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〇御三家の分家徳川御三家は徳川御家門として最も重要な存在であり、その血統存続は何よりも重要でした。そのため御三家では万が一、家で血筋が途絶えたり、あるいは御三家当主が将軍となった時のために血統スペアとしての分家が創設されました。水戸藩→高松藩尾張藩→高須藩紀州藩→伊予西条藩という具合です。西条陣屋はもともと寛永13年(1636)伊勢神戸より一柳直盛が西条へ国替えとなりましたが、赴任途中で死去。跡を継いだ直重が西条に先代が果たせなかった西条に入部して陣屋もこの段階で築かれました。一
紀州南高梅の中に紀州産真鯛のほぐし身が入ってます!みなさまに、めで鯛ことがありますように✨
征夷大将軍の徳川家は江戸に幕府を置いたが、親藩の徳川御三家の紀州家、尾張家、水戸家をそれぞれの地に創設したのか?疑問に思っていた。実は、紀伊の和歌山、尾張の名古屋、常陸の水戸あたりは、徳川家のルーツである東国の武士と気性と価値観が合わない人々が特に集中し、争いが多発する恐れがあったので、徳川家自ら支配せざるを得ない地であったと考えられる。その他、一向宗の本山の石山本願寺の砦であった豊臣秀吉の大坂城は幕府直轄にしたのであった。また、前田利家に加賀100万石と言う大藩を任せたのも、反幕府勢力に常