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おはようございます31週3日で双子の男女を出産したおもちです現在、帝王切開術後3日目ですまだ痛み止めを服用しないと痛くて辛い時もあるけど、だいぶ体は楽になりました人間の体ってすごい…お腹と内臓切られても3日後には割りと動けるんだもん…帝王切開術後の回復状況はまた後日にするとして、今回はなぜ緊急搬送、緊急帝王切開になったのかを書こうと思います7月25日(土)その日の体調はいたって普通のいつも通り!昼間の面会ではお母さんから差し入れてもらったカプリコを元気に食べたし、赤ちゃんにも何
さなえの娘です。10月10日11時9分母が旅立ちました。ご報告が遅くなり申し訳ございません。9日の夜中に息が苦しく訪問介護のかたに来ていただき、病院へ緊急搬送されました。次の日の10日の朝病院から連絡が来て家族全員で向かうことになりました。病室に入ると、息をする度にザーザーと音がして、とても苦しそうでした。すぐに手を伸ばして抱きしめてくれて、ありがとう大好きだよと言ってくれました。私も大好きだよとちゃんと伝えられました。最期はみんなでままを囲んで、手を握りながら、お別れすること
夕方苦しくなりどうしようかと悩みましたが意を決して救急車を頼みました金曜にコロナ陽性で有ることをがんセンターに伝えたとき救急車を呼んでもがんセンターじゃなくてコロナ病院に行くようにと言われてます受入れ拒否ですねですが救急隊の方は一応がんセンターに電話して確認してくれましたが、やはり受入れ拒否その後も市内の病院数カ所市外の病院も数カ所電話してくれましたがどこも受入れ拒否やはりがん末期患者というのがネックになるんですねアチコチ電話しながら酸素吸入量
このブログは『慢性活動性EBウイルス感染症』でたった3ヶ月の闘病で亡くなった息子(27歳)の記録です。H28年12月1日・・の続き①必死の懇願によりようやく大学病院への搬送が決まった。『翔平!病院移れるよ!』『母さん、心配させてごめん。ありがとう。』私は早速荷物を整理し、車の用意をしようとしていたら『すぐに救急車が来ますから、お母さんも一緒に乗って大学病院までお願いします』救急車ーそして、翔平と私は救急車に乗り込み出発車内では、救急隊員がバイタルチェックした
朝、起きると…ちと痛いな〜って。いつものように前駆陣痛かな?って思ったけど一応旦那さんに報告◡̈*✧で、パンツを見てみると黄色っぽい。オリモノ?感染?どっちだろ…で、熱を測ってみると、38°C近い…間違えなく、感染だ早く病院に連絡しないと昨日、退院したのに…なんなんだ!診察してもらわなくちゃアタフタアタフタ「カチッ」(←本当にこんな感じの音がした)なにかのスイッチが入ったと同時に激痛我慢できない激痛…旦那さんは冷静。笑私「痛い…荷物まとめて!タオルも〜」旦「わかったよ〜
兄と仲良くサッカーの練習試合に出かけて行った息子。朝はそんなに調子も悪くなく焼きうどんを食べて出かけていきました。そんな日の夕方。息子からのLINE。はらいたいまたストマがつまったのかと思い便は出てるのかの確認。出ているらしい。追いLINE動けない。そして兄からの電話。次男がやばい。倒れそう。動けない。手が震える。自宅からは少し距離がある。車だと1時間はかかる。長男に救急車を呼ぶよう指示。持病があること。かかりつけ医に搬送してもらえるか聞いてと伝えて1度切る。
日曜の夜、救急病院に行ってから、卵巣に腫瘍があり、卵管が巻き付いている事が分かった次女耐えられない腹痛に手術が必要な事が分かったが、そこの病院では子供の手術は出来ないのでチルドレンホスピタルまで緊急搬送される事に。病院から病院への搬送は、救急車で行われ彼女の人生初めての救急車に乗る事に。少しでも子供を喜ばせようと、乗る前に救急車のライトを赤と青チカチカさせて見せてくれました。海外の人は優しい。卵巣腫瘍、卵巣手術について情報集めてます、コメント頂けたら嬉しいです。
今年に入ってからの苦しかった時の日記の抜粋。遺書めいた事が書いてあるので読みたくない方はお戻り下さい。*****************3/16(月)◯◯メンタルクリニック受診。オーバードーズで緊急搬送されていた事を先生は知っていた。思わず号泣。「苦しくなったらいつでも◯◯に来なさい」との言葉。嬉しくて涙が溢れた。3/18(水)久し振りに「いのちの電話」に繋がった。苦しい事を全部話した。やはり号泣。自分が怖い。情けない。3/19(木)またしても母が来た。母が死ぬか
初めての救急車。先生達が説明してくれました。🧑⚕️張り止めの点滴の副作用で胸がドキドキすると思うけど大丈夫?とりあえず赤ちゃんは元気。だけど、赤ちゃんが入ってる袋が降りてきている状態。赤ちゃんはまだ降りてきてないけどもしかしたら産まれちゃうかもしれない。そんな説明をされ、お腹が痛み出したらすぐに言ってと言われ、少ししたらかかりつけの元々がん治療で通っていた大学病院へと到着しました。手術室みたいなとこに連れて行かれ硬いベッドに横になると、がん治療中に担当だった先生が
「お母さんが倒れました」と、2023年6月9日娘のところに外線が入りました。地元の大きな病院からでした。どんなにびっくりしたことでしょう。残念ながら倒れた本人である私はその日のことを何も覚えていないのです。仕事が休みだったので父の処方箋を薬局に頼んでから美容院に行ったようです(ようです、って笑)いつもお願いしている先生にヘアカラー、カットをしていただき「さあお会計を」という時にガラガラドッシャーンと倒れてしまった(らしい)退院した後、その日使っていたバッグを見まし
一通りの家事が終わり、久々に自宅の布団で眠りについた。深夜にふと目が覚める。するとどうだろう。激しい腹痛に襲われたのだ。「なんだ!?この痛みは!!」「あ゛ーーーーーーー!!」「誰か助けて!!」訳分からず強烈な痛さのあまりずっと叫んでいた。冗談抜きで外に誰か助けを求めるレベルの痛さだった。トイレに行きたかったが、立ち上がるのも歩くのもかなり困難で、たった数m歩いただけでこんなに苦労したのは生まれて初めての経験だ。
バリ島から帰国して翌日父がコロナ感染し入居している施設から緊急搬送されました一命は取り留めましたが予断はゆるさない状況そんな中姉と連絡がとれなくなり…昨年10時間もの手術を乗り越えたが以前より病んでいた鬱がさらに酷くなり入院していたが退院後逝ってしまったいま記せるのはこれだけです私は不安定過ぎて身の置場所がないような状態です人の生とは…
ひつじちゃんが緊急搬送され部屋には母とにぃにと私の3人になりました。まだ4歳のにぃにはよく状況が分かっていなくてママ、見てー!ママ、遊ぼー!!と1日振りのママとの時間を嬉しそうに過ごしていました。その元気な姿に救われてにぃにがいる間は、私もなんとか気持ちを切り替えることができました。部屋でにぃにと遊んだり一緒にご飯を食べたりしている間に外は暗くなってきました。病院へ向かったパパから連絡はまだありません。にぃには部屋のベッドで寝てしまったので、母に自宅へ連れて帰ってもらいました
2022年7月に緊急搬送されたときは、熱中症かと思ったら、胆管炎だった義父敗血症にまでなって危険なところでした今回は、なんか元気ないなー、と思ったのが金曜日の夜土曜日はあんまりごはん食べないし、おもらしまでして(なぜか紙オムツ履いてなかった!いつも自分で履くけど、履く元気なかったみたい)、息子を呼んで、ビニール手袋して、2人がかりで着替えさすむ、むりーー!と思いながらそして、まめにストローでポカリスエットやジュース、メイバランスなど飲ませて様子みてましたそして日曜日ちょっと回復し
11月27日月曜日11月も終わりに近づくと思い出してしまいますちょうど一年前母95歳が最期の病院に緊急搬送される救急車の中でこの時も、しっかり意識があったけれどコロナ規制の時期で受け入れ先が決まらず救急車が一時間以上も発進できなくてでもそのお陰で救急車が出る前に仕事先から息子(母にとっては孫)も駆け付け三人で話をする時間が出来ました息子が大きな声で母の顔の上から「おばぁ~ちゃーん頑張るんだよ~」と言うと母が「はー
破水が確定してからはバタバタ。まずは搬送先問題です。この時は経腟で無痛で産む気満々の私・・・・頭の中に無痛で産める大学病院をピックアップします。でもプチパニックなので落ち着いて感がられません。今思うとさ、「もう破水したら帝王切開確定だよ、無痛じゃなくて赤ちゃんが無事に育つNICU強い病院を優先度高として考えなさい」と先生に言ってほしかった・・・。優しい先生なんだけどズバッという感じはないんですよね。看護師さんは「戻ってくれるかもしれないし!」とか期待持
2021年12月中頃邦和病院に初診にきてもうすぐ一か月近くになるころだった。PCR陰性だったため胸のレントゲン検査・色々なことを徹底的に調べて貰った。結果異常なしが出ていて医師の和田氏からPCR陰性が出ているのにこれはおかしい…ほっとけないと一言を頂き初診の頃から漢方薬処方を中心に処方をして貰い今まで他の病院で貰って来たお薬に比べたら効果は効いていた方でただ色々なお薬が身体の中に残っていて効き目はきついぐらいで特に睡眠障害が出てしまい余計に値付けない日が続いていました。和田
2021年12月24日この頃は今でも忘れない出来事でコロナ後遺症外来に行って間もないころでしたが…漢方薬処方をして貰いましたが…最初の方は色々なお薬がまだ身体の中に入っていて効果がきつめに効いていた方でした特に睡眠障害・変な夢・脱毛の症状にがきつめに出て…夜中に家を出ては色々な所のビルに行き自〇を考えるようにまでなっていました。症状が悪化しては自分で救急車で緊急搬送をして病院に受け入れて貰いましたが…そこの医師にかかりつけ医でといわれ逃げられお薬を処方をして貰いましたが全然効果
えーっと...長くなるし何から書いていいのか分からないのでとりあえず簡潔に昨年12月、1月はほぼ記憶が無い程(今思うと昏睡状態?)ひたすら家で寝てました。訪問看護さんが来たり役所関係の方々が来て起こされても直ぐにおやすみなさい状態。そんなこんなで1月中旬に緊急搬送。入院して1週間ほどは記憶無し...呼吸停止は勿論一度心肺停止状態に陥るもゴキブリ並の生命力でそこはクリア(笑)最初受け入れて担当してくれた看護師さん曰く「この子死ぬんじゃねぇか、まだ若いのにおやげねぇ」と、意識が戻っ
母が庭で倒れてました中学校から帰ってきた娘が見つけ、すぐに緊急搬送原因は脳梗塞言語障害、右麻痺が残りそうです去年の9月に心筋梗塞から奇跡の生還を果たしたのに…神様は意地悪だこれ以上、私の大切な人を奪わないで
小児医療の先生が来て、しばらくしてピッ、ピッ,,,とモニターの音が聞こえる。すると再び小児科の先生が,,,「医療センターの先生が来たら、脈がとれるようになった。搬送できるかも,,,」一瞬でも諦めていたので、えっ!という戸惑いと、驚きでいっぱいだった。搬送の時。手術をしてくれた先生が、写真は?と声をかけてくれる。クベースの中に入っている沙羅は今考えるとびっくりするくらい白くて、色白ででもその顔はお兄さんや旦那によく似ていたクベースの窓をあけてくれたけど、怖くて手を出せなかったお
胃静脈瘤破裂という病で緊急搬送されて手術受けての入院となった。胃静脈瘤破裂とは、瘤(こぶ)状に腫れた血管が食道や胃の中に膨れ出したものが破裂することで出血。もともと門脈系の血管(門脈・脾静脈)と食道や胃の周りの血管は細々とつながっているのが、門脈圧が高まることによって本来肝臓に流れ込むべき大量の血液が食道や胃の血管に迂回することで、もともと細い血管がこぶ状に膨らみ続けて破裂したもので死亡率は胃静脈瘤破裂では50%とも言われているらしい。初期症状と言われる痛みや何かあった訳ではなく、いきなり黒
2020年6月27日32週1日前期破水破水1日目内心台に上がったらピュッ!と水が垂れた感覚。おしっこ?しちゃったのかな?と思ったら先生「破水してる」・・・・となり転院となりました。NST張り止めの点滴をして、そのままNSTを受け緊急搬送となりました。土曜日ということもあったのかなかなか搬送先決まらず。搬送先が決まり救急車が到着🚑ストレッチャーに乗せてもらいいざ転院。転院先に着き書類を色々記入するのだけど張り止めの点滴の副作用で手が震える。血液
2020年5月18日27wに入りました。破水してから3日が経ちました。今までの様に胎動を感じられない。エコーをみると元気に動いてるよ。と言われるが、あんなに毎日痛いくらいに動いていたのに全然感じられなくなる。そして、赤ちゃんの体重が全然増えません。5月9日→779グラム5月15日→937グラム5月16日破水5月18日→920グラムえ?減ってる??エコーだと多少の誤差はあるものの、一キロは突破してると思っていたのに(+_+)でも、1日でも長くお腹にいなきゃ!せめて後1週
コロナ後遺症・ワクチン後遺症の患者でお悩みの家族様へブログ良かったら見て頂いた方初めましてそしてX(Twitter)を通じて拙いブログをみていただいた方お世話になります。改めまして私は当時失業中2021年5月に職業訓練校に通っていて8月末に生徒の中から新型コロナウイルスの陽性者が出て(ベルタ株※当時該当)2週間ぐらい休校になり※その間にクラスター感染を受けた可能性が大気が付かずに一か月後新型コロナウイルスのワクチンを接種して後日体調不良になり近くの病院でPCR検査で数回検査を
本日もありがとうございます今度こそ本当に緊急搬送されました🚑痰が絡んでいるから胃ろうを中止して様子を見ると言われた2日後、緊急搬送すると電話がありました。熱はなく、血圧も異常なし、意識もあるのですが、酸素飽和度が80%台になった為です。施設で5ℓの酸素吸入しても上がらず、少し肺に雑音もあるとのことでした。胃ろうを造設した病院に搬送されることになり、私もすぐに向かいました診察室に通されると、母はベッドで目を開けていました。10ℓの酸素吸入をして、酸素飽和度は100%に回復
この記事のつづきです『あきはどうした?なぜ帰って来ないんだ?!』この記事のつづきです『発見!大きなおおきな脳腫瘍!!』この記事『「お母さんが倒れました」』「お母さんが倒れました」と、2023年6月9日娘のところに外線が入り…ameblo.jp翌朝早く娘は我が家に着くと(自転車で25分かかったそう)近所のモールで、当面の衣類や入院生活に必要なものを買いました。私の入院中は我が家で暮らすつもりで来てくれたのです。新婚さんの在宅ワーカー、大変な覚悟だったと思います。娘は猫を抱きかか
3/22(金曜日)妻とのLINE義母が昼ごはんを食べている最中に「お腹が痛い」と言って救急車を呼び、市民病院に緊急搬送されました妻がLINEを送ってきたのが16:30定時で帰って妻に状況を確認鎮痛剤か何かわからないけど、薬を飲んで痛みは引いたみたいで、命に別状はないみたいでとりあえず安心内科の担当医が休みで月曜日にならないと検査が受けられない(どんな市民病院だよ)と言われ金土日月の4日間の検査入院が確定本業の仕事に行けなくて給料下がる(傷病手当7割くらい?)し、アルバイトも入れないの
(長文です)ナチュラル志向になり周りから健康だと思われていた私が癌治療を受ける決断をしたのも何か意味があるのかもしれません。癌がわかった当初は、散歩・ヨガ・メタトロン・ボディトーク・よもぎ蒸し・免疫治療・インナーチャイルドとの会話など、毎日のように身体と向き合っていました。愛犬が18歳から19歳になり、介護中心の生活になり、旅立ちの日を迎えました。看取るとき、「おかあたん、もう好きな事していいよ」と言われた気がしました。私はその言葉を仕事の事だと思い、やりたかっ
あれから旅人は救急車に乗りました。検査の同意書って毎回ドキドキしますね。今日は入院にはならないよね…?朝からバタバタと現実離れした景色。日常って本当に奇跡だね。