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佳子様の鴨場の写真がアップされないのは、愛子内親王が終わるのを待っているという噂は本当なんでしょうか。そりゃあ17日には大騒ぎでしょうね。「速報」愛子様鴨場接待でドカーンと来るはずですので。さて、「小説になろう」で連載中の「沈む皇室」をお読みいただいていますか?病気のせいで続きが遅れて申し訳ありません。今「華燭の典」でいよいよ栂宮と菜子ちゃんの結婚というところまで来ています。「なろう」で小説を書くという時、子供達からは「転生ものにしろ」「悪役令嬢一択!」「ラノベにして
今年は還暦という事で、非常に記念の年になったわけですが、考えてみると秋篠宮殿下は私の1歳下なので、還暦になるのは当たり前なわけですが、何だか信じられない気持ちですね。この年齢前後には健康上色々出てきますので気をつけて頂きたいと思います。本来なら、お孫さんが3人か4人いて皇位継承にも問題がなくて悠々自適な筆頭宮家の筈だったのに、こんなに人生が変わってしまうなんて・・・本当にわからないものですね。記者会見の内容で感じた事ですが。去年に比べるとトーンダウンしていることが挙げられます。もう
こんにちはジュエリーデザイナーの奥野貴子です今日秋篠宮家の紀子様・佳子様が香川県にある国立のハンセン病患者療養所に行かれたことをニュース番組で報じていましたお年を召した患者の皆様にしゃがまれて色々とお声掛けされていましたでも私がどうしても気になっちゃうのはお二人のパールのネックレスう~ん。。。テレビでは間に合わなかったのでPCで撮ったらやっぱり画質がね。。。公務で知事にお会いするとかいった場合は普通のサイズ(と言っても一般人よりやや大粒)
加冠の儀まず、秋篠宮両殿下が入場されましたね。紀子様の重厚なドレスの本当に美しいといったらないなと。優雅で上品で少女のように愛らしい妃殿下。私は皇后陛下のドレスにびっくりしましたよ。え?ツーピースで何で胸にひらひら?ああいうデザインが好きなのはわかるけど。これが未成年のお姿です。闕腋袍に空頂黒幘の冠をつけています。この装束の色がこのように鮮やかであったとは。夏装束だからなんでしょうね。山吹色なのかな。装束の☓は高倉流、着付けは山科流だそうです。「本日は成年式にあたり
秋篠宮家は、紀子様がお若い頃にお召しの物をお嬢様方に譲られています。紀子様から眞子さん、眞子さんから佳子様へ譲られたお召し物や、眞子さんから佳子様へと譲られた物もあります。今回は、佳子様が受け継がれた“お下がり”のお召し物について振り返ってみたいと思います。2016年11月30日の晩餐会でお召しの淡いオレンジ色のドレス、こちらも紀子様のおさがりです。以前、皇室ファンの方がブログで週末の皇室番組(テレビ)の過去の録画から撮影した物を貼っておりました。今はブログを見つけ
漸く帰国された愛子内親王。お疲れ様です。帰国する前にもバイオリンの演奏を聴いたり、在留邦人や、日本と関わりのあうラオス人に会うなど、最後に詰め込んだ感じ。初日がこの色だったらよかったのにね。ヤドンって言われるから嫌なのかしら?「この度、日本とラオスの外交関係樹立70周年に当たり、ラオス政府のお招きでラオスを公式訪問できましたことを大変嬉しく思います。トンルン国家主席、パーニー国家副主席及びソンサイ首相を始めとするラオス政府の方々に温かくお迎えいただき、晩餐会や午餐会を催していただくと
平民出身から皇室入り雅子様、美智子様、紀子様の比較背景と出自雅子様(現・皇后):1963年東京生まれ。外交官の父のもと、モスクワやニューヨークで育ち、ハーバード大学で経済学、東京大学で法学を学ぶ。外交官として活躍し、5か国語を操る。1993年、徳仁皇太子と結婚。美智子様(上皇后):1934年東京生まれ。聖心女子大学卒業後、1959年に平民出身として初の皇妃に。穏やかで親しみやすい人柄で、皇室に庶民の視点を導入。紀子様(秋篠宮妃):1966年静岡生まれ。学習院大学卒業後、1990年に秋
敬宮殿下のラオス訪問は、両国間の信頼強化と相互理解を深める成果を得られました。ひとえに、敬宮殿下のお人柄や勤勉さのおかげと言えそうです。いやいや、秋篠宮家の皆様方がそうではないと言っているのではないことだけは、お断りしておきます。今回の敬宮殿下のラオス訪問は、一部の皇族方にとって、かなりのインパクトが在ったのでは無いかと思われます。ラオス側の歓迎は、国家元首に次ぐものと、発表されていましたが、国家元首の場合、敬宮殿下の歓迎以上とはどのようなものか、興味が湧きました。さて、その様な、という