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大学卒業して20年以上。すでに福岡生活は人生の半分未満となり、もう随分前の話ですが、私は幼少期から小学五年までの約10年間を、北九州市八幡西区にある鉄竜という変わった名前の町で過ごしました。隣町は鉄王。いずれも新日鉄の社宅群に埋め尽くされた町でした。いまはもう社宅群はすべて取り壊され、当時の面影は消えつつあります。以下ではその鉄竜と当時よく出かけていた思い出の繁華街黒崎の過去から現在について記録しておこうと思います。長くなりますが、よろしければどうぞ。写真は国土地理院空撮データベースより
私は小学五年までの約10年間、北九州市八幡西区にある一風変わった鉄竜という町で過ごしました。当時鉄竜は62棟もの新日鉄社宅群で埋め尽くされた町でした。その分かりやすい名の町は、近隣の萩原小学校・穴生中学校と、それら新日鉄社宅群と共に誕生した新しい町です。明治から昭和にかけ、あちこちに似たような官舎・社宅が作られました。北九州が八幡製鉄/新日鉄と共に発展した時代です。そこで過ごした幼少期からの思い出と、穴生・鉄竜・黒崎の変遷について別の記事で振り返ってます。(よろしければコチラです↓)その過
【前書き】北九州市八幡西区にある鉄竜町と鉄王町。経済発展が目覚ましい昭和三十年代、北九州第二の繁華街だった黒崎から南西に3キロほど離れた田んぼが広がる広大な土地を、当時の八幡製鉄が買収。大規模社宅群(穴生社宅)を建設し、鉄を冠するちょっと変わった名前の新しい町がふたつ生まれたのでした。私は1歳になる前から小学5年までの約10年間を、鉄竜の社宅群の中で暮らしてました。今から四、五十年前のお話しです。※この記事は2020.8に書いたオリジナルを一部更新したものです。当時社宅群に住んでいた人な