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この年の78期生は前年に続き人材豊かな学年だった。月組トップ瀬奈じゅん、宙組トップ貴城けい、貴城の次の次の宙組トップ大空祐飛。娘役では月組から専科を経て星組でも娘役トップを務めた檀れいがいた。男役には夢輝のあ、音羽椋、眉月凰などが、娘役には千紘れいかや羽純るいがいた。この年は1~2月月組「珈琲カルナバル/夢・フレグランス」で始まった。「夢」はロマンチックレヴュー第7作目。2~3月花組「白扇歌集/スパルタカス」は、安寿ミラ・森奈みはるの新トップコンビの大劇場披露公演。森奈は同時期に娘役ト
この年が初舞台となった82期生は、94年の音楽学校入学試験時の競争率が42倍となって、史上最高倍率の競争を勝ち抜いた学年となった。音楽学校に主席入学した蘭寿とむはそのまま主席で入団して花組のトップとなり、その蘭寿の二番手を務めた壮一帆も苦労の末に雪組のトップとなった。紺野まひるは雪組娘役トップとなったが、相手役絵麻緒ゆうのワン切に巻き込まれた形で1作のみとなった。男役では月組三番手で退団後現在はバラエティで活躍している遼河はるひ、星組別格二番手だった涼紫央、t.a.p(タカラヅカ・エンジェル・
紫苑ゆうは初めて歌劇誌上で初舞台生の顔写真を見た中からの初めてトップスター、つまり初めて初舞台からトップになるまでのその成長の過程を確認できた生徒だった。実は当時初舞台生の顔写真のみを見て将来スターになりそうな生徒を探してはマークしていて、紫苑らの64期生で一番気になったのは娘役の北いずみだったが、男役では郷真由加や柊和希(幸和希)の方が有望かなと思っていた。先に説明した「ザ・タカラヅカ」の後枠は、宝塚テレビロマンと言ってバウホールでTV用に収録して放送するという番組だった。その第
麻路さきは初舞台後、同期の久世星佳や若央りさと共に月組に配属された。多分月組での最後の公演の1986年(S61年)「哀愁」だったと思うのだが、新人公演で中心となったダンスシーンの最後を見事に決めて、絶賛を取ったことがあったことを覚えている。1986年研4で星組に組替えとなった後、峰時代の後半から日向時代の新公のほとんどで主演を務めることとなった。前述の通り紫苑ゆう負傷休演の際の大劇場公演と全国公演の代役を務め、1994年に紫苑退団を受けてトップ就任となったものの、年が明けた1995年1
台風7号が迫り来る中、元タカラジェンヌの同期、麻路さきさん(マリコさん)、出雲綾さん、ちあきしんさん3人のトーク&ライブ「おしゃべりな星たち」に、はるばる兵庫県の宝塚ホテルまで行ってきました。最初は、‶第一ホテル両国開業20周年記念”として企画されたのですが、コロナの影響で再三中止になり、3年越しに、やっと開催の運びとなったもの。時がたってしまったということで、開催の名目が変わり、‶同期3人の芸能活動40周年を記念して”ということに。▲左から、ちあきしん、