を現したのは築堤。バックに浮かび上がる工場がなんとも幻想的です。築堤に近づいてみました。途切れている部分は、もともと下の道路を跨ぐ橋だったようです。ここから西大家寄りは、築堤は跡形もなく、すぐ隣には家が建っています。壊されたコンクリを反対側から見ています。築堤上には、架線柱と思わしき木の柱も何本か残っています。鉄骨でできた高い台のような物も発見しました。ちなみに築堤は住宅街の中をカーブしながら工場へ向かっています。こ
前回に引き続き、セメント工場の専用線を紹介します。ちょうどこの写真の手前から奥にかけて路盤があったようです。上の場所から遠くを眺めます。セメント工場から荘厳たる煙が出ているのが分かります。この辺りから周りが開けてきて、非常にのどかな場所になります。すると、突如枕木とレールを発見。線路跡より少しそれた所にあったので、撤去された後に積み上げられたのではないかと思います。写真右奥から左手前にかけてが線路跡です。2つのコンクリートは踏切装置の名残りだと思われます。上の写真の場所から工場寄り
探索日2014/05/03岳南富士岡~比奈間にあった貨物ヤード廃止は、2012年3月の貨物事業撤退時と思われる正式に廃止されたかどうかは不明左が操車場へ続くレール右は岳南電車本線拡大投影むこうに見えるのが岳南富士岡駅踏切跡手前がヤード線右がヤード線踏面のサビが、廃線であることを物語るあれが操車場左端は本線
(その7からの続き)-石原(14:09着・14:20発)-熊谷駅から線路の南側を進んで、上熊谷駅を通過しました。鎌倉町通りから少し小道を進むと、星渓園の入口にさしかかりました。江戸末期から明治初頭にかけて造られた回遊式庭園とのこと。開園時間内であれば自由に入場できるので、入ってみました。庭園の中央にある池は人造池ではなく、江戸初期に起きた荒川の決壊によってできた湧水池のとのこと。熊谷中心市街を流れる星川、そして忍川の水源がここなんだとか。
摩周屈斜路トレイルを歩く1日目4月中旬、てしかがトレイルクラブが整備している摩周屈斜路トレイルを歩きました。摩周屈斜路トレイルは摩周湖から美幌峠までの62キロ続くトレイル。今は、美幌峠までの50キロが整備されています。てしかがトレイルクラブは30名ほどの会員がおり、日頃もトレイルの点検整備などに参加しています。今回は、ゴールデンウィークにトレイルを歩く人がいるため、その前の点検を兼ねて、会員に呼びかけての3日間で全行程を歩くスルーハイクでした。私は今回は1日目と2日目の前半、参加しま
探索日2014/10/11廃止は2010年3月25日上沼垂駅は現在の上沼垂信号場沼垂駅跡を北側から見る柵のむこう側に線路が並んでいた沼垂駅から西へのびていた枝線の跡沼垂東緑地となっている元は1904年(明治37年)に開業した初代新潟駅にむかっていた線の一部この先が沼垂駅奥は新潟市立万代高等学校同校は駅跡に立地する沼垂駅跡廃止は2010年と、つい最近晩年は規模を縮小させて生き延びていた照明塔かレールも健在
JR東日本信濃川発電所3期工事軽便線跡です。1枚目は1期2期工事の千手発電所です。祖父が1期工事(鉄道省)から担当してました。祖父は遠い生まれた地を離れ半生を過ごしたここ十日町ですが、詳しい話を聞く前に鬼籍に入ってしまいました。鉄塔は送電開始からの物で、清水峠を越え東京へ送電しています。至るとこに敷設されていた材料運搬線(軽便線)ですが、廃止されてから時間が経っていることもあり、残っているのはごく僅かですが、線路跡の橋台は小千谷発電所へ向かう水路工事のためと思われます。昔、十日町には信濃川を渡