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戦国時代、女・子どもは雑兵らに乱取りされ、海外へ奴隷として売り飛ばされていました。今回は、その悲惨な現実をみていこうと思います。乱取り(乱妨取り)とは人の略奪行為のこと。いわゆる奴隷狩りです。足軽らの雑兵は、合戦で手柄を立ててもたいした恩賞はもらえません。よって、合戦に勝利したのち、戦場となった村々で非戦闘員の女・子どもを略奪し、奴隷市場で売り払ってカネに替えるしかありませんでした。もし略奪行為を禁じれば、合戦で雑兵たちは命を賭けて戦わなくなり、士気が下がり
孫子はシンプルに数で勝てなければ勝ち目は薄いと考えました。シンプルな考え方は大事です。謀攻篇には小勢では大軍には当たらないと述べています。「故に用兵の法は、十なれば則ちこれを囲み、五なれば則ちこれを攻め、倍すれば則ちこれを分かち、敵すれば則能ちこれと戦い、少なければ則能ちこれを逃れ、若かざれば則能ちこれを避く。故に小敵の堅は大敵の擒なり。」(そこで、戦いの原則としては、身方の軍勢が十倍であれば敵軍を包囲し、五倍であれば敵軍を攻撃し、倍であれば敵軍を分裂させ、ひとしければ戦い、少なければ退
三浦右衛門佐義鎮は、今川義元及び氏真に仕えた武将で、特に氏真の時には側近No.1と目されていました。城東郡特化の歴史マニアとしてはあまり関係ない人物なのですが、今川家の没落・遠州の混乱を作った人物であること、一族郎党とともに最期を迎える際に城東郡を通っているであろうこと、時々「最期まで氏真に仕えた忠臣」とされていたりして個人的には違和感を覚えることから、今回はこの人についてしらべてみました。三浦義鎮の出身は、小原鎮実の子で、三浦家が絶えたのでその名跡を継いだとも、京の商人の子とも
武田信玄や武田勝頼の時代の甲斐(山梨県)の武田家を記した軍記物語の甲陽軍鑑には国を滅ぼす大将を4タイプあげています。馬鹿な大将。利口な大将。臆病な大将。強すぎる大将。甲陽軍鑑は軍記物語であり、史実としては不確かですが、教訓として読むには良いものです。馬鹿な大将は当然に国を滅ぼします。織田信長のようにわざと馬鹿であるように見せ、敵国を油断させる大将ならば別ですが、本当の馬鹿では国を滅ぼします。自分を馬鹿ではないと自負し、賢ぶる大将も馬鹿な大将と言えましょう。馬鹿ではない大将とは部