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こんばんは〜実家の断捨離を企むメイでございまーす私自身も当然やらなくてはいけません昨年の夏から取り掛かっていたのですが、抗がん剤が幸い効いてくれたので、今ちょっとストップしています✋ただ、実家に引っ越して来る時に一度かなり処分してるので、その点ではマシです。気になるのは両親のほうです。この家に住んで50年近く、長く住んだぶんだけの色々な物が目につきます👀たぶん外から入ってきた立場の私だからこそ不要な物に気づくのかもしれません。そこでずっと変わらず暮らしていると、目に映る全ての物は
退院日早朝からフェジン点滴朝食は全粥食434㎉1週間分の痛み止め(タペンタ、ボルタレン、)と貧血治療のクエン酸第一鉄Na錠を受け取り退院入院時は担当看護師が丁寧に対応してくれた(説明や様々な処置)ので不安を感じなくて済んだ夫によると入院中は数回行き違いがあったとの事退院時は時間になると身の回りを片付けてひっそりと病室を去るだけ(クレジットカードを事前に登録済なので精算の手間無し)お世話になりましたと挨拶するもお大事に等の言葉は無かった人手不足だからなの
こんにちは〜ずーーーーーーと体調が不安定で皆様のブログにも行けずごめんなさいそそ❗遅くなったけどキム・ウビン氏6年ぶりのドラマ復帰おめでとうございます上咽頭癌になり治療して5年間、再発も転移も無く予想だけど↑癌患者待望の5年5年間何事もなく過ぎると癌患者ではなくなるんだよねおめでとうの気持ちと羨ましいな…そんな心の狭いマムがいて最新の1回80万する抗がん剤も効かない部分が出てしまいこの治療は一度でも効かない所があると試合しゅ〜りょ〜(´°̥̥̥̥̥̥̥̥
おはようございます、さくらです🌸先日、職場へ挨拶に行った時のブログをアメトピに掲載していただいたお陰で、沢山の方の目にとまりました『職場に挨拶』こんにちは、さくらです🌸昨日、抗がん剤後のCT結果も良好だったので病院の帰りに職場に寄ってきました実は抗がん剤が始まってから初めてと言っていいほどお化粧をし…ameblo.jp現在、何らかの体の不安や、お身内の方のお体の心配事や、はたまたそうでない方も、お立ち寄りいただきありがとうございます子宮体がんステージ4の私が、みなさんに何を伝えられ
20代前半の頃、私には【結婚相手の条件】っていうのがありました相手の理想ですね夢を見ていたんでしょうねわたくしごときが厚かましくてすみませんちなみに、あの頃の理想はこんな感じ↓↓↓*背が高くて*年収も高くて*優しくて*いい車に乗ってて・・・あれ??あの頃は確か、10ヶ条位あったはずなのに思い出せません。。。きっと、しょ〜もないくだらない理想だったんでしょうね20代半ばから後半になり、段々理想の条件は変わりました。私は28歳で結婚したんですが、この頃の私の結婚相手の条件は
こんにちは、さくらです🌸昨日の記事にアドバイスや優しいお言葉をありがとうございましたアメトピにも掲載していただいた様で沢山の方に見ていただきコレもまたありがとうございます『会社の担当者から電話がありました』こんにちは、さくらです🌸癌になって5月から休職中です。扶養の関係で、週に2〜3回しか働けないパートなのにクビでは無く休職扱いにしてもらえて、本当に有難い事だ…ameblo.jpこういう記事が偉い人の目にとまり、今後の癌患者の就労支援がどんどん広がっていくといいなと思います。私は主治
僕が色々悩み考え抜いた末に行き着いた持論です🙋ネットや本などの情報を片っ端から読んでいくと、こっちではこれを推奨するがこちらでは同じものなのにダメ!等、「じゃぁどうすりゃいいの?」的な壁に必ずぶち当たる。また、ダメな食べ物だけ抜粋すると、今度は「結局何を食べたらいいの?そんなにダメダメばかりなら何も食べられないじゃん!!」っとなる(笑)・・・全くも頭がこんがらがって、こんなんじゃぁ埒が明かないよね・・・そこで僕は、これら沢山の情報の最大公約数(全てに共通する情
今回は「癌」でお世話になってる先生の事じゃなく、「心臓」でお世話になってる先生の事。定期的に循環器内科に通院するようになって2年目になる循環器のドクターは診察の度、パソコンの画面から目をそらす事はなく淡々と患者をさばくといった感じ。年のころは40代前半といった感じかまさしくあの有名なドラマの医師「白い巨塔」の財前五郎を彷彿とさせる。院内外の評判では「あんまり笑わない」「手術の腕はピカイチ」「受け持ちの入院患者をあまり見に行かない」「学会出席の為お休みですが多々あ
世の中のあらゆる出来事に共通するのが当事者か否かの立場の違い癌患者と側で寄り添う者にも同じことが言えるどんなに想像を尽くしても越えられない隔たりがあると思う経験した者にしかわからない様々な思いがあると思う揺れる心や癌の痛みの辛さ、様々な不安や苦痛どれをとっても想像でしかない頑張れというのは酷な気がしてならない夫の本心を理解できているのかすら自信が持てない辛い立場に居る人に寄り添うのは簡単ではない
日本だけ癌患者が増え続けているというおかしな国なのです、なぜですか?まだ病院を信じますか?そして細川博司もニセモノである。そろそろ気づいてほしい。以前とは全くの別人である。言動が素晴らしくてもあちら側の工作員もいるのです。…pic.twitter.com/L4EYhVISPF—5D美容アンチエイジング遠隔氣功師まさワークス(@masaworks4u)February16,2024スイスは乳がん検診廃止【家庭医が教える病気のはなし】(76)過剰診断にご用心!スイスは乳がん
こんにちは、さくらです🌸私は現在休職中です。パートなのに休職だなんて、とても理解ある職場です。私は天職だと思っている位大好きな仕事です。『天職に戻りたい』癌になるまで私は【天職】だと思える仕事をしていました。この土地に旦那さんの転勤で引っ越してきて、たまたま運良くすぐに見つかったパートのお仕事でした。週に2〜3…ameblo.jpそんな大好きな職場の同僚に節目節目でグループLINEに近況報告をしていましたが、みんなの既読は付けどもガン無視されていました『同僚全員からの既読スルー』こ
2019年1月に子宮体癌の手術を受けました。自覚症状からは1年半以上経っていました。皆さんが早めに対応できるヒントになればと思い、自覚症状から手術前までの症状を記しておきたいと思います。最初の自覚症状は2017年5月頃、不正出血。10年も前に、子宮頸がんで亡くなった親友から同じ症状を聞いていたので青ざめました。「私も同じ病気かもしれない」と。当時は父が終末期で自宅介護から緩和ケア病棟に入院するという時期でした。父との残された時間が迫っており、「私のことどころではない」というのもありました
癌治療まだやるの、ヤバイですよ、調べてね、父は解剖学者でしたが、癌患者は抗がん剤で殺されていると何十年も前から言ってました。だから余命宣告をするんだよ!ってね。父は解剖学者でしたが、癌患者は抗がん剤で殺されている❗と何十年も前から言ってました。だから余命宣告をするんだよ!ってね。😂https://t.co/9Pv8DiTiP9—愛野めぐみ(@T5v7T8YXkD15gL3)April22,2024
2019年1月に子宮体癌の手術を受けました。自覚症状からは1年半以上経っていました。皆さんが早めに対応できるヒントになればと思い、自覚症状から手術前までの症状を記しておきたいと思います。<自覚症状から入院までの症状その1>からのつづきです。2018年3月、クリニックで「子宮体癌の疑い」と診断され、大きな病院に行きました。再度検査です。結果は誰か家族と一緒に聞きに来てほしい、と言われました。不正出血の自覚症状があってから10ヶ月経っていました。ここでもう私としては覚悟ができました。父を
スマホと癌の関係スマホの影響と言うとやはり電磁波である以前にも書かせていただいたが、明らかに電磁波の影響を受けている環境では癌患者が多いことたくさん経験していたのだ以前にも小児癌の患者が見え、絶えず、ゲーム機を金属チェーンで首にかけていた私はご家族に、このゲーム機の影響の可能性が高い旨お話しすると、直ぐにお子様からゲーム機を取り上げているのを覚えているその時は知人の女医さんに食事療法を依頼したまたま人参が好きで意外に簡単に癌が消えたようだ実は
こんばんは、さくらです🌸最後の抗がん剤から40日目です旦那さんと息子くんに『お母さん、オーラが出てる』と言われましたよ〜く見てみると産毛みたいのが出てるこれがオーラの様に見えたんですね不思議な事に、10円玉位の大きさの一部分だけ黒い毛が密集して濃く生えています10円ハゲの逆バージョンですそこだけジョリジョリしてて面白いです先日、採血室に入ったら看護師さんから『さくらさん治療順調ですか?』って聞かれました。『ん???』と思ったら『実は私、さくらさんと同じ歳なんです!
5月に直腸の癌を取る手術をしてから3ヶ月が経ちました。今日はお通じの術前とその後の話になります備忘録として残しておきたいので、苦手な方は今回はスルーでお願いします*****1年前の子宮全摘手術をする前まで、私は超快便でしたよく本や大腸の冊子などにある【良いう◯ち】の例に出る様な1本で長い、形が良く、色も良い便でした便秘は妊娠中位しか経験はありません。ず〜〜〜っと快便です。毎日快便。しかも、出るのも速い!おしっこに行きたくてトイレに行くと、自然と勝手に出る感じだから、大きい方
今日はポカポカ東京さ良いお天気でしたねん私事ではありますがお陰様で新しい職場が決まりまして月曜日から再スタートですいろいろDMなどで仕事の情報を下さった方ありがとうございました嬉しかったです今回の職場は家から随分と近くなりました家を出る時間は今までより1時間近く遅くなりますまぁ、なんだかんだで良い環境に納まったかもしれません(収入は減りますけども)が仕事内容はやってみないとわかりまてん先日、やっと倉敷にも帰れました胃ろう交換の付き添いという形で
なぜ?偽癌が多いのか?一般的には日本では癌患者の半分以上が偽物の癌だと言われている確かに癌患者は医者(医療界)においてはかなりの高収入になるだろうそれだけの理由なのだろうか?現実問題として、実際に一般的癌治療をしていると癌治療をした人の生存率する3年で癌患者の未治療の人の生存率は12年も長生きなのであったと言うことは癌治療しない方が長生きと言うことになるこれが表に出てしまうと国民が一般的に癌治療を受けないことになってしまうそこで、健康な人を癌
令和1年8月14日S病院は公立の総合病院なのでお盆期間でも普通にやっているようだ。正式に癌患者となった僕は、お盆の長期休暇があっても何もする気になれないし、大人しく病院に通うのがお似合いだろう(笑)ただしかし、何も自覚症状がなくすこぶる元気なのに病院に行くっていうのは、今でもいささか理不尽さを感じる。そして自分自身癌患者という純然たる事実が、改めて非常に悲しい。今回もカミさんに同行してもらい、いつもの通り暫く待たされた後、診察室に通され先日のMRIと骨シンチの検査結
胸水貯留・・胸膜腔には健康人でもわずかな胸水が存在していて、呼吸をする際に肺と胸壁との間の抵抗を減らす「潤滑油」として働いています。胸水は、壁側胸膜から産生され臓側胸膜から吸収されていますが、吸収が減少したり産生が増加したりした場合には、胸水貯留(胸に水がたまった状態)になります。この「胸膜」が癌が原因で炎症を起こしており、本来の機能を果たせない為に、胸水が肺にどんどん溜まっていっている状態が続いています(-_-)※画像左側の白い部分です。息苦しい・・生まれて初めての感覚です。咳も出ます
夜、お母さんのこと考えてたら、スマホが鳴った。お母さんから電話だ!!!すぐに出た。昨日は意識朦朧としてほとんど寝てたから、もう二度と電話なんてできないと思ってたからめちゃくちゃびっくりしたけどめちゃくちゃ嬉しかった。「もしもし?」お母さんの元気そうな声。泣きそう。「お母さんどうしたの?電話できたの?!」看護師さんが電話代わり、「お母様が電話をかけようとしていたのでわたしが代わりにかけさせていただきました。」と。この時の看護師さんにわたしは一生感謝したい。ほんっとうに
昔の日記を読んでいたら子宮体がんの前兆が書いてありました。2018年1月(3年半前)2ヶ月以上生理が来ない。産婦人科に行き強制的に薬で生理が来るようにする。その際子宮体がん検査をするも陰性。今思い返せば、この時には検査には引っ掛からなくとも子宮体がんはあったのかもしれないですね。それからは定期的に産婦人科に通っていました。生理の度に大量の出血がありレバー状の物も沢山出ていましたが、結局子宮全摘までも、その後の病理検査でも子宮体がんは何度も否定され続けました。そして1年も経たずに
おはようございます、さくらです🌸日曜日に癌封じのお参りに行ってきました。癌が分かった時に【行田八幡宮】へ御祈祷をお願いしましたが、今回は新橋にある【烏森神社】に行ってきました。行田八幡宮に行った時の記事はこちら↓↓『ガン封じ』クリニックでのガン告知を受けた後、ガン封じの御祈祷が出来る所を探しました。見つけた所は、埼玉県行田市にある【行田八幡神社】こちらは封じの神様でガン封じも有名と…ameblo.jp行田八幡宮へ行った時は癌告知の直後で、まだステージなども分からない時でした。『初期
本来検診は必要なし日本の健診制度は全く無意味確かに病気の早期発見は重要かも知れないしかしながら、本来は病気を見つけるのでは無く病気の原因を見つけることの方が重要であるし実はもっと簡単で確実でもあった例えば、癌になる人は独特の特徴があり、間質液(体液)のミネラルバランスで直ぐにわかったこれ等を着実に各国で国が推奨しているので日本以外の国では癌患者が減少しているのであるもちろん癌だけではない!色々な病気の原因が解明されていたのであった
今日は私の実母の話を少しさせてください。今日は母の誕生日だ。現在、母は独り暮らしをしている。要介護1で、時折施設にショートスティに行ったりデイサービスを利用しながらも、なんとか自立して生活している。父は3年前に膵臓がんで他界した。私の両親はとても仲の良い夫婦だった。父は真面目に働き、母は連日連夜、家族の為に食事を作り続けた。家の庭にはいつも母の手入れする季節の花が咲いていた。私達姉妹が子供の頃は休日は家族で出かけるのが恒例だった。お互いいたわりあう両親を子供ながらに誇らしく思ってい
始めたばかりの拙いブログに「いいね」やコメント本当にありがとうございます🙇夫が癌だとわかってから私までが「この世の終わりだ」くらいに絶望していました。最初は現実が受け止められず、誰とも話す気にならず病気の事をネットで検索ばかりしてました。😢少し落ち着きを取り戻した頃に、親しい友人、一部の親戚等には「夫が癌」と伝えました。皆が一様にビックリして「大丈夫?」「支える側もしんどいやんな。身体大事にしてなあ」と励ましてくれた。一緒に泣いてくれた友人もいた。心配してくれてるのが伝わってきて、あ
この前からどうしょうもなく食べたい物があるんです少し前の📺ボンビーガールでナポリピッツァのお店を開業したいって若者が出ていました。それを見ていたらナポリピッツァが無性に食べたくなってしまいました私、本場イタリアで食べる程ナポリピッツァが大好きなんですでもテレビの放送時は丁度抗がん剤の副作用が酷くて、まだまだ好きな物を食べれる体調ではありませんでしたでも、今日ようやく皮膚科と口腔外科の通院の帰りに食べに行く事が出来ましたきっと今、1番免疫力が落ちている時だし、コロナも怖いのでテイクアウ
父の最初の癌治療から15年経ったある日、父は「なんか腕が痛いんだよね。なんだろう?40肩、50肩みたいな感じかな?」と言いました。当時父は75歳。“70肩ってあるの?”と思いつつ、ずっと治らないようなので、母と「一度診てもらったら?」と勧めました。最初は近所の内科クリニックで相談。血液検査などをしました。尿酸値が高いとかで痛風なのでは?と薬を処方してもらい飲んでいました。なかなか改善せず、症状を訴え始めてから2か月後に整形外科経由で大きな病院へ。即、検査のため入院となりました。様々な検査