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産院にいた時から毎日育児日記をつけているのでそれを見て思い出しながらの記録。2015年9月18日52cm3244g大きな男の子が生まれました。虹翔のお誕生日。妊娠中に貧血や張り止めの薬は飲んだけど、虹翔の成長発達には何の問題もなく、予定日より遅れたために促進剤を使っての出産だった。安産だった。私も主人も、我が子がまさか病気を持って産まれてくるなんて、頭の隅にもなかった。そんなことこれっぽっちも考えていなかった。産まれた日から虹翔の身体を一番心配していたのは私のお母さんだった。実は
アラフィフのらぶきょんです🤗YouTubeではえみモンです😊🇰🇷韓国人ゴリラ夫🦍との日韓中年夫婦の日常を動画配信してます🍀YouTubeチャンネルほがらかな日本人妻えみモンKoreaTVアンニョンハセヨ안녕하세요タイトルの通り7月31日から韓国生活7年目に突入しましたあっという間の6年間でしたさぁ、これからもっともっと韓国語を勉強して韓国生活をより良くするぞと意気込んでる矢先に夫が突然癌と診断されましたそのことに関して金曜日にアップした動画で
今日は骨髄の検査の日。採血と血液培養も採った。鎮静をかけたから、戻って来た時には酸素と抑制帯。寝ている時にやったって、すごく痛かったよね、よく頑張ったね。昨日造影はできなかったけど普通のMRIは一応できて、先生から、画像上膿とかは見えないけど、腸とお臍らへんが浮腫んでいる。免疫が低いと膿ができなくて浮腫んでいるだけの場合もあるって言われた。外科の先生にも、感染でこんな所見があるかどうかを相談してくれていた。虹翔は入院した時からたくさんの先生に診てもらえて、たくさんの先生に考えてもらえて、話し
家に帰ってからもやっぱり顔の発疹がよくならない。ずっとステロイドも塗っているのに、心配。本当に脂漏性湿疹なの?とまだ疑いの気持ちがあった。今まで皮膚科に行ってたけど、今度は小児科に行ってみようと思った。家に帰ってきて5日目。午前に助産師さんの訪問があって、午後からは小児科へ。初めて行くし、パパにも休みをとってもらって3人で行った。結構混んでて、待ちながらミルクをあげたりオムツを替えたり。待ってる間に熱を測ったら、39度え?もう一度測り直した。変わらない、39度。退院した頃は毎日測って
こども病院でひどい乳児湿疹に間違いないと言われ、それなら皮膚科で診てもらったほうがいいだろうと、2日後に地元の皮膚科へ行った。まだ少しだけ疑いの気持ちがあったから、念のためにここでも虹翔のこれまでの写真を見せて経過を説明して、色素失調症の可能性はないか聞いてみた。そしたら先生は、私を小馬鹿にしたように笑って、色素失調症を否定した。本を出して私の前で開いて、色素失調症ってこういうことを言うの、だから全然違うでしょ?お母さん。って。お母さんの考えすぎで、そもそも男の子にはならない。症状も全然違
夜は点滴刺入部の確認で服を脱がされてライトを当てられて、寝ているところを起こされる虹翔は毎回号泣。私もなかなか寝付けず、今日は眠い眠いばっかり言っていた。今日は日曜日でお母さんがまた来てくれた。クリスマスの時期だから、音が出て光る小さなクリスマスツリーを買って来てくれた。虹翔はそれをよく見て遊んでいた。それから、ずっと使うことのなかったベビーカーとエルゴをパパにもって来てもらった。狭い部屋の中だけれど、動くことはできるから、点滴やモニターをつけながら、部屋の中をぐるぐる散歩した。いつもと違
2022.10/29タシグナ休薬12日目今日は、親友再び。⬇︎前回『未来のことを考えてみる』2022.9/23タシグナ35日目(通常量開始21日目)久しぶりに親友と遊んだ🌸「治療ばっかじゃなくて、たまには気分転換しないとダメだよ!会おう会おう!」っ…ameblo.jpちょっと真面目な相談をした。完治しない白血病なんかになっちゃって、うまくいけば将来抗がん剤をやめられるかもしれないけど、現実とは程遠い。これから先、病気を引け目に感じて親密な人付き合いはきっと尻込みするようになる…。
マイナスな感情が次から次へと溢れ出て来たけれど、絶対に大丈夫、そう信じながら寝て、朝が来た。今朝は5人も先生が来てくれた。明日心臓のエコーと腹部のエコーをやることになった。心臓のエコーはしっかりと見たいから鎮静をかけることに。初めての鎮静はちょっと不安だった。今はどんな些細なことも不安に感じてしまう自分がいた。それから、県外にいる先生と連絡を取ってくれて、虹翔の採血を遺伝子検査に出すことにした。こども病院でもできる免疫系の採血とまた血液培養も採ってもらうことに。お腹も空いていただろうけど
また1週間が始まった。入院して12日目。予定していたカテーテルの検査。ママは「痛いけど頑張ろうね」って心配しながら処置室へ送り出したけど、泣かずに頑張れたって。強いな。その代わり、終わって体重測定をした時に泣いたらしい。どうやら虹翔は裸が嫌いみたいだ。明日は待ちに待った皮膚科にかかれることになった。皮膚科の先生は優しい女の先生で、私も働いている時からお世話になっているからすごく話しやすくて、虹翔のこともきっとしっかり診てくれると思った。今日はちょっと微熱が続いていた。火曜日、おしりの
退院した次の日、身体はほとんど茶色のポツポツになってきていて白いのは無くなってた。それから、肌が乾燥してきた。その次の日には、お腹と背中のポツポツはほとんど見えなくなって、腕と足は白いのが数個、茶色が全体の9割位になった。そしてそのまた次の日、紹介状を出してもらっていたこども病院から連絡が来ていた。すごく混むから1ヶ月は余裕で待つと思っていたのにこの早さですごく嬉しかった!肌の乾燥は目立って来たけど、ポツポツしているところは全部小さくて茶色になってきてた。この頃は色素失調症の経過をネットで
今朝は外科の先生が6人も来てくれた。他科の先生も虹翔の事を気にしてくれていて、たくさん診にきてくれる。それだけ珍しくて大変な病気なのかもしれないけれど、やっぱりたくさんの先生に診てもらえるのは嬉いことだった。午後はエコーをしてくれた。お腹も背中もやっぱり何もなさそうとのこと。虹翔の身体は本当に不思議で、みんなが首をかしげている。看護師さんから「今日はサンタさんが来るよ」と聞いた。なんと今月3回も来るそうだ。沐浴をしていたから会えないかなと思ったけれど、通りかかったのを見て急いでオムツ
点滴が漏れちゃって入れ替え。ついでにまた血液培養を採ってもらった。次の日はまた採血。血液培養も。処置室から聞こえる虹翔の泣き声。もう何度も遭遇している場面だけれど、慣れることはない。なるべく痛いことはさせたくない、やらなければいけないことだけれど、矛盾しているかもしれないけれど、それが母親の本音。前の病院にいる時から、先生は採血をとるのに苦戦していて、今回も5箇所刺されたらしい。頑張り屋の虹翔も、もう疲れちゃってるよね。先生から、今度白血病じゃないかどうか、骨髄の検査をすると言われた。今
11月3日生後46日目ちょうど1年前の今日、パパと入籍した日。夫婦になって1年。病院でケーキを食べた。去年は2人、今年は3人。家族が増えるって奇跡だし、本当に幸せなこと。今日はパパがベットの上で頭洗ってくれたね。湿疹はまだまだ治らず、早く良くなりますように。次の日にはお風呂の許可がおりた。入院して1週間、久々の沐浴。さっぱり気持ちよかったね。ここ最近は、発疹の種類がこれまでとは少し違う感じで、汗疹みたいな小さなポツポツができていた。おしりもただれちゃって、内服薬と軟膏を出してもら
土日はあっという間に終わり、また月曜日。今日はエコーをやった。右の尿管が少し膨らんでるかな?という程度。明日は点滴の入れ替えとまた血液培養を採る予定。痛いこともたくさん頑張ってる虹翔。こんなに頑張ってるんだから、そろそろ退治できてもいいんじゃないか、そう思った。相変わらずミルクの飲みもいい虹翔は、5kg到達。どんどん大きくなっていった。今日はたまたま、看護学生時代からお世話になっている仲の良い先生にあって、虹翔のことを抱っこしてもらった。自分の勤めている病院だから、知っている人ばかり。
こんばんは、そらまめです。2/5(日)、垂水の専門医を受診してきました。かかりつけ医からは、検査結果を含めた紹介状等はなく、再度検査から始まります。また痛い思いをしないといけない丁寧に既往歴や問診から始まり、血液検査、エコー、説明を含め、全て終わるまでの主要時間は約1時間半程かかりました。炎症の数値は正常値の約10倍。脱水あり。診断名は、FIPドライタイプ初期から中期の段階との事です。(先生は段階については、あまり言う主義ではないと仰っていました)治療としては、今のおはぎの状態だ
とりあえず主人にLINEを入れました。「1割だったよ」これしか打てませんでした。帰ってきてから話そう。今娘は元気なんだしそれでいいじゃないか。母は強くいなくちゃ。主人は帰ってきてからそのままお風呂に入ります。私は乾燥機で乾いた洗濯物を洗面所で畳みながら話をします。また来週病院に行くこと。これから検査をたくさんすること。1泊2日の入院をそのうちすること。話がとまらないです。会話を辞めたら悲しい気持ちが出てきそうだから。その時の主人は
11月20日金曜日生後63日転院の日。仲良くなったママさんや看護師さん、先生たちにお礼とお別れを告げて、こども病院へ向かった。虹翔はずっと起きてキョロキョロしてた。どこに行くんだろう?お家に帰れるのかな?そう思っていたのかもしれないね。高速に乗って1時間ちょっとで到着。1ヶ月ちょっと前に来た病院、今度は外来じゃなくて入院だ。救急外来に行くと、思っていた以上にたくさんの先生が「待ってましたよ」と迎えてくれた。着いてすぐに採血、血液培養、レントゲン、エコー。本当にたくさんの先生
9月14日(食いしん坊の日)元気で13歳を迎えたばかり。私のだからね怖い思いさせてごめんね痛いことしてごめんねお嬢のからだの中で起こっていること誰にも分からない悪い可能性の話ばかりでへこたれてどうする目の前のお嬢がこんなに頑張ってるのに。苦しさを変わってやれない母ちゃんができることは何だろう…少しでもお嬢が喜ぶこと。お嬢の負担を減らすこと。今だから特別ってことじゃないけど。大丈夫。だいじょうぶ!お嬢のパワー恐るべし
今までインスタに投稿してたけど、長くなることもあるしアメブロもやってみようかなと。私の息子『虹翔(ななと)』は2つの難病をもつ頑張り屋さんの男の子です。これまでたくさんの壁にぶち当たりながら、家族みんなで乗り越えてきました。苦しいことや辛いこと、そんなこともたくさんだけど、虹翔の生命力はすごくって。そんな自慢の愛息子。2015年9月18日生まれ。今年で3歳になります。虹翔の診断は、難治性のてんかんであるウエスト症候群と、重度の免疫不全症であるNEMO異常症です。インスタには私の日常や料
高校1年の3学期も残すところあと少し。危うかった出席日数も何とか持ちこたえて、無事に2年生に進級できることになりました!娘ちゃん、ほんまよーがんばりました。✨👏🏽今日は1年遅れ💦で合格のお礼詣りに、京都の北野天満宮までドライブに行ってきた。🚙
こんばんは〜。パーティです。またまたまたまたマイペースに一部の人にしか役立たない”娘の病気について”ブログ記事を書かせて頂きます〜。長くなるし、本当、スルーして頂いていいんですが、小さいお子さんお持ちの方にもちょっと役立つ脳育のことも書いてるんで、もしよかったら読んでみてください〜。以前、うちの娘が実は、1万人に数人と言われる先天性の病気で、頭蓋骨早期癒合症で、軽度三角頭蓋だという診断を受けた(というか受けに行った)お話をさせて頂きましたが、娘の病気のこと①三角頭蓋、頭蓋骨早期癒
はじめまして!京都在住「みーパパ」です。・36歳(執筆当時は33歳)・身長171㎝(←日本人の平均+0.4㎝!)・痩せ型・腰痛持ち・童顔(←よく新入社員と間違われる)・糖尿病予備軍・漫画が好き・・・と、私のプロフィールはこんなところで、今日からブログを始めてみます。私のブログでは主に「魚鱗癬」という難病の長女、長男について記していきます。(ぎょりんせんと読みます)他にも「男性の育休」や「しょーもない話」をゆる〜く記していきますので、よろしければお付き合いください
入社4日目も無事終わりました4日目はさすがにもう体くたくたやっぱり慣れてない場所で慣れてない作業って疲れる首の方はボトックスが効いているのか会社のおかげかわかりませんが首が傾く症状もなく気にせず働けています。普通に仕事ができるってありがたいしっかり寝てしっかり休んで明日も働きます明日行ったら休み頑張ったあとの休みって幸せですよね読んでくださった方ありがとうございます
*初めての方はこちらお読みください*火曜日。この間に引き続き、今日も特に検査や処置の予定のない日。虹翔とのんびりできる、痛いこと嫌なことのない日だ。看護師さんが点滴を固定しているシーネ交換をしてくれた時、抑えが甘かったのか点滴が抜けてしまった。毎回何度も刺されて、先生たちも苦労してようやくとれる点滴が、一瞬にして抜けてしまった。入れ直し。今日は何もない予定だったのに。また痛い日だ。しっかり抑えていたら、2人でやっていたら、こんなことにはならなかったんじゃないかな。自分だったらいいけど
円形脱毛症・・普通の人より「眉が太くなってきた!!」円形脱毛症とお付き合いする事「15年」以上未だ戦いが続いています。不思議なのですが治ったかな??と思うとその数か月後には「壊滅」状態になった事もありました。(お風呂での洗髪が恐怖・・・ホラー映画の一場面のように髪が抜けます)今年は失敗した経験を活かし治っても「病院に通い続ける作戦」を続行してきました。(お医者さんにも継続宣言して通っています)現在その作戦が功を奏したのか?未だ抜け毛が無い状態が続いてい
TS-1を飲み始めて今日で1週間です。毎日なんだかダルい感じです肝臓の進行もあるだろうけど気候のせいもあるのかな?TS-1の副作用かなと私が思うものを備忘録のために書いておこうと思います。⚪︎1日目夕方から喉の痛み↓翌日全く痛みなし(不思議)⚪︎2日目発熱(37.7度)→翌日37.0度この1週間軽い吐き気嘔吐2回頭痛鼻水(血が混じる)浮腫み味覚障害(変化)不眠?(なんか眠れない)食欲→少しだけ減ったけど美味しそうな
低体重で入院した娘。入院してから4ヶ月が経ちました。仲良くなったお友達はどんどん退院し、そろそろ娘も退院したい気持ちが限界を迎えていました💦ある日の面会で娘「ねえ、ママ!私こんなに頑張ってるんだから私ももう退院したい!ママからも先生にお願いして!お願い🙏」何度もこの言葉を娘から聞きましたが、さすがに入院してそろそろ5ヶ月目に入ります。入院当初は36キロ辺りで退院する予定との話も聞いていたので、担当医との面談で退院のことを聞きました🧑⚕️一通り話し終えた後、私「
おはようございます昨日11時頃無事帰宅したのですが、少しでも早くこちらを更新したいとの想い、そして、すぐには寝付けなさそうでしたので、朝起きてすぐ更新できるように、『情報』ブログ、完成させましたみなさんからいただいた情報をこちらのまとめさせていただいております(見逃しありましたら、すみません)今後ともいただいた情報は、『情報』というカテゴリーにてまとめさせていただきますので、必要とされる方の元へみなさんの想いが届きますよう、こころよ
重症筋無力症になってしまったこれまでの経過について少しまとめてみようと思いますまず最初に重症筋無力症を発症するちょうど1ヶ月前、たまたま胸腺腫が見つかり摘出手術をしましたこの頃は重症筋無力症の症状はまだ何もなく、胸腺腫に関しても何の自覚症状もありませんでしたこの時呼吸器外科の先生から重症筋無力症についての問診を受けていたのが後々役に立つことになるとは胸腺腫の手術は無事に終わり、これで全て終了だと思っていましたが、ちょうど1ヶ月経ったある日、子供を抱っこして外を歩いている時、少し目が眩む
昨日採った血液培養の結果が出た。先生から「グラム陰性桿菌+」これは大腸菌とかの分類の菌だと言われた。ずぐにパパに伝えて、ネットで必死に調べた。全身を巡る血液の中に菌がいる。こんなに小さな身体の中に。今日の熱は36〜38度台。抗生剤が効いているのか、少し下がる時もあった。すごく心配だったけど、このままどんどんよくなる、早くお家に帰ろうね、そう思っていた。隔離された個室で虹翔と2人きり、白いベットの上で過ごす。泣いたら授乳をして、オムツを替える、家でやっていたことを今は病院でやっている。相