ブログ記事2,085件
こんにちは!ワイン飲みすぎて、知らない間に足にアザができているコクですハロウィンが終わると、ちらほら花のポピーの造花を身につけている人や、町の街灯にくくりつけられているのを見かけるようになりましたイギリスでは、昨日の11月11日は、リメンバランスデー(RemembranceDay)と呼び、第一次世界大戦の終戦記念日です。アーミスティスデー(ArmisticeDay)、休戦の日と呼ぶこともあります。その象徴が赤いポピー(ヒナゲシ)→アグネスチャンを思い浮かべるのは私だけ
ー踊り子にして高級娼婦、そして美しき女スパイ。マタ・ハリと言われた人物をご存知でしょうか?第一次世界大戦で、コードネーム〝間諜H21″と呼ばれた女スパイで、戦争中に処刑された女性です。マタ・ハリの容姿なのですが、とっっても美人!とくに目に力があり魅力的さらに背が高く、細身の身体。〝暁の目〟という名を持ち、恋と引き換えに情報を得る女スパイ。インドの寺院で習得した妖艶な舞踊で一世を風靡した美貌のダンサー。実はマタ・ハリはスパイとして殺されましたが、本当はスパイじゃなかった説もマタ・ハリ
皆様は、NHKで放送された(※現在も、新シリーズが放送中の)『映像の世紀』という番組を、ご存知だろうか。『映像の世紀』は、世界中から集められた、過去の実写映像を元に、世界の激動の時代を描いた、ドキュメンタリー番組の大傑作である。実は、この『映像の世紀』という番組から、物の考え方や価値観などに、私は物凄く大きな影響を受けている。大袈裟に言えば、人生を左右するほどのインパクトを、この番組から受けた。では、『映像の世紀』の、一体何がそんなに凄いのかについて、お話させて頂く事としたい。
こんにちは。男性の最後の明治生まれの人が亡くなったんですって。えー、そうなんですね。112歳ということで、1911年生だそうです。ていうことは第一次世界大戦より前。そして、現在最高齢の人は、110歳だそうです。!その人が生まれたとき、徳川最後の将軍が亡くなったんだんですって。なんかよくわかんない。では、わたしが生まれたときは、どうだったか。なんか、「アベノミクス」ていうのが、大きな出来事?みたい。それって、誰の感想なんでしょう。流行語は「いまでしょ」「じぇじぇじぇ」だって?
★本編・動画配信開始!<復刻版>竹内流!誇りのもてる日本史14平成28年9月24日竹内睦泰講演会明治時代・大正時代地政学から見る日清・日露・第一次世界大戦本編のご視聴のお申し込みは宇宙歴史自然研究機構<UCNO>→<復刻版>竹内流!誇りのもてる日本史14
「ジョニーは戦場へ行った」は1971年のアメリカ映画です。日本での公開は1973年、私はこの映画を渋谷の映画館でロードショウで見ました。東京で大学生生活を始めたばかりで、希望に満ちあふれた私の気分を、一気に絶望の奈落へ突き落とした映画でした。あまりにも衝撃的な映画だったので、今でもその記憶とともに、当時のパンフレットを保存しています。はじめに述べておきます。この映画には、1ミリも救いがありません。"JohnnyGotHisGun"isa1971Americanmo
改訳『魅せられたる魂』第5巻ロマン・ロラン作宮本正清訳昭和30年11月25日第1刷発行「永遠性は一瞬の中にある、一つの存在の中に宇宙があるように」(p.90)あーまた2ヶ月も間があいてしまった。言い訳をいうと大晦日も正月もずっと仕事をしていた。10巻まであるが、いつまでも終らないので、本の通販のページでも貼り付けて「続きはこちらをお読みください」にしちゃおうか。と思ったけど、岩波文庫版(私の持っている10巻本も、後に改訳された5巻本も)も河出書房の古い世界文
私は、このブログで「練習巡洋艦香取」の名を使用しています。この「香取」という名の艦艇は、帝国海軍における初代の戦艦「香取」(二代目よりもさらにジミな艦・戦艦初代「香取」)、二代目の練習巡洋艦「香取」(練習巡洋艦「香取」を偲んで)、そして戦後は海上自衛隊の練習艦「かとり」(譲っていただいた練習艦「かとり(TV-3501)」のプレート)の3代に渡って艦名として採用されてきました。「香取」の名は、千葉県香取市にある「香取神宮」から採られており、由緒のある船名ですね。「香取神宮」の拝殿(
こんにちは。「彼らは生きていた」を観ました。公式サイト…http://kareraha.com/ドキュメンタリー映画です。よかったです。貴重な映像の数々。今から110年くらい前の第一次世界大戦の兵士たちの日々。当時、撮影された動画を現代の技術でていねいに復活させた。戦場での日常は?食事、トイレ、休暇の過ごし方。14歳や17歳の少年たちも入隊していた。意外にも笑顔がたくさん見られる。こんなふうに彼らは生きていた。前
【サラエボ事件】第一次世界大戦が勃発するきっかけとなった「サラエボ事件」学校の教科書では、こんな感じで習った覚えがある。オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子夫妻が暗殺されたこの事件をきっかけに、推定で1000万人が戦死した凄惨な第一次世界大戦の端緒が切り開かれたって話。私がわざわざ「サラエボ事件」について書くには理由がある。実は、オーストリアの皇太子ですけど。とてもいい人なのだ。皇太子は「身分の高い貴族と結婚しなさい」と親(皇帝)から言われたが、自身が好きな女性と
ゴールデンウィーク中に「カブラの冬第一次世界大戦期のドイツの飢餓と民衆」(藤原辰史、人文書院)という本を読んだわたし(夫)は、食料自給について触発されました。ドイツは第一次大戦中(1915~1918年)に、76万人(当時の全人口の約1.1%)の餓死者を出しました。ドイツ政府の戦時食料政策のまずさと、イギリスの海上封鎖があいまって、悲惨な状況に陥ったようです。特に、飼料用のカブラばかり食べていた1916年から1917年にかけての冬が、「カブラの冬」と呼ばれています。カブラの冬―第一次
大正4年10月1日発行の青分銅と呼ばれた分銅葉書についての話題です。この青色の分銅葉書が発行される前は紫色の分銅葉書でしたが、第一次世界大戦でドイツから輸入していた紫色のインクが途絶したため刷色を青色に変えた青分銅葉書が発行された。京橋4.10.23初期使用縦目紙上の葉書は青分銅葉書の初期使用例ですが発行月内で綺麗な使用例なのでお気に入りの葉書です。それと初期の葉書は縦目紙に刷られている事も無視できません。残されている青分銅葉書の大部分は横目紙です。大正4年頃郵便の需要の