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日活の二枚目スター葉山良二(1932~1993)は、日本大学経済学部在学中の53年、ミスター平凡に選ばれたことがきっかけとなり、翌年卒業と同時に日活へ事務系社員として入社するが、まもなく俳優に転向。デビュー作は大女優田中絹代による監督作品『乳房よ永遠なれ』(55)月丘夢路の恋人役。その後もメロドラマに数多く出演。主演作品には、『死の壁の脱出』(58)『傷だらけの掟』(59)『コルトが背中を狙っている』(60)『姿なき拳銃魔』(64)『女浮世風呂』(68)などがあるも、風貌の
五所平之助監督67分という短さですがほほえましくて大好きな映画です。お話。もうじき50歳の福島省三(斎藤達雄)とたま子(吉川満子)夫婦には3人の娘と1人の息子がいる。すでに嫁いだ長女(坪内美子)と次女(田中絹代)そして三女は、近々結婚することになっている。その三女の結婚式が無事に終わった夜。「やれやれ、これで肩の荷が降りた」ほっとする夫婦。「娘三人を片付けるというのは、容易なことじゃなかったよ」「ほんとですわ、あんまり見苦しい
1954年(昭和29)から34年間松竹大船撮影所でプロデューサー、シナリオ研究所長などをされた升本喜年(ますもときねん)さんのご本「松竹映画の栄光と崩壊」非常に読みでのある、読み出したら止まらない500頁近い長編で松竹だけではなく激動の昭和に翻弄された実録日本映画史ですほんとに面白いんですよご紹介したい箇所はたくさん、たくさんあるのですが今回はこのご本から『田中絹代は負けない』の項と他、画像などはあちこちから抜粋で田中絹代さんを
幸田文原作成瀬巳喜男監督原作は幸田露伴の娘・幸田文だが文さんは四か月ほど実際に柳橋の芸者置屋に女中奉公している。出演は田中絹代、山田五十鈴、杉村春子、高峰秀子、岡田茉莉子・・一人づつでも主役を張れる顔ぶれそこに戦前の大スター栗島すみ子が加わる。栗島すみ子と言えば当時は泣く子も黙る大スターで成瀬監督の助監督時代も知っているから成瀬さんを「ミキちゃん」と呼び山田五十鈴や田中絹代ですら彼女の前では小さくかしこまっていたという。この
「松竹映画の栄光と崩壊」他より『田中絹代は負けない』の2回目です松竹撮影所が蒲田から大船に移った頃27歳の田中絹代は鎌倉山旭ヶ丘に五百坪の土地を買いここに3棟合わせて25部屋もある「絹代御殿」と呼ばれる豪邸を建てた20代の終わりに近づきスター女優としてはもう若くはないという焦りがあった後から追いかけて来る若い女優たちに負けないためには大船に腰をすえて仕事に打ち込みたいまたナンバーワン女優を誇示するためにも
「松竹映画の栄光と崩壊」他より『田中絹代は負けない』の3回目です『愛染かつら』の男役・津村浩三は早々と上原謙に決まったしかし、ヒロイン・高石かつ枝はモメた高石かつ枝は子持ちの未亡人であり看護婦だが歌が上手く後にレコード会社にスカウトされるという設定だ監督に決まっている野村浩将は歌の上手い高峰三枝子を推し高峰じゃないなら撮らないとまで言ったが撮影所長の城戸四郎は反対した今の高峰三枝子に「子持ちの未亡人」はさせたく
下関市街地の中心部、入江町の高台に以前は銀色屋根のプラネタリュームのあった鉄筋コンクリート造りの王江小学校が見える。この王江小学校は、明治5年(1872)8月に文部省より学制頒布があって旧市域でもその後の3年間に小学校22校が相次いで設立されたとき、明治7年(1874)8月14日に岬之町の民家を借りて児童数36人で開校し、その後も民家などを増やして対応、明治16年に王子(司)山校舎(現在の細江公民館のある付近)に新築移転したが、入江町や細江町の町造りがあって現在地に落ち着いたのは、明治3