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※義父は骨折して入院していたときに肺がんステージ4であることが分かりました。進行の速さから小細胞癌であると言われました。肺がんでもう先が長くないと分かったとき、医師からは「帰れるなら、早めに自宅に帰ったほうがいい」と言われました。ただ、私と家族は困惑しました。退院するとなったら私たちの生活もいっぺんするからです。骨折が完治していないので自宅でも完全に車椅子の生活。私は在宅で仕事しているとはいえ、義父に割ける時間もそう多くはない。なので、退院の検討していたとき
看取り日記より〜その日は16:09主治医から電話があり、胃液で誤嚥したり腸が破れて体内に便が漏れたりもうギリギリの状態で生きていると告げられる。熱は37度ほど翌朝まではもたないらしく直ぐに病院へ向かう。まだ暫くは居たかったが短時間で帰された。コロナ禍だから仕方ない。当直の看護師には、もしもの時は早めに連絡をしてもらうようにお願いした最後は、孫にも会えるようにお願いした。20:25分看護師から電話あり、血圧が測定できず、やっと取れたが、60しかないとのこと直
みなさま、本当に本当におひさしぶりですすごく久しぶりにブログ更新します皆様、更新していない間にも沢山の方に訪問していただきありがとうございますそしてフォロー外すことなく見守っていてくれた方々本当にありがとうございますみなさまいかがお過ごしでしょうか??私は今あの時の自分からは自分でも周りからも想像できなかった生活を送っています決して悲しみや不安が消えたわけでもないだけどあの悲しみを自分の糧に変えれていることは確か
義父が亡くなる2週間くらい前のこと。転倒してしまったことがありました。そのとき、旦那さんはとても驚いて、動揺して、バタバタと動き回っていたのですが、私はそんなときでもわりと落ち着いて対応できます。あわてふためいている旦那さんを見て義父は「まったく、男はダメだな」と言って、舌をペロッと出しいたずらっこみたいに笑ったんですよね。そのお茶目な笑顔がなんとも義父らしくてよく覚えています^^退院する前にむ、看護師さんに「心配なことはありませんか?」と聞かれていたけど
今朝、ヘルパーさんが来て、おむつ交換をしてくれたとき、尿が出ていませんでした。あー。このときがきたかー。と思いました。死期が近づくと、尿がでなくなると聞いていたので、いよいよかー、と思ったのです。そして、その後も何時間経っても尿がでないし、夜になると無呼吸の回数が増えてきたので、こんやは義父のそばで見守りたいなーと思っています。ヨメ
2023/5/15旦那さんの最期の日の是是朝、4時半に長女と寝ずの晩を交代長女もさすがに疲れたのか30分くらい寝てしまったらしいいいよ、パパもそれくらいきっと許してくれるがんばったね昨日からもう飲み物はあまり飲めないパピコは昨日4本食べたので今朝も食べるかと思ったけど1/4を食べるのがせいぜいだった氷も昨日まではガリガリ食べてたけど今朝は口から出してしまうその時が近づいているのだふと昨日と全然呼吸の仕方が違うのに気づく昨日までは鼻呼吸だったのが口を開けて大きく息
2023/5/21今日旦那さんの告別式が無事に終わりましたお通夜と告別式で思ったより会社関係の人が来てくれて泣いてる人がめちゃめちゃ多くてほんとに旦那さんは愛されてたんだなーとしみじみわたしの友だちも駆けつけてくれてこの年になるとほんとに持つべきものは甘えられる友だちもし友だちが困ってるときは今度はわたしが力になるからねねえ、パパママはがんばったよね?えらかったねっていっぱい褒めてよーいっぱい泣いちゃったけど今日はいいよねてかきっと明日も明後日も泣くけど
少しずつ食欲が低下している義父になにか食べてもらおうと思って、ホットケーキをつくりした♡「お昼ご飯、なににしようかなー」と考えていたとき、「そういえば、元気だった頃、孫たちと一緒になってホットケーキをむしゃむしゃ食べていたよなぁ」と思いだしました。そして、次女が以前、ケーキを作ったときの残りのホットケーキミックスがあるのを見つけて、超久しぶりにホットケーキを焼いてみたんですよね♡こどもが小さい頃はよく作っていたなぁなんて考えながら♡ホットケーキを食べた義父の反応
旦那さんが自宅で旅立ったことを皆さんに伝えるとお家で看取るなんてえらかったねと何人かの方からそれはうちの希望だったり旦那さんの容態だったり複合的なものが関係してるもちろん緩和ケア病棟のエントリーもしてたしケースバイケースで変わってた訪問看護の看護師さんや訪問診療の先生介護支援センターのNさんや手伝いに来てくれた友だちもちろん我が娘たち(少しだけ息子)色んな人に支えてもらって旦那さんの痛みのコントロールもある程度出来てたため成立した自宅での看取りでした緩和ケア病棟
母の最期から感じた事大和市中央林間エステ業界初の通い放題サブスクエステオーナーの笹川恵梨子です。実は先週は、実母が亡くなり、看取りから葬儀までの1週間でした。今日は母の最期から感じた事を書いていきたいと思います。決して、どの治療方法が良かったとか、こうすれば良かった、健康維持についてなどの意見を述べるような内容ではありません。人は様々な選択とそのプロセスで生きているので、そこについては触れたくはありません。もし同じように、家族や友人など大切な人が癌で苦しんでいて、自分には何が出来る
ときちゃんが旅立った後に医療用ベットや酸素の引き取りをなるべく早くにきてほしいとお願いしたベッドや酸素に思い入れがあるのは確かだけど、本来健康な時に必要なかったものたちときちゃんが眠った後は1日でも早く解放するべきたと思っていたベッド引き取りの日、業者の方と一緒に当時のケアマネも一緒に来た手を合わせたいからと言う理由で引き取り作業も終わったときケアマネがこう言った『無念やろうね』私はこの言葉に違和感を感じたそれは今でも感じているこのケアマネの発言には何度か心を抉られた
2022年4月16日(自宅での次男の様子)朝、起きて次男の様子を見ながら家の事をしていた。胸で呼吸をしているのを確認していたらいつもと、少し呼吸が違う?胸の動きが小さくなってきた?9時頃からベッドサイドで様子を見る呼吸が弱い?大きく息してる方がまだ良くて、小さくなってくる方がダメだと訪問医の先生が言ってたのを思い出す。三男は部活へ行っていて家に居なかったあわてて長男と四男を2階で寝てるのを起こしに行く「次男・・大丈夫・・?」と聞くけど虚ろ。意識ももうろうとしてきる?
旦那さんはドライブというか車の運転が好きな人だった付き合う前からわたしを何回も家まで送ってくれた会社を辞めようと思って実家に帰ったわたしを迎えに来てくれたわたしの住んでるアパートの近くの駐車場を借りて4年間毎日うちに来ていた通い同棲というのかなわたしは旦那さんの助手席に一生座れると思ってた去年、転居にともない車を小さい軽に替えた2人で乗るにはちょうどいいね中古だけど大切に乗れば10年は乗れるよねそう言って笑ってたはず半年しか乗れなかったうちには免許持ってる人
義父、4月8日10時30分に亡くなりました。穏やかなさいごでした。亡くなるまでの過程を事前学習していたので、落ち着いて看取ることができてよかったです。とくにドクタートッシュ先生の動画は旦那さんも一緒に見ていたので呼吸の変化などにも慌てずに対応できました。落ち着いて看取りができたのは先生のおかけです。↓↓↓ドクタートッシュ緩和ケアの本流心療内科医のドクタートッシュ(四宮敏章)と申します。当ユーチューブチャンネル「緩和ケアの本流」では、がん対策やがん治療、寿命や命の大
最後は勝利。父の大好きな日刊スポーツは毎朝3時に届けてもらえます、早い!「最後は勝利」昨夜。私も妹も今夜は泊まろうかなんてなんとなく仕事を休ませてもらったんです。父はやっぱりすごい、妹の到着を待ってくれましたから。悔いなく見送ることができました。というわけで「最後は勝利」おつかれちゃん。あたたかい応援ありがとうございました🥃愛と光を送ります、届きますように。
昨日の義父は朝からよく笑っていました。いい顔をしてました。深い眠りから覚め、すこしだけ話もできました。きてくれた来客の人の問いかけにもうん、とうなずたいたり、笑顔を見せてくれたりしました。ただ、夜は、なんども痛そうな顔をしていました。レスキューとして処方してもらっているナルラピド錠を1時間おきに二錠飲ませました。すると、その後は落ち着いてぐっすり眠りにつきました。ーーーーーー痛がっていたときにすこしだけ、痙攣のような動きを見せたので旦那さんはとても驚いてい
初めましての皆様、こんにちはアメンバー申請ありがとうございます大分前にさかのぼらなきゃかもしれないですが申請についてのお願い事がありますので申請したのに許可されてない方はお願いごとをお読みになってから再度、申請いただけると許可させていただきますので宜しくお願いします自分自身、宣告の時から沢山の経験談が知りたくて沢山いろんな記事を読んだり検索したりしました多くの、いやほとんどの言葉が初めて聞く専門用語ばかり記事を読んでも用語を検索したり
今日はとても共感できる大好きな友人のブログについて共有したいと思います♡彼女は看護師という立場ですが施設で働いているため仕事の話を聞くと共感できることがたくさんあります。そして立場は違えど利用者や家族に対する想いは一緒なんだなぁと感じています今回も彼女のブログを読み『看取り』について考える機会となりました。大好きな祖母が他界したこともあり、いつかは『看取り』について書きたいと思っていました。人は誰でも必ず最期を迎えます。
今日は義父の初七日です。亡くなってからもう7日も経つなんて早すぎるまたゆっくり振り返り記事を書きたいと思いますが、葬儀のことや相続関係。弔問客の方の対応など、この7日間やることが目白押しでした☺️それでも亡くなる前から少しずつ準備はできていたので、いくぶん気持ちの余裕はあると思います🌷親を看取り、相続をするというのはやはり大変なことですね。これからは遺品整理などもありますがそちらはぼちぼちやっていきたいと思いますまずは通夜と告別式で気持ちよく送りだせ
棺の奥には今朝まで使ってた介護ベッド。今日の10時までここで、たしかに息をしていたんでした。病気は難くないしだれも悪くないしただ義父は肉体を離れていっただけ。生命が終わるさまをありありと見せてくれた義父。偉大です。でも。急すぎる訃報に、友達や親戚のみならず近所の人たちもショックを受けていました。私たちは日に日に変わる様子を見てきたけど、元気な義父しか知らない人たちはショックすぎて言葉をなくしています。みんなから頼りにされ愛されていた義父。やっぱり、
年明け時点では、2度と起き上がるのは無理だろうと思われたババ様ところが超人的な体力で見事に復活を遂げ今では、それなりに落ち着いた毎日を送ってくれています。確か看取り介護だったよね?って感じです。実は、そんなババ様には3月に通院の予定があったのですでも、通院で体調崩されたら...私、絶対後悔する!そう思って、私の都合が悪い事にして病院にキャンセルのお願いをしたんです。ところが、ペースメーカーの点検がどうしても必要だからと(前回点検から10ヶ月経ってるから仕方ないか)4月に予約をムリ
今日は2回目の訪問診療でした。だけど、その前に急遽訪問看護の方が来てくれてオムツ交換だけしてくださりました。飲み込む力が弱っているので、飲み薬じゃなくて貼り薬の痛み止めを処方して下さりました。点滴をどうして行くかなどを相談。最後に玄関の外まで見送って、実際のところあとどれぐらいなんでしょう?と聞いたら、短い日数を言われました。会いたい人は早く呼んであげてねってこのまま家での看取りの方針を確認しました。いろいろどうすべきなのかアドバイスも頂けました。今週から介護休職にしたというの
めるちゃんの為のカンファレンスのこと本当は、書かなくてもいいのかもしれない。でも、日記として残しておきたいから書く。本来めるちゃんの在宅に向けてのカンファレンスだったけど前日に緊急入院してしまったので今後どうするかのカンファレンスになった!「お母さんとの大切な時間を二人で」「次はもうない。お母さん覚悟を」「看取りとなるとヘルパーは怖くてやれないから、看護師に任せます」「移動はめるちゃんしんどいから後一回。だから、在宅か、施設で看取るかのどちらかで」この人たち何話してるんだろう
その人は新聞記者のOさんという方だった野球少年達を取材していた中で息子がときちゃんの話をポッと口にしたらしくその時、息子を取材する事に決めたとそして、ときちゃんの話をもう少し詳しく聞きたいとの事だったまさか、こんな形でときちゃんの話をするとは思ってもいなかったが嬉しかったブログでも沢山の方にときちゃんの存在を知ってもらっているそして、更には高校野球関係の取材までいないのにいる存在感が半端ないそんな不思議な感覚言葉で何と言えばいいのか分からない観戦の合間に少し話して取材
陽気に流れるときちゃんの大好きなボブマーリーの音楽悲しさを煽るあのしんみりした音楽とはまるで真逆沢山のお花に囲まれたときちゃん最後に触れたほっぺも、唇も、足の裏も柔らかいままだったあれ?もしかしたら生きてたんちゃうん??浮腫みが無くなり、水分がなくなっているからなのかしわ、たるみが無くなり昔のときちゃんがいた感じ人は眠ると若返りきれいな頃に戻るのかなとにかく綺麗だった式に来てくれた方が「ときちゃんって
・2月27日(月曜)明日からVAC9クール目のための前日入院。スーツケースコロコロして1人での電車移動にもすっかり慣れ、病室でも手際良く荷物を片付けバジャマに着換え、あっという間にやる事が終わってしまい、すっかり入院慣れしてしまった😅全く嬉しいコトではないが…母は明日の朝の子供達の朝食の支度をするからそれが終わってから明日帰ることにしてくれ、夕方には義理姉が来てくれるから、みんなの協力に本当に感謝だ❤前向きな人のブログに、「運を引き寄せるには明るい言葉を常に自分で言っている人だ」
続き看護師さんが帰ったあと旦那さんが子どもたちと観ようと録りためてたビデオをみんなで観る水曜日のダウンタウンアメトーークイッテQドレミファドン!長女とはあまり話さなかったけど笑いのツボは一緒で元気なときはよく同じとこで笑ってたね子どもたちが旦那さんの手を代わる代わる握るパパが手を握り返してくれたパパまだ耳は聞こえてるよちゃんとわかってるからいっぱい話しかけようよ昨日はほとんど目を開けなかったけど今日は目をつぶりそうになるとカッと目を開け旦那さんは5時間
その後、たまに今日も取材の人来てたとちょこちょこ話を聞くようになった高校三年生の野球児毎日全力で練習をするときちゃんの体調が変化する時も変わらず早朝から夜まで練習に明け暮れていたときちゃんが自宅治療になった時には息子は帰宅したらすぐにシャワーを浴びときちゃんの側へいき1日の報告をした日に日に、眠る日が多くなっていった時も変わらずに毎日、毎日話しかけた『ここをこうしてあげるといいねんで』『ときちゃん気持ちいい?』『ここをほぐしてあげないと、固まっちゃうから』そういいなが
みなさま、いつまで茶碗割りの所で話し止めるねんって思ってましたか??お久しぶりですそしていつものことながら更新せずにごめんなさい周りからも『ブログ辞めたん?』と言われながら『辞めてない!』と返事しつつやっと戻ってきましたそんなこんなの間に1人で家から出れなかったあの時を経てまさかの、まさかのバス・電車・そして飛行機までも克服しました私のやり方が過ごし方が他の方の参考になるかは分かりませんがぼちぼち書きますねそして8月やし皆様にカッコつけて挨拶しようと思ったんですがおもいつかずググり
息子の高校は2回戦予選で敗退し同時に息子の野球生活も終えた先輩が引退するとき涙を流していた息子自分の引退の時も、涙を流すんだろうなと思っていたら、びっくりするぐらいすがすがしい顔をしていた←こんなんwwまさに、やり切った完全燃焼したようだったO記者も最後まで息子の野球生活を見送ってくださった親心としてはいつ記事が見れるのか楽しみだった息子の、記事を出す日が決まったと連絡が来た49日の前にりあんの夢に出てきたときちゃんり